
恐ろしいほどつけあがった自己投影と依存されることに依存してしまうほどの承認欲求
表層的で、いつだって思慮不足
頼まれてもいないのに、相手に尽くす
他人の問題に首を突っ込んでいれば、自分の問題から目を逸らすことが出来たから
他人の悲しみや苦しみの中に自分の存在価値を見出すことで、私はこの世界に居てもいいんだと自分に言い聞かせることが出来たから
常に周囲に目を光らせ、眉間にしわを寄せた暗い顔を探し、どんな微かな溜息の音も聞き逃すまいと耳をそばだてていた
見つければ、「どうしたらいいと思う?」と相手から助けを求めてくるように誘導せずにはいられなかった
己の心の底に沈み込む時間を出来る限り、一秒でも多く削り取るように、
四六時中他人のために走り回って
いくら利用されても、どんなに振り回されても、自分の問題を直視することに比べれば平気だった
でも大抵の場合、問題が解決してしまえばその時点であっけなく私の役目は終わってしまう
「ありがとう」と感謝されることで、少しの間は満たされた気持ちでいられる
けれどその穏やかな時間はすぐに消え去り、次第にまた何とも言えない焦燥感が漂い始める
神経が張り詰めていき、だんだんと息がしづらくなってくる
喉元に感じる強い圧迫感はまるで、明確な殺意を持った何者かに首を絞められているようで
息が出来なくて、苦しくて苦しくて、ただ呼吸がしたかった
私はもっと誰かに頼られなければいけなかった
もっともっと役に立つ人間にならなければいけなかった
息苦しさの中で喘ぐように、
なんとかして酸素を取り込もうとしていた私は、周りからの評判があまり良くない人とも躊躇なく関わり合いを持った
いつも吸い込まれるように危険なトラブルへと身を投じていく
でもそういう人ほど、問題が解決してしまい、役目を失った私にでも縋りついてきてくれるのだ
「あの子とはあんまり関わらない方がいいよ」と
誰もが警告するその人のために、私は何でもした
相手が依存してくれればしてくれるだけ、喜んで身を捧げた
最初は私が優位に立っていても、いつの間にか必ず立場は逆転していく
私は、依存されることに依存していたから
誰かに必要とされる為ならばどんな過剰な要求にも、自分の許容範囲を超えたことにでも、すべてに応えようとしていた
その人の心が満たされるように、自分のことなど後回しで我慢に我慢を重ねて
気持ちを押し殺すことが当たり前になっていく
相手に自分の感情や行動を制限されると、なぜか安心感のようなものを抱いてしまう
「○○ちゃん(私)はどうしてそんなに優しいの?」
「どうしてそんなに怒んないの?」
そう言われることでやっと、自分を肯定することが出来た
自分が善良であるような気がした
自己犠牲には苦痛が伴う
だけどその痛みには麻薬のような中毒性があって、
そういう状態でいられなくなると逆に心が不安定になっていく
犠牲を強いられることでしか存在価値を得られなかった
束の間でもいい、自分は必要とされているという実感が欲しかった
私の場合その実感は、支配されることによって自分の心を殺す時の痛みだった
心を殺せば殺すほど、自分が生きる許可を与えられているような気がした
だから相手が私を必要としなくなると、私はまた依存してくれる別の誰かを探し求める
もっと問題を抱えている人を、もっと我が儘な人を
けれどそんなことを繰り返していれば、いつかある時点で、
要求され、試され続けることに耐え切れなくなってしまう瞬間が来る
私は相手から離れようと決意し、惨めに泣いて、
精一杯そっけない態度をとる
でもそんなことをしたって、すでに充分壊れている私が自分ひとりだけでは立っていられるはずもなく、
軟弱な心はその人を必要としてしまうから
なんとかして元に戻ろうと、今度は私が相手に縋りつく
相手から見切りをつけられてしまう前に慌てて自分から謝り、赦しをもらって、ほっとしているのだ
私には、私を支配し傷つけてくれる人が必要だった
誰かに依存し、依存されていなければ、私は私でいられなかった
あまりにも脆く不安定な人間関係は、
今にも切れてしまいそうな一本のロープの上を綱渡りするように、
絶えず緊張を強いられるものだった
一日一日を踏みしめる足元がおぼつかない私の周りにはいつも、どことなく死の気配を漂わせた人が自然と集まってきた
初めて自傷していることを打ち明けられたのは小学五年生の時
クラスメイトだった彼女は尖った鉛筆を手首に突き立てて、引っ掻くように傷を作っていた
