雑記-両親への感謝
4月28日、午前4時16分 NHKを流しっぱなしで書き始めます。
文体少し調整中。程よい水準を探る。やっぱり丁寧すぎても変か。
改めてご挨拶。私はパンチキン(VERY HARD)と名乗る慢性疲労症候群を23年間患う無職ほぼニートの87年生まれの35歳男性です。慢性疲労症候群の患者である自分の実態を残すべく記事や一日を振り返る日記、その都度思ったことを書き留める雑記を書いて行きます。
昨日から今日にかけては幸い少し眠る事が出来た。しかし、ZOOMで繋いで見ている父の様子が苦しそうだとやはり心配でその都度起きてしまう。父は重症の大動脈閉鎖不全症の手術を控えていて、その上で新型コロナに罹っているのだから心配なのは当然なんだけれど、そこに私の連日の憂鬱症も重なっている為に余計に落ち着かない。そして父を世話している母も咳き込む事が多く心配になる。私自身も咳が出ると不安に。
しかし、この3月に母が倒れて以来の一連の押し寄せるような困難があったからこそ得たものがあった。私がいかに両親への感謝と念と愛情を抱いているかを直視するように知る事になった。
これまでは、少なくとも3月母が倒れるまでは、漫然と自分の慢性疲労症候群やそれに伴う境遇に不満があるだけの人生で、両親の大切さについて思う事というのはあまりなかったように思う。そんな中で両親の高齢化を意識してはいても、どうしても気持ちの上では両親が居て当たり前だとどこかで思っていた。
けれど、先月に母が倒れ、しかし事なきを得たものの、すると今度は父に重い病気が見つかり、更に新型コロナにまで感染してしまって、両親の身に危機が迫ってから初めてその私がどれほど両親を大事に思っているか、もちろん依存心も含まれているだろうけれど、いかに自分が両親に感謝をし、両親を愛しているのかに気づいた。
境遇としては必ずしも恵まれてはいないし、ずっと仲が良かったかと言うとしょっちゅう何かしら衝突していたようにも思うけど、長い時間をかけてかなり良い親子仲になったと思う。けれど、そういった理屈を通り越して両親がいかに大事な存在か、感謝し愛しているのかを思い知った。
今はただ両親への感謝あるのみといった心情です。
今日も大変な一日が始まりますが、何とか頑張ろうと思います。
午前4時42分、NHKを流したまま書き終えます。
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