浄土の声が響く
先日、仏教を学んだ時に教えていただいた先生のお寺にお参りをしてまいりました。
「第十八回 聲明の夕べ」
京都市の正光寺にて先生の魚山声明を学んでいるみなさんの集まりによって開かれた法要です。
天台宗の開祖は最澄なのは知られた話です。最澄は唐に留学しましたが唐の仏教を十分に持ち帰れなかった、という後悔があったと言います。その最澄の後悔を受けて弟子たちは唐に留学して仏教を持ち帰る、その中に弟子の円仁がおり、円仁が持ち帰った仏教の中に仏教音楽の声明もあり、その中の一つが引声念仏ーーそれが天台浄土教の発祥となりました。その念仏が発展していった先に源信、法然、親鸞という流れが生まれる、というわけです。
その円仁が持ち帰った声明をもとにつくられた『引声作法』、そして天台で伝わる例時作法をおつとめされました。引声作法はとても長いお勤めなので、さわりだけのおつとめでしたが、それでも40分。ろうそくと行燈の光の中で丁寧な声明の声は、浄土の声をこの世で再現されようとした昔の僧侶たちのご苦労を感じさせる、すばらしい響きでした。本堂の親鸞聖人の御影を見ながら、ふと親鸞聖人がこの会を、この声明の復活を喜ばれているような気がしました。
「しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す」(『教行信証』化身土文類後序)
この思いに至る前の20年間には、この作法を勤めながら一生懸命に浄土を希求する範宴房(親鸞聖人)の御姿が、比叡山にあったに違いありません。
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