「気持ちいいから一回やってみて」と言われて、私も同じようにした
彼女のように血が出る程強くは出来なかった
しばらくして彼女は、鉛筆をコンパスの針に持ち変えた
手首だけじゃないと知ったのは高校生の時
腕を切る子もいたし、手の甲をひたすらに刺す子もいた
私に依存してくれた人達はみんな何かしらの自傷癖があった
けれどそのことに気付いたとしても、そこからあれこれと詮索し始めるようなことは絶対にしなかった
相手が隠していることを無神経に暴いたり、触れてほしくないであろう部分にむやみに触れてはいけない
好奇心を満たすためだけに切り裂かれる心の痛みを、私は知っている
でもそのうちに彼女達が心を開いてくれて、自分から私に傷を見せたり、打ち明けてくれた時には
それを出来るだけ冷静に、丁寧に受け止められるようにという心積もりはしていた
その行為を否定することはもちろん、気持ち悪いと思ったり、面倒だと思うこともなかった
そこにあったのはいつも、少しだけしんみりとしてしまう親しみのようなものだった
わざと見せるわけでもなくむしろ長袖を着たり、リストバンドやテーピングをして隠しているのに、思いがけず見つかってしまえば「かまってちゃん」と蔑まれてしまうその悲しさ、虚しさ
アピールのつもりなんてないのに
ただ、弱い自分を罰したかっただけ
ただ、誰にも言えない苦しみを痛みで紛らわせたかっただけで
誰かに助けてもらうために自傷するわけじゃなくて、誰にも助けを求められないから自傷してしまう
心の奥底に、助けてほしいという甘えた気持ちが確かに存在していることは否定できないけれど、それを表に出せる強さはない
抱え切れないのに、抱え込むしかない
その切実さを少しもわかってもらえずに、嘲られてしまう
苦しみをわかってもらえない苦しみ、自分を情けないと思う気持ち
誰にも受け止めてもらえない寄る辺なさ
今は何とか耐えられているけれど、少しずつ壊れ、押し潰されていく実感
受けてきた仕打ちの種類は違っても、その心に残ったままの「傷痕」は限りなく私のものと似ていると思えた
その思いを口にしたことはなかったけれど、私の仕草やまなざしから、
そういう親和的な感情を私が抱いていると、彼女達は敏感に感じ取っていたのだと思う
だから私自身は当時、他人に見抜かれてしまうような形での自傷行為はしていなかったにもかかわらず、彼女達は安心して傷を見せてきてくれたのかもしれない
私もまともに生きている側の人間ではないと彼女達から思われていたのだ
そういう意味で私達は、同じ側の人間だった
自傷行為を重ねるたび、体に増えていく取り消せない傷痕
深刻な感染症に陥る危険性
静かに死んでゆく心
傷つけたくなったらいつでも連絡してほしいと、いくらでも話を聞くからと
本人ができるだけ自傷行為をせずにいられるように支えること
実際に夜中にメールや、泣きながら電話がかかって来たことが何度もあったけれど、迷惑だと思ったことは一度もなかった
「切りたかったけど我慢できた」と、「約束を破りたくなかったから」という言葉を聞けば、本当にほっとした
逆に連絡が無い日は、彼女がひとりで泣いていないかなと、ふと心配になって、
なんとかして彼女の心の苦しみを和らげる方法はないかと、勝手に一人で考え続ける眠らない夜も度々あった
なのに、それなのに
「またやってしまった」と震える声で打ち明けられた時の方が私は内心、
気分がよかったのだ
どうしてか普段よりその人が何倍も愛おしく思えて、
私が守ってあげなくちゃと意気込んでいる自分がいる
あれだけ心配しておきながら、その心配事が現実になった時、
誰よりも生き生きとしてしまう
できるだけしないようにと支えている一方で、
もう一度だけしてくれないかなと思ってしまう
自覚はあった 気付いてしまっていた
そんな自分に対し、時に開き直り、時に打ちのめされ、それでも、
その欺瞞の中に留まり続けた
変わることはしなかった
ある時、授業中に彼女からメールでトイレに呼び出され、行ってみると奥の方から声を押し殺しながら泣いているのが聞こえた
彼女は小さな個室の隅の壁に凭れかかるように立っていて、両手で顔を覆い、涙を流していた
足音で私だと察したのか、彼女は私に背を向けたまま「ごめん」と消え入りそうな声を振り絞った
私はその狭い個室の中に入っていき、とにかくまず彼女が落ち着くようにそっと肩に手を触れ、出来るだけ穏やかな声音で「大丈夫だよ」となだめながらゆっくりと体をこちらに向けさせる
