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"自分軸"で生きる
とまあタイトルにしてみました。
僕は他人の評価に左右されなくなりました。いや、左右されないというのは少し違います。プラスの評価はありがたく受け取り、自己実現のためのエネルギーに変えます。でも、マイナスの評価は微妙な自己の軌道修正のためには使いますが、それ以上の影響は受けない、と言ったところですかね。
かつては他人の顔色を伺い生きてきましたが、それだとどうにも疲れるんです。
無理せず自分を取り巻く世界と向き合って生きていくためには、揺るがない自分軸をしっかりと持ち、それに従うことが近道なんだと思い至ったのです。
それが、人生で何よりも大切だと掲げて自己の評価規準にしていた愛する妻から勝手かつ一方的な別れを告げられ、生きる意味を失い、酒に溺れ、自殺を図り、大病を患い、築き上げてきた多くのものを失った自身の学んだことでした。
でも、何も独りよがりに生きろと言ってるわけじゃないんです。
誰かに「自分が正しいんだから合わせろ」とか無礼にも強制するなんてのは論外でしょう。
自分は自分。他人は他人。思いは人の数だけあるんですから。
自他の違いを認め、広い心で受け入れ、尊重して、それらを自己の言動として表出していく。「あなたはそういう人なんですよね。分かりました。あるがままを受け入れますし、最大限尊重しますよ」と。
それがいずれ"自分"という個性を他人が大切に扱ってくれたり、個性を認め受け入れてくれる、という行動で返ってくるのだと思っています。
そういう気持ちのいい循環の中で、自分軸への確固たる自信を築いて行けるもんだ、とも。
自分軸が正解である、というとそうではないんです。
自分軸なんてものは他者との心地よい関わりの中で、影響を受けながらブラッシュアップされていくものだと思う。そうして誰かから影響を受けるには、相手の個性をありのまま認め、自分との違いを尊重し、存在そのものを受け止めていく懐の大きさが必要だ。他者への理解、と言えばそうだろう。広義で言うなら、それは愛のひとつのかたちなんでしょう。
そんな一連の考え方こそが、自分軸を大切にし、磨き上げ、確固たるものにしていく道だと思うんです。
ちょっと堅苦しくなったけど、僕はこうして今は生きてます。
でもストレスなんてないし、他者への不満もない。不満がないというより他人に評価規準を置いていないと言ったほうが正しい。最初から他人に期待しない。自分に対して良い評価をしてくれるならラッキーだと思うし、悪い評価をしてくるなら、どうしてそういう評価になるのか考えればいいだけだと思っています。
上記のようなことが、この世を生きやすくするコツなんじゃないかと思うのです。
それでは、今日はこのへんで。