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体育会系の派閥

大学に勤めていると
少なからず気の合う仲間や
理念が共通する人同士で
つるむことをします。

特に体育会系の学部、学科、講座内において
少なからず「派閥」なるものが存在していたりします。

この「派閥」があることで
学部、学科、講座の方向性や様々な決定が
円滑に進むことは少なくないです。

色々な教員が勝手なことを言い出すと物事は進みません。

大学教員はある意味、
トリッキーで唯一無二な存在であることに
価値を見出していることも少なくないです。

トリッキーで唯一無二であることが
社会を良くしていくと信じているからです。

そんな人たちが好き勝手発言すると
組織としてはまとまりがなく、何も始まりません。
(いい意味でも、悪い意味でも。)

このようなことから
人数が大所帯になると
暇な教員が自ら旗振りをして
わざわざ「派閥」を作り、
学内行政に励む教員が自然と出てきたりします。

普通の大学教員は
管理教員になってしまうと
「自分の研究できないし、
(ワンパクな人たちを管理するのは)めんどくさい😣」
となるのですが、
やることがない暇な教員は
嬉々として学内行政に励み、
根回し、賄賂、駆け引き、嘘情報の流布、票の取りまとめ等を
行ったりします。

私が驚いたことは
「私を学部長にしたら、
人事を起こして(扱いやすい)若手を取ってあげる」とか、
「(根回しされている教員が欲している)新しい施設を作る」とか、
一学部長の一存で大学執行部を納得させられるほどの
剛腕を振るうことができるのかと
疑問に思うところはありますが、
平気に言ってのけてる教員は
過去におりました。

そんな愉快な派閥について分類、紹介し、
体育会系の人たちの特性を
面白おかしくご覧になっていただけると
幸いです。

学閥(教育大学、体育大学など)

同じ釜の飯を喰った人とは
何も言わずして理解できてしまう
シンパシーなるものを感じてしまいます。

また「同郷の誼」で
無条件に心を許してしまうものです。

同じ学舎を卒業した先輩は
後輩に対してマウントが取りやすい。
それが学閥という派閥です。

学閥という派閥は
人数の多い大学出身者が圧倒的に有利で
数の論理であらゆる派閥を粉砕し、
自分たちの意見を押し通してきます。

大学の教員紹介のところで見ると
教員の学歴を確認することができたりしますが、
ある大学の出身者が多く偏っているというのは
なかなか個人的な意見を言うことすらできず、
ベテラン教員の「鶴の一声」で色々なことがスムーズに決まり、
素晴らしく統制が取れている組織である可能性が高いと思われます。

そんな大学に勤めたら最後。

喪に服すような生活は望めず、
常に同じ出身大学卒のベテラン教員にお伺いを立て、
若手なら中堅、ベテラン教員の指示に
考えもせず従う特攻部隊として、
中堅であれば若手の指導役として、
またベテラン教員への忖度に徹するのみです。

年代(若手、中堅、ベテラン)

体育会系教員は
基本的に「儒教の精神」が大好きです。

歳を取ったら偉い。

そんな論理で年長者は色々な裁量権があったりします。

若手は無能でも年長者へ従順な態度さえ示せば、
派閥に入れてもらえ、歳を取るだけで偉くなる。

そんなゆとりがある組織が存在していることは
ある意味、素晴らしい。

実技(現場)派、研究派

ここからは体育会系ならではの派閥になるかと思います。

体育会系の人たちは
研究よりも現場での実践が好きな人たちが
割と多いような気がします。

一方で大学教員らしくデータを元に分析、研究をしていく人もいます。

大学ですので通常は研究派が多数派であることが自然ですが、
体育会系は実技派であったり、職人気質な人が他の学部と比べて
多いような気がします。

体育会系においては
どっちが良いとか悪いとかはなく、
ただ単に研究に徹することや
実技に徹することが役割であったり、
教員の好みで研究派、実技派、
どちらでも良いような気がします。

どちらかに偏っていると
良い組織とは言えないと
私は考えてます。

しかしながら
お互い敵対視するのが
体育会系のサガ。

お互い、存在感を主張したいし、
勝負には常に勝ちたいのが
体育会系の人たちなので。

本来、体育会系としては
両方の立場を取れることが
日本の大学における良い部分であると
個人的には思っています。

現場はまさに先端であり、
色々試して何かを生み出していく役割がありますし、
研究はこれまでの実践現場の蓄積を分析し、傾向をまとめて
世の中に客観的で信頼性のある情報を公表していく役割があります。

海外では完全に分業でやっている傾向が強く、
お互いが尊重し、比べる対象ではないような態度のようです。

地域派、世界派

この頃、地域に必要にされる大学であったり、
世界と戦える研究大学であったり、
大学を分類する傾向がありますが、
基本、どちらか一方に偏ることなく、
バランス良く両方やったら良いのではないかという立場である
私としては地域派、世界派というのも
正直、どちらでも良いのです。

結局、研究というのは世界を意識したり、
世界を相手にしなければいけないものです。

また身近な地域ならではの特殊性の価値に気付けなかったり、
目の前の実践を丁寧にできない人は
世界や地域を意識して研究なんてできません。

地域派も基本は世界を意識しているのとしてないのでは
地域での活動の価値は全く異なります。
また地域の独自性を研究テーマにすることはものすごく価値があると信じてます。

基本的には
お互い好きなことを否定されたくないし、
主張したいだけなのです。

武闘派、仏派

昔は血気盛んな教員が多く、
多くの体育教員は武闘派をかってでてましたが、
世はハラスメント、多様性モードで全開です。

世の流れには逆らえず。

諦めた方が得ですし、
情熱を持って関わるリスクを悟った教員は
仏派になっていきます。

個人的には
多様性が必要というのならば、
武闘派教員も
存続させて欲しい今日この頃であります。

良いじゃないですか。

このご時世に敢えての覚悟を持った
伝統的な武闘派教員。

実は彼らも好き好んで怒鳴り散らしているわけではありません。
中には教員を試している学生もいますから。

たまに私利私欲で怒鳴り散らしている教員がいないわけでもないのが厄介です。

皆様どうか温かく愛でてあげてください。
基本、悪い人ではありません。

意外に教員同士には優しく、
同僚からは好かれていたりします。

まとめ

どうでしょうか。
体育会系の派閥って面白いですね。

基本的には
大学の教員は
専門的な知見を有しているものとして
自由に意見し、
様々な事象に対して
妥当案を丁寧に考察できるはずなのですが、
会議では好きなことが自由に言えず、
「義理と人情」「儒教の精神」「年長者への忖度」「鶴の一声」で
色々なことが決まっていくことは少なくないです。

大学にいると
人間っていう生き物は
つくづく知性を持っていても
合理的、客観的な判断ができず、
感情的に様々なことを決定していく生き物であることを
実感、痛感できます。

そんな人たちには振り回されず、
精神衛生良く、ふらっと意見ができる職場に居続けたい限りです。

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