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サラリーマン日記6

2日更新できてなかった。
楽しい。
土日が足りない。明日のことを考えたくない
絵を描きたい、仕事辞めて絵を描きたい。

①自分の持つ睡眠障害とそれに関係した仕事、生活についての学び。
②仕事についての学び
③なんかお勧めしたいこと

①金曜の仕事について、
 あんまり覚えてない。
 メガシャキを飲んだこともあって基本寝なかったし、意識が薄らいでいることもなかった。しかし、意識があっても仕事ができない。ひどく悲しくなる。昼間の眠気の関係でインプットの質が低いから仕事を覚えられないのか。それともこの症状が無くてもずーっと覚えられないのだろうか。仕事の適性の問題なのか、病気の問題なのか、病気に付随した気持ちの問題なのか、どうも自分一人で考えることが苦痛である。
自分の生活リズムを崩したくないのかもしれない。
プライドを守りたいだけかもしれないのかもしれない。
多分だが、自分の睡眠の症状はその生活習慣からくるものなのかもしれない。夜遅くになっても自然な眠気が来ない。昼間はあれだけ寝てるのに、夜になっても一日がそろそろ終わるなという感じがしないのだ。というかこれまで6時間睡眠とかでずっと来てしまっていたからそのリズムから崩せなくなってしまっている。
書いていて疲れた。なんか生活リズムを直そうという気になれない。これが何でなのか自分にも全く分からない。ずっとずっと思っているけどただ面倒くさいだけなのかもしれないし、このめんどくささのハードルがこれだけ異様に高いのかもしれないとか、よくわからない。
あまりエネルギーがない人間なのか、それとも仕事が苦手でそっちにエネルギーがとられているのかで生活習慣を直すとなると自分の余暇時間を減らすことになり、そうなると生きている意味がなくなる気がする。好きなことをするために働いているのに好きなことができないんじゃ生きている意味がない。残念ながら仕事で何か楽しいところを見つけられれば良いのだが、睡眠の影響でそれもできず(睡眠は関係ないかも)結局仕事が楽しくなるくらいできるようになるには趣味を捨てないといけないか、仕事か趣味の2択に案ってしまうような考えに辿りつく。本当はそこはバランスだし、適宜調整するべきなのだが、自分が迷うのが苦手なこともあり、簡単な解釈を好んでしまい、結果生活習慣を見直さず、ということになる。

自分で何が言いたいのか全く分からない。
自分の睡眠と生活については不安や迷い、感情面の結びつきが強く、そこに人や外部のものを入れることに著しい抵抗があるのかもしれない。

後ほど書くが久しぶりに映画を見た。「ぼくとパパ、約束の週末」という映画で、あらすじは自閉症のジェイソンをもつ主人公とその妻の奮闘を描いた映画で、色んな事に並々ならぬこだわりを見せるジェイソンが自分の推しのサッカークラブチームを探す(舞台であるドイツはサッカーが市民にとってより身近でとても盛ん、日常に根差し、地元愛と絡み合っている)ために、ドイツの50を超えるチームをすべて現地で試合を見て決めると言い出し、週末2人でサッカーを見に行く父と子、そしてその家族を描いている。
実話をもとにした小説が原作。
自閉症の特徴的な傾向として自分なりのルールにこだわり、またそのルールが破られることにつよい激情をえてしまうという風に描いていた。
自分の勘定が悲しくても、孤独を感じても自分のルールを守らざるを得ない。
全く的外れかもだが、発達障害的な要素は自分にも少なからずあるとは思っていて、しかし全く日常生活で支障がないし、多少こだわりがあるという程度かもしれないが、この映画の自閉症(といっても様々だとは思うが)を見て、ルールや自分の生活の流れに強いこだわりを見せるということが人間の性格のパターンの一つとしてあり、多少自分もあるのかななんて考えたりもした。生活のルールを崩すのが「性に合わない」ということである。
①長ぇな。

人事に一応、こういった症状があって的なことを相談した。
どういった選択肢や流れになるのか聞いた。
結局原因が仕事なのかそれともプライベートなのか、そして人が操作できる外部的な要因なのか、内部的な要因なのか、原因が特定できないことには会社も有効な手立てが打てないし、もちろん部署の移動とかもできるけど医師や専門の確証がないことにはこの問題の課題を解決できないということなのである。

原因の特定である。
ものすごい努力が必要な感じがしてやる気が起きないのかもしれない。
その努力をコツコツ2~3週間続けて、それで治った後も永遠に続けないといけないというイメージをしてしまっている。仕事が増えた。

・原因の特定にはエネルギーの均一化が必要と考えており、
 エネルギーの補充が余暇でしかできないため、原因の特定ができない。

②仕事ができない。数字が苦手。数字の羅列、物事の確認が苦手。
 睡眠障害で集中できず、何度もミスをする、睡眠障害でなくても抜けや漏れが多い性質なので弱点を助長している。思考を重視するため作業は苦手。基本的に仕事ができない。