彼女が何をしたのかは、問うまでもなくわかりきっていた
私は「ちょっといい?」と声を掛け、小さく頷いた彼女のスカートに手を伸ばした
少しだけ裾をめくると、太ももの内側に走る無数の白い線に切ったばかりの赤い線が一本、足されていた
血が膝下まで伝い落ちて、紺色のハイソックスに染み込んでいる
私は「…うん」とひとり了解して、ポケットティッシュを取り出し、彼女の太ももの傷口を押さえながら、流れた血を拭き取る
わざとらしいくらいに手厚く処置をすること
彼女が今自分は優しくされているんだということがちゃんとわかるように優しくすること
それが大切だった
「もう切らない」と宣言した彼女がそれを破ってしまったのはもう三度目のことだった
彼女と出会った時すでに、彼女の左の手首と二の腕には夥しい数の自傷の跡が残っていた
習慣化されてしまっている行為をやめるということがどれだけ難しいことか
彼女は常に複数の問題を抱えていた
必死に耐えていても、極限の心を周囲の人々の無神経な言葉が、態度が、しつこく揺さぶる
彼女は今度も、どうしても、自傷の誘惑に勝つことが出来なかった
けれど私はそのことを一切責めてはいないよと、そんなことで嫌いになったりはしないし、見損なったりすることもないんだということを言葉を使わずに、伝えなければいけない
彼女は他人が語る肯定の言葉や、寄り添う言葉を、それがどんなに心からの言葉だとしても、信じることが出来ない人だったから
彼女の足元に屈み込んで、丁寧に手当てをしていく私
降り注がれる彼女の縋るような視線を存分に浴びて
お互いにどこか演じ合っていること、ちらつく歪んだエゴに目を瞑る
彼女は、ひとまず表面上だけでも献身的に見える振る舞いに自ら騙され
私は沈黙を守りながら彼女の反応を観察し、内心満たされていく
落ち着きを取り戻した彼女は服の袖で涙を拭いながら、「これで絶対最後にするから預かっててほしい」と血の付いたままのカッターを差し出した
私は静かに頷いてそれを受け取り、疲れ切っている彼女を優しく抱きしめ、背中をさする
その時本当は、彼女が剃刀でも切っていることを知っていた
それをいつもカッターと一緒にポーチに入れていることを、知っていた
けれど私は「それも預かるよ」とは言わなかった
言いたくなかったのだ
また、味わいたくて もっと味わいたくて
魔が差すというレベルではなく、もう完全に蝕まれていた
一瞬の判断の誤りではなかった
いつの時も、何度でも、私は同じ判断を下してしまうだろうと思う
ボロボロに傷ついた誰かに縋りつかれることが何よりも心地良かった
味わいたくてたまらない
弁解の余地もなく、そういう汚らわしい人間になっていた
彼女達がそれぞれに自傷してしまう理由を聞く時、なんというのか、その人の言おうとしていることが話し出す前からわかって、話し出す前に共感し切っていた
そして出てきた言葉に「やはり」と大きく肯くような
そんな感情移入を通り越した一体感というのか、没入感のようなものにとっぷりと浸っていて
それはもちろん今では、自分にとって都合のいいように解釈していただけだとわかるけれど、
あの頃は、その瞬間は、本当にそれが私にとっての正直な感覚だった
けれど自分自身の中にある不穏な偽りの気配も確かに感じていて
それでも私は呼吸するための酸素を、何よりも求めていたのだ
だからそれを得るために自分に嘘を信じ込ませなければいけないのなら、やるしかなかった
本人はいたって真剣で、深刻なつもりの勘違いと、意図的な虚構がないまぜになって
間違った道へと、まっしぐらに突き進んでいく
表層的で、いつだって思慮不足
恐ろしいほどつけあがった自己投影だった
どうりで他人の問題にあれほど傷つくことが出来たわけだ
自分自身の問題とは向き合うわけにいかないから
自分のことなんかコントロール出来ないから、だから自分以外の誰かの痛みを乗っ取るのだ
共感といえる範囲を超えて、支配していく
都合よく扱えない自分の苦しみではなく、他人の苦しみを強引にコントロールして
満たされない穴を埋めようとする
お互いがお互いの弱みにつけこんで、支配し合い、従属し合っていた
けれど、他人の問題をどれほど自分のものと思い込んだところで、それが他人のものだという事実は絶対に覆らない
狡くて、幼稚で、痛々しい
そんな醜悪な実像をまともに直視してしまわないように、
