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真似ごとの先にオリジナルがある

きっとそうなんじゃないの。

そりゃもちろん、よくわかんないけどね。

そんな、まるで根拠がなく、フワッとしていて、
壁に語りかけるひとりごとのような話なんですが、

誰かの真似でもいいから取り掛かること

その先にしかオリジナルはないと思うんです。

喫茶店でコーヒー片手に
「やりたいと思ってるんだけどね」
と呟く人がいる。

もし何か考えてることがあるなら
ぜひ取り組んでみるのがいいと思います。

あの人の絵柄で動物を描いてみる、とか
文章をずらずら書いてみたらあの人に似てた、
あの選手のサーブを真似したらうまくいった、とか

まずは誰かが完成させた形をなぞってみて。

一つ一つ触って、組み立てて、壊してみたり。

そうした手のひらでなら何かを掴める日がいつか来るかもしれない、ただそれだけの話なんじゃないかと思うんです。

プライドを捨てて、好きに対して愚直にやる。

そういうもんなんじゃないか。

「変な奴だと思われそう」と恐怖にとらわれていては一歩は踏み出せない。

「どうせあの人の真似だ」

そんな声に心を折られていては掘り進められない。

黒歴史を製造し続けるような恥ずかしさを乗り越えて、手を動かした人だけが手に入れられる"可能性"というオリジナルのタネ。

初めのうち、それはとても小さいけれど、

「昨日のあれはなんか違うかも」
「この表現はなんだか引っかかる」

色んな角度から眺めて、こねこねと練り上げることで大きく成長していく。

そして、気づけば、
「"私なら"こうする」
と口にする。

オリジナルって素敵。

胸を張れるような"いつもの手法"が欲しくて、日々自分と向き合うというのも悪くないものです。

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