努力しない人間になれ🐜究極の幸福論
突然だが、私はガチで努力をしない人間だ。
むしろ努力なんてものを、いかに避けて生きるかというのに重きを置いて生きてきている(笑)
私にとって、生きる上で
努力を無にし、幸せのみの人生で彩るというのが最重要だからだ。
☝️タイトルに驚いた人が多いかもしれないが、綺麗事抜きで、1度ちゃんと考えてみよう。
努力なんて、本当は誰もしたくない。
そんなことをしてる暇があったら好きなことだけして楽しんでいたい。
間違いなく、人類誰もが思っていると断言する。
この記事は、綺麗事抜きで本音と真実のみをズバズバ語るので、ちょっと長くなるが、幸せを掴みたい人は絶対に最後まで読むことをおすすめする。
まず世間一般には、
「努力をすること」「頑張ること」が、何事においても1番重要であり、むしろそれさえできればなんでも叶う!というような論理が定着している。
そして、皆一様にそれを信じこんでいる。
信じすぎて、鬱病などの精神病、過労死や自殺といったことまで起きてしまっている。
私は、
努力すること、めげずに頑張り続けることは、一概に正しいこととは思っていない。
厳密に言えば、努力や頑張りでどうにかなることじゃない問題が、世の中の大半を締めていると思うからだ。
つまりこの世には、いっくら人が死に物狂いで努力し頑張ったとしても、絶対的に負けること、逆らえないことがある。
それは、なぜか。
「環境」と「才能」そして「遺伝」
この3つが主に関係していると思っている。
環境や才能のせいにするな!!
と言う人も多い。
そう言いたくなる気持ちも分かる。
しかしそれは、明らかにできる努力をサボっている奴にのみだ。
基本的にそもそも、「努力」というものは、
"好きではないこと" に発生している。
好きなことなら、それを努力とは呼ばない。
たとえば私の場合、子供の頃から自分で物語を作って書いたり、絵を描いたりすることが大好きだった。
今ではそれが副業として微々たる収入が得られる仕事になってはいるが、締切に追われて毎日睡眠を削ってまでやっていても、私の中で「努力」という部類には入らない。
ただただ楽しくて仕方ない、ただの「趣味」だ。
なんなら無収入でもいくらでもやれてしまうし、全然苦じゃない。
(っていうか元々は無収入でも、生まれてこのかた数十年やってきた私のただの趣味だった)
また子供の頃から、人に何かを教えるということも大好きで、無償で家庭教師的なことをやっていたこともあるし、塾講師の仕事もしていた。
それも正直、給料が発生しなくてもいくらでもやれる。
(今思い返すと、小学生の頃から近所の子に勉強を教える時間がものすっごく好きだった。)
これも今では個人事業としてやれている仕事になっている。
世の中、ゲームを仕事にしている人もいるが、彼らもきっと大半が、ただ好きなことをやっているだけで、「努力」しているという感覚はないだろう。
私のように、「好きな事をやり続けていたら、たまたま仕事になっていった」
みたいな感じがほとんどなはずだ。
つまり、努力ってものは「勝手に他人が後付けするもの」だと思っておいていい。
「のぞみさんとか世の中で憧れる人や尊敬できる人に会うと、メッチャ努力してきたんだろうなって思うんです!」
とよく言われるが、こういう他人の後付けのことだ。
そして、ひとつ大事なことを言いたい。
「努力を努力だと思ってる時点で、好きでやってる人には絶対に適わない」
だから、"好きを仕事にできたら最強"
なのだと巷では言われているわけで、実際みんなの夢はそれだろう。
好きを仕事にできている人が成功者だというならば、成功者はすべからく皆努力しているという説はただの神話になる。
実際は、私だって努力した感覚はあまりない。
だから正直言うと、よく、
「のぞみさんってきっとたくさん努力してきたんですよね!」
みたいなことを言われるたびに、ちょっとした違和感を感じてしまう😅
好きを極めていろいろなところに手を広げたり、勘所を探って上手く行きそうなものに集中したり……そういう感じで楽しんでいたら、いつのまにか上手くいっていた。
それが、「努力だったのだ」と後付けされているだけ。
どうやらこれが世の成功者たちの真理じゃないか?と思う。
話が脱線したが、世の中において一番強いものは結局、「才能」だ。
そして、次に「環境」だと私は思っている。
※完全に持論
どんなに幼少の頃から努力していようと、ある程度のレベルまでは行けても、やはり最終的には「才能」を持つ「天才」連中には適わないと思っておくべきだと私は言いたい。
そうすれば、いざそういう場面に直面しても、ショックで立ち直れないとか、鬱になるまで自分を追い込むなんてことにはならないんじゃないかと思うし、そんなのってバカバカしいったらないだろう。
例えるならば、
キリンが食べている上の方に生えている葉を、自分も食べようとして背伸びをしている馬や牛みたいな感じだ。(永遠に食べれないし、そのうち食い尽くされているから完全に時間の無駄だ)
⬆️ちょっと例えが下手?ww
また、我々はたまたま運良く日本人に生まれたから基本的にはあまり不自由は無いが、途上国に生まれていたらどうだろうか?