「私達って駄目人間だね」と寂しく呟き合って
治らないとわかっている、それぞれが一生抱えていくであろう心の傷を見せ合って、舐め合って
それぞれに、それぞれの涙を流しながら
一時的とわかっていても、誰かと繋がりたかった
仮初めだと感じていても、絆と呼べるものを手にしてみたかった
誰かが自分のことをわかってくれていると思いたかった
そうやってどうにか生きていくしかなくて、それしかなくて
他人の痛みを適度に感じていれば、自分の痛みから逃げている後ろめたさが薄まった
他人の傷をも舐めてやることで、自分の傷を舐める罪悪感をごまかしていた
私達は自己欺瞞の中でしか生きられなかった
自分で自分の問題を解決することが出来ない人間だから
自分で自分の人生に責任を持てない人間だから
私達のような人間はお互いに自然と引き合ってしまう
ある特定の周波数
空洞な心を持った者同士だけに鳴り響く共鳴音を感知し合って
私達は、他の種類の人々と接する時よりもずっと早くにお互いの距離を縮められる
依存してくれる人ならば誰でもいい そこが私の唯一の居場所だった
自分は自分に嘘をつく 誰よりも、自分が自分に嘘をつく
自分を騙して騙して、価値ある人間だと思い込ませることに疲れたんだ
生きる価値など無いと、受け入れることが出来なかったのだ
だけど嘘は確実に心を汚して、摩耗させて、私を蝕む
依存で成り立つ人間関係を継続していくためには、膨大なエネルギーを消費しなければいけない
何かに追い立てられるかのようにエスカレートしていく要求
それを受け止め、人間関係の結び目がほどけてしまわないよう繋ぎ止めておくためには、
自分自身を極限まで削っていくしかない
相手の為に頑張れば頑張るほど蝕まれていった
努力すればするほど、良くなるどころか傷は一層深刻になった
けれど必要とされるのが嬉しくて、その心地良さに抗えなくて、
自分を切り売りすることに美徳さえ見出してしまう
もっと、もっともっと、利用されたかった
何年もそうやって生きてきたから、自分でも気付かないうちに使い果たしていた
もう何も残っていなかった
疲れ果てて、声も出せないくらい、自分の人生に疲弊していた
嘘は、もう嫌だった
本当は気付いていた 私なんかいなくても全然平気だから
とっくに知っていた 私は必要としてもらえるような人間ではないから
私ほど、私を嫌いな奴はいない
お前なんか、嫌いだ
わかっているのに、やめられなかった
もういやなのに、どうしてもやめられなかった
一人ではどうにも立っていられなかった
抜け出すことはできなくて
あなたが必要だと言われると、ほっと息をつくことが出来た
あなたがいてくれてよかったと言われると、包まれているような気がした
あなたにしか出来ないことなのだと言われると、いくらでも頑張ることが出来た
あなたがいないとダメなんだと、私を理解してくれているのはあなただけなんだと言われると、私はひとときの間どうしようもない疎外感から解放された
それがたとえ、私を思いのままに操るためだけに吐き捨てられた言葉だったとしても
その使い回しの台詞さえも私にとっては、命綱そのものだった
どんなに歪んだ関係であろうと、そこにしか私の存在価値はなかったのだから
それを奪われてしまったら、私は、私の人生はゼロなのだから
私は病的に依存してほしかった 病的に支配されたかった
病的に依存していたかった 誰かに一緒に生きていってほしかった
死ぬまで私から離れずにいてくれる誰かを
私をひとりぼっちで置き去りにしないでくれる誰かを、強迫的に求めていた
どうしようもない自分を受け止めてほしかった
自分の心のどす黒さが怖くてたまらなくて
捻じ曲がった心が悲しくてたまらなくて
ずっと後ろめたかった
でも、一人で立っていられるような人間には到底なれなくて
自分の人生なんかいらなかったから
人生そのものを誰かに奪ってほしかった
人格もなにもかも操られて、楽になりたかった
自分のことなんか考えたくもなかった
苦しみから解放されたかった
あの子は、生きているだろうか?
あの子たちは、まだ生きているだろうか?
生きていてほしい どうか笑っていてほしい
あの頃の私たちはとても歪んでいたけれど、
だけどそれでも、必死に生きていた
もがいて、あがいて、悲惨な一日一日を共に乗り越えていた
今の私は、ただ疲れ果てていて、あの日々を生きていた痛々しい自分さえも眩しく感じる
みんな、頑張って生きているのかな?