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「#私のコレクション」を書ひてみむとてするなり

春の連続投稿を推奨するnote公式さんの3つめのお題は、「#私のコレクション」です。

2つめのお題は「#新生活をたのしく」なのですが、自分はどこにも入学も転職もせず、人間関係もそう大きくは変わらないので、つまりネタが浮かばないため飛ばしました。というわけでコレクションについてですが、特にありません。

それでは話が終わってしまうのですが、昔から、あまりコレクター趣味がないのです。

毎晩コロコロコミックを抱いて寝ていた小学生の頃は、ミニ四駆、ビーダマン、ハイパーヨーヨーの偽物のスーパーヨーヨー(本物は高くて買えなかった)、プラコロ(ポケモンを四角くデフォルメしてサイコロ状にしたもの)、プラモン(ポケモンのプラモデル)、たまごっちに便乗して登場したドラえもんっち(育成ロボットであるはずのドラえもんを育成するという、今にして思えばドラえもんズなんかよりよっぽど原作リスペクトを感じられない商品)など、コロコロ誌上で紹介されていたホビーはほとんど買って楽しんでいました。

ホビー。ホビーです。決してオモチャではありません。コロコロキッズたちは生命を懸けてミニ四駆やビーダマンに臨んでいるので。のむらしんぼ先生著『コロコロ創刊伝説』でもそう主張されていました。

ちなみに、ビックリマンチョコは自分よりちょっと上、ベイブレードは自分よりちょっと下の世代なので、このふたつは通っていません。

さらに、自分の世代にド直球、というか、自分の世代が元年であろうホビー(しつこいけどオモチャではない)で、ほとんど触ったことのないものがあります。

カードゲームです。

ポケモンカード、デュエルマスターズ、マジック・ザ・ギャザリング、これらはコロコロでもよく特集されていたし、他誌発祥の遊戯王カードは、もはや社会現象にまで発展しました。

この頃はまだ転売ヤーという単語はありませんでしたが、レアカードを高額で販売する悪い大人が世に現れたことがニュースになったのです。

自分の周りにもポケカプレイヤー(ポケモンカードをする人)やデュエラー(遊戯王カードをする人)はそれなりにいたと思うのですが、なぜか自分は食指がぜんぜん動きませんでした。カードを集めて楽しいのか?と。

それ以前から、あまりカードやシールに興味を惹かれることがなく、忍たま乱太郎チューイングキャンディのおまけのシールは秒速で棄てていたし、Jリーグチップスの選手データカードも棄てていました。

忍たま乱太郎チューイングキャンディは、応募券を集めて送ると、暗闇で光る腕時計がもらえたので、応募券は集めていましたが、腕時計が送られてきて以降は、もちろんそれも秒速で棄てました。

しいていえば、ミニカーは300台くらい家にありますが、コレクションというよりは、小さい頃、日曜日にイズミヤに行くたびに親に買ってもらい、たまにおじいちゃんと散歩に行くたびに道中