埃とわたし
掃除が昔からわりと苦ではないほうで、たまに思いついて、整理がてらにウェットティッシュで棚を延々と拭き拭きします。
棚と壁の狭間なんかは、やはり普段あまり触らない部分なので、汚れがたくさん溜まって黒ずんでいたりします。この黒ずみを徐々に徐々に取り除いていく単調な作業が楽しい。
エアコンのフィルターなんかの掃除もけっこう好きで、別に誰かに頼まれたわけでもないのに月1くらいで職場のフィルター掃除をしています。フィルター掃除手当とかつかねえなあと思いますが、ほとんど趣味でやっていることなので仕方ありません。
パソコンのキーボードの隙間にエアダスターでシュッシュするのも気持ちいい。埃がたくさん出てきてとても愉快。
愉快ってなんだ……?と、性癖を疑われそうですが、自分は埃がそれなりに嫌いではないのです。
別に好きではないです。断じて埃を推しているとかではないし、美味しそうだと思ったこともないし、コレクションもしていない。というか、速攻でゴミ箱に捨てる。発見したらその瞬間にお別れ。一期一会を地で行っている。
基本的に自分はゴミや汚物といったものからできるだけ目を逸らして生きていたいです。生々しいものや排泄物などはもってのほか。
世の中は広いので、そういったものを愛でる文化もあるところにはあるそうですが、ちょっと自分には難しい。
でも、埃にはなぜか、あんまり生々しさがないような気がする。大抵は固形物で、ネバネバしたりギトギトしたりドロドロしておらず、なんかこう、サラッとしている。
埃に対してその表現が合っているのかどうかの自信はありませんが、他の種類のゴミに比べて、エグみやグロみが少ないような。
埃というのは繊維のクズが固まってできたもので、砂や綿などから作られますが、家庭内の場合は、ほとんどが衣服の糸が原料なのだそうです。
服を着ているうちにだんだん糸がほつれてくるということがありますが、そのほつれがいつの間にか取れて転がり落ち、やがて熟成されると立派な埃となる。
埃にも色の薄いやつと濃いやつがありますが、濃いやつほど熟成期間が長いものと思われます。そのぶんコクがあって臭みが激しいのですが、そういう年代ものを見つけると、妙な興奮を覚えますよね。……え?おまえは何を言っているのかって?
小学校では、年に何度か、大掃除の日というのがありました。
基本的に小学生男子のほとんどにとっては、掃除なんて胸が躍るイベントではなかったはずですが、自分は掃除大好きっ子でして、掃除を頑張ったで賞に表彰されたことがあるほど。
なので、いつもの掃除の拡大版である大掃除は、それはもう待ち遠しい行事で、オールスター感謝祭と同じくらいに季節の変わり目の楽しみでした。
いつもは使わないような一斗缶のよくわからない洗剤を、先生が床一面にドバーッと撒き散らすのがまず爽快。甲子園の始球式のようにワクワクする。
それを雑巾でひたすら拭いていく。雑巾はいくらでも使っていいという。この解放感。ユーチューバーがガチャに大金を注ぎ込む動画のように夢がある。
いつもは5時間目が始まるまでに終わらせないといけないのですが、大掃除の日は制限時間がない。
なので、普段はスルーしているような掃除用具入れの周りまで掃除する。教室の中でいちばん汚い場所って、実は掃除用具入れだったりするので、まあ出てくるわ出てくるわ、大量の埃たちが。
「かもすぞー」と喚きながらそのへんでわちゃわちゃしている『もやしもん』の菌たちのように、「くさらすぞー」とか言っていたらかわいいのですが、埃に意思はありません。
いや、もしかしたら意思が存在するのかもしれませんが、現代の科学技術では解明されていません。
もしそれが解明され、埃と話し合って和解し、有効活用ができるようになれば、我々の生活は豊かなものになり、埃は捨てられずに済み、ゴミが減りCO2が削減され、Win-Winの関係になれるはずです。
そのような未来に期待を馳せながら、たぶん自分が生きているうちには無理そうなので、マンションのゴミ捨て場へと向かいました。さようなら埃たち。