才能があまりないのにたまたまアメリカで生まれたから野球をやっていたという少年と、秘めたる才能があるのにたまたまカンボジアで生まれて野球を知らないまま育つ子もいる。
ピアニストやバレリーナになれていたかもしれない途上国の少女だってきっといる。
これはもう、誰も逆らえない環境、運の域なのだ。
こないだ、こんな話を見かけた。
東大生の親の6割の年収は950万円以上である。
親の年収が450万円未満の東大生は1割しかいない。
大学受験のテストは公平である。なのに、教育環境や塾の費用など、お金持ちの家に生まれたかどうかが学歴に大きく響く。
世界トップクラスのお金持ち26人の資産を合わせると、150兆円にもなり、貧困層の38億人の資産を合わせた額と同じだという。
イタリアのフィレンツェには、納税記録が600年前から残っているのだが、その調査によると、600年前に富裕層だった家系は2011年になっても富裕層のままだった。
さらに、環境だけじゃなく、「遺伝」も絡んでくる。
学業の成績は、親からの遺伝が60%ぐらい影響すると言われている。
芸能系の職業では、顔やスタイルが大事な要素であるが、それらは遺伝で決まってしまうし、ある程度の素養があった上で、努力して痩せたり整形したりはできるかもだが、素質がないとどうしようもない。
特に、音楽の才能は9割ほどが遺伝子で決まると言われている。
「アーティストになりたい」と思ったとしても、ほぼ遺伝子次第なのだ。
努力をすることで結果が変化するのも事実だが、人生のスタート地点の違いで圧倒的な差があるときに、努力して埋めようとするのは相当難しいし、才能、能力、素質、環境が揃っている人に適うわけがない。
ちなみに私は、楽器の才能が圧倒的に無いww
3歳の頃からなぜかピアノをスパルタされていたが、中学まで習い続けていたのに今でさえ全くなんにも、マジで一曲も弾けない🤣w
リコーダーとかも結構苦手だった。
だから私は多分、いわゆる楽器の部類を演奏する才能は圧倒的に無いんだろうw
だから当然なんにも楽しくなかったが、なぜか親に無理矢理やらされていたw
(親は幼少期からピアノに憧れがあったがやらせてもらえなかったらしい。要は我が子にそれを投影していたのだろう。だから私もなんとなく、子供ながらに辞めたいなどと言えずに内心めちゃくちゃストレスを感じながらダラダラと10年も続けていたわけだ。できるようになんてなるわけがない😅これぞ、金をドブに捨てていただけである。しかもピアノの月謝ってかなーり高い!)
人は、苦手だと自覚すると、それを嫌いになってしまう性質がある。
となると、もうその時点で親などはさっさと諦め、別のこと(できれば本人が興味を示してるもの)をやらせるべきなのだ。
できないことを無理にやって、周りにガッカリされたり時には叱られたりしながら粘り続けることほど自己肯定感を下げるバカバカしいものはない。
また、私には4つ下の弟みたいな存在のハトコがいるのだが、彼は幼少期からバスケットボールが非常に上手だった。
誰がどう見ても、アッと驚かせる抜きん出たレベルで、足もスーパー速く、明らかに才能があるように見えた。
しかし一つだけ、それを妨げてしまっていたものがあり、結局最後はやめてしまった。
そう、彼は圧倒的に、背が低かったのである💨
そこだけでかなりのハンデと損を背負ってしまっていたわけだ。
他の大人や監督にも、とても残念がられていた。
背なんて、努力で伸ばせるものではないし、完全に遺伝。
どうにかできるものではない。
しかし世の中やはり、バスケといえば背の高さが重視されるし、実際1度ボールがノッポに渡ってしまえば、デケェ奴から奪い返すのはチビには至難の業。
事実、プロバスケの世界でも、チビな選手は見たことがない。
やめたハトコは勿体ないなど言われたりしていたが、とっとと見切りをつけて諦めたというその選択は、私は正解だと思っている。
このように、人類が唯一逆らえない、「遺伝」「環境」「運」みたいなものが存在する限り、多少の穴埋めはできたとしても、基本的には花開かない残念な努力というものがあるわけだ。
本人が楽しいだけの、いわゆる趣味の域でやっているというのならなんの問題もないが、
何かで成果を出したい、稼ぎたい、などと思って頑張っているというのなら、無駄な努力、無駄な時間になって終わるだけだと思う。
それは貴重な人生の中で、勿体ない以外の何物でもない。
他のことをしていたら、今頃億万長者有名人だったかもしれないではないか。
だから私も一部の成功者も、辛辣なことばかりつらつらと述べてしまう。
真実じゃない脚色されたキレイゴトで、成功なんてできるわけがないからだ。
だったら、より自分に合う確実性の高い近道をきちんと目指そうよと言いたい。
しかし、
皆、ドン底から這い上がって成功したみたいなストーリーが好きだ。
辛くても誰よりも努力して頑張った結果、ハッピーエンドという話をやたら好み、美化する。
でも実際の現実は、そうではないことがほとんとだ。
そうやって因果関係の理解を間違えると、人は不幸になってしまう。
今思うとなんだが、私は大学生になったあたりから、
自分が極力手を抜き努力をしないために、他人や事象をうまいこと使って生きるスキルを、知らず知らずのうちに身につけ磨いていたと思う。
こう書くとなんだかとても悪い奴みたいだが、別に悪いことなんて1つもしていない。
上手くサボり、上手く人と環境を操ることは、自分が成功し幸せに生きるためには必須のスキルだ。
が、ここには個々の性格やモラルだったりも影響するため、世を上手くサボりながら自分を常に幸せのレベルに持っていけるというのも一種の才能だとも思う。
(基本的にモラルを強く持つ人間ほど成功者とは程遠い性格だ。これについてはまた別の記事で説明しようと思う)
いかに努力しないか、自分が努力と思わない領域で生きるか、自分にできるできないを見極めて、賢くしぶとく上手に生きるか、
これは結果的に膨大な時間と金の節約に繋がる。
私にできたんだから君にもできる🤗とか、
頑張って続けてれば夢は叶うよ😉とか
努力は裏切らないよ!気合い!😡などといった綺麗事は、私は言わない。
努力は極力しない。
そこでできた時間を好きなことだけに使う。
これが私の幸福論だ。
ある意味、人生サボったもん勝ちなのである。