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相手へ向けられた言葉は自分への言葉

トゲトゲした気持ちを抱えながら会社に行く日々。


私に限らず、職場の皆が同じ気持ちを抱えていた。


会社で一番くらいに残業時間が多い部署だった



追い打ちをかけるように


多方面で取引の炎上が重なり


良くない忙しさが続いていたこともあり
(受注が増えるとかではなくてトラブルの尻拭い)


ギスギス、イライラ、カチカチ・・・なんだかそんな音が聞こえてきそうな雰囲気だった。


まさに「殺伐」ってこんなかんじだよなぁ・・・って



皆がこの不満を誰かのせいにしたくて


誰かがヘマをするとすぐ揚げ足をとっていた。




私は、仕事ができるようになったと感じたものの


「まだどこか欠けているんじゃないか?できないと思われるんじゃないか?」


という気持ちが奥底であったのか


周りの誰かが誰かの揚げ足をとるたびに


”自分も、他人のだめなところに気づくくらい「できる自分」でいないとだめだ”



と、一生懸命人の出来ないところを探して自分を安心させていた。


「あの人よりはできてる」という判断基準


ところが


人のことをそういった視点でみると

自分のこともそういう視点でしか見えなくなり


自分が細かなミスをするたびに


「どうしてこんなことしちゃったんだろう・・・自分はなんて駄目なんだろう」と必要以上に自分自身を責めるようになった。


世界をどう見るかは
自分にも適用される



自分がヘマをすると、信じられないくらい凹んでいた。




そこから私は仕事に行くのが怖い、少しでも失敗するのが怖いと思うようになり


「誰か自分を認めて安心させてほしい」という気持ちが


風船のようにどんどん膨らんでいった。

誰かにあなたは大丈夫だよって言われないと
怖い



そんなある日


最終的に私のことを一番かわいがってくれていた(ハゲを発見してくれた)先輩が


いつも私が笑わせると「もーまるちゃん何言ってんのよー!」と


笑ってくれたのに


日に日に顔から表情が段々なくなってきて、おかしいなと思っていたら


うつ病になった。


かなりショックだった




何かがおかしいと思った。



何かがおかしいことはみんなわかっていたけど


誰もその日々に歯止めをかけることができなくなっていた。



それでも仕事は進んでいく。当たり前に会社とはそういうものだ。



鉛のように重たい雰囲気が流れているなか


私は妊娠が発覚し、産休に入ることになった。


子供が助けてくれたと思った



申し訳ないと思う反面、この職場を離れられることにホッと安心している自分がいた。



職場を離れたらその現実はなくなるとおもっていたからだ。



でもそれは間違いだった。




この続きは


かなり私の今の人格を形作っている話になるので気合い入っているときに書こうと思いますw




次は夫とのことを書こうかな。






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