大学でのあれこれ
昨日、大学入試の話をしたから、今度はどんな大学生だったか書いてみようと思う。
僕のいた日本文学科をはじめとした文学部はいわゆる女の園だった。
だいたい男女比は2:8で女が圧倒的に多い。代返を頼もうにも男が少なすぎて頼めないときてる。
まあ、授業はマトモに受けてました。大学1.2年の頃はビッグバンドジャズの部活と距離を置きたくて授業に精力的に参加し取れる単位は片っ端から取っていきました。優とか良が成績の大半を占めていました。
恋の方はというと、中学高校とずっと小学校時代から親交のあった舞台女優志望の女性にずっと片想いしていたのですが、大学に入りその恋を諦め、新しい恋をするぞ!と息巻いていたのですが、部活と授業に忙しく、それどころではありませんでした。
多少は片想いな恋もしたのですが、実を結ぶ事はなかったです。
見てくれはずっとコンプレックスだった癖っ毛を何とかしたくて縮毛矯正したりストレートパーマかけたり、脱色して茶髪やら金髪にしたりしてました。
ストレートに飽きると今度は癖っ毛のくせに更にパーマを掛けるなどしていました。
服装もお洒落な友人に指南役をしてもらい少しずつオタク気質から足を洗っていきました。
部活では2年の時は内渉という部内のカミさん的立場になり、合宿をはじめとする部内の活動を取り仕切る立場の役目をしてました。
部では気心知れた後輩も出来たせいもあり、よく吉祥寺でお互い金がない者同士、井の頭公園で近所のコンビニで買った発泡酒を煽っていました。
大学3.4年の時は部活をジャズ研究会に変え、立場も副部長を仰せつかり、廃部寸前まで廃れていた同部の再起に燃えていました。
ビッグバンドの部活で養った新入生教育制度を取り入れ、退部者を極力減らし、部の再起を図りました。
その甲斐あって部は見事に復活し、自主独立の精神を忘れず教育制度もしっかりした良質な雰囲気の部活へと生まれ変わらせました。授業は1.2年の時に頑張ったおかげで余裕。
安心して部活に専念出来る環境を作っていきました。
また、勉強の方はと言うとゼミに傾倒し、ゼミ長を拝命したり、卒論は先行研究が殆どない近世文学の大衆読物の研究のため変体仮名の原文に当たって読み解いたりと活躍していました。
ジャズ研究会の部活では、noteの記事でも触れたオリジナル曲を拵えてみたり、ジャズ研究会同期のギタリストがリーダーのフュージョンバンドに参加して音楽活動をしたりと忙しくしていました。
サックスの練習が楽しくて携帯の電波が届かないスタジオに入り浸り、夕方17時から21時までみっちり練習してスタジオを出るとメールが携帯に大量に届く。
殆どが合コンの誘いで、慌てて連絡入れると「いまもう残念会やってるだけだから来なくていいよ」と呆れられる始末。
でもまあ学部ではなかなかの美人と僕はお近づきになり、その人とは社会人になってから付き合い婚約までするになるのですが、それはまた長くなるのでまたの機会に触れます。
青春というものがあるなら、まさに大学時代でした。趣味と勉強と片想いに全力で怖いもの知らずだった、社会人になるまでの4年間のモラトリアムでした。
母を早くに亡くした我が家では、父親から「大学で一生付き合える友達を作りな」と教えを受け、実際に今だに親交のあるのは学生時代の友人達です。同大学ばかりではなく、他大に籍を置く友人も数多く出来ました。
まさに一生モノの友情というやつです。友人の発案したビッグバンドに乗り、そのバンドは社会人バンド「たまご☆ぱびりをん」へと昇華して発足から20年近くなった今でも活動しています。
今思い出しても学生時代は燦々と輝く4年間でした。
大学行ってどうだったかと問われたら、間違いなく「行けて本当に良かった」と僕は胸を張って力強く言えます。
あのモラトリアムが、今の僕を形作ったと言っても過言ではありません。それだけ人生において大きな影響を及ぼす時間だったのです。
それでは、今日はこのへんで。