自己啓発本の就職や適職系でよく出てくる「マーケター」という職種があるが、この言葉に高校3年生から大学の就活中盤まで惑わされてきたので、この言葉には消えてほしい。いろいろ書いた挙句こういう人はマーケターに向いてますよとか書いてあり、いや「マーケター」ってなんだよってなる。マーケターは職種であって職種でないような、作業として何をしているのかまるで分らない。資料作成が主な仕事の人のことをマーケターというのか、、マーケターは業界という区分で区切られないので、想像がしにくいし、「マーケター」になるには他の職種での警官が前提として必要だから「マーケター」という言葉を二度と使わないでほしい。マーケターという言葉でまとまりかけていた話が空中離散する。製品ディレクターやマネージャーということなのだろうけど。

話がそれたが、仕事ができない。
なぜ仕事ができないのかという原因探索とは骨が折れる。
原因の追究には実験が不可欠だが、この実験を行うことに対して苦手を感じている、実験には実験したいこと以外をそろえる必要があり、それをそろえるためにエネルギーを要するためである。

エネルギーを一定に保つということが嫌だし、おいそれとできないし、
それは自分で自分を楽しくない状態に連れていくという最悪の一手であるという考えが根本にある。そのため、エネルギーを一定に保つということ自体にエネルギーを使い、消費したエネルギーを蓄えるための日々の楽しみが、エネルギーを一定に保つために排除しなければいけない時間であるため、エネルギーはマイナスに行くばかりである。

ここまで書いて自分はエネルギー量が圧倒的に足りていないのかもしれないと気付いた。だから実験に踏み切れない。基本的にエネルギーがマイナスなので余暇の時間が必要になるのだ。

土日2日の楽しみだけで1週間英気を養えることがあるだろうか?
そのような楽しみを見つけることができるだろうか?
フェスに友達と行く、彼女を作って一緒に贅沢する、旅行する。
それだけだと連続になると飽きる。
キャンプに行く、グランピングに行く。
お出かけばっかりだな…
美術はここに入ってこないのかもしれない。好きは好きだけどそれで1週間は頑張れない。それよりご飯を食べたりの方が好きかもしれない。それも人と。「今日は楽しかったな」って感じの飲み会を毎週やりたい。

毎日絵を描いたり楽器を弾いたりもそこには入ってこない。毎日やる分には時間が足りない。絵を毎日書いて英気を養うなら毎日3時間は絵を描く人をとりたいし、楽器とかとなるとPCを開くので寝る直前まで作業はしたくなく、4時間半くらいは時間を取りたい。ご飯を作って1時間食べて1時間風呂入って休んでで1時間か1時間半なので、7、8時間はプライベートの時間が欲しい。21時に帰って7、8時間となると28時、つまり次の日の午前4時とかになる逆に24時に寝たいなら、17時か16時には家に帰らないといけない。
睡眠が本当は7~8時間とりたい。朝は1時間前に起きる。のこりは6~7時間となる。通勤時間を踏まえるとぎりぎり1~3時間オーバーしてしまう。

書き出してみると意外となんとかできるのか?
7時起床→8時家を出る→8時半始業→→15時終業
→16時~作業開始→18時~夕食作る・食べる→20時~作業再開
→22時~風呂・家事→23時~休憩→24時就寝→…
8時半~15時勤務だと6時間半勤務になる、休憩が入るので、6時間か5時間45分とか?になりそう。
やっぱりだめそう。

夜飯で作業を区切りたいときもそうでないときもあるが、基本区切りたくないのでぶちぎれそう。
書きすぎて疲れた。

・仕事はエネルギーを使う
・マイナスになった分は余暇で回復
・今のところ土日2日で賄える余暇はフェス、キャンプ、彼女と旅行など

③「ぼくとパパ、約束の週末」という映画を見た。
自閉症の少年とその家族のふれあい、少年の成長を描いている。
自分にもし子供ができてその子供に障碍が合ったらあったら自分はどうするんだろうと考えた。映画の中で少年の母親と父親は社会に歓迎されなかったり、衆目の中で子供が思うように言うこと聞いてくれず感情を爆発させて、目も当てられないようなシーンが多々あったが、それでも幸せが何かを悩むことはないように見えたし、完全に感情的になって子供を真っ向から否定することはなかった。絶対に一線は超えずに目を背けずに子供と問題に向き合っていた。怒りの矛先を家族に向けることがなかった。そうならないように話し合い、悲しみで消化し、向き合っていた。怒りを相手にぶつけるということは相手と自分を区別し、それは俺の問題ではないと言ってしまうことであり、この家族は違くてそれぞれが問題を当事者として向き合いながら、内在化しながら共有している。

こういう風に自分も子供に向き合えるんだろうか。
少なくとも今はできる気がしない。彼女ですら問題を当事者として向き合えない。

以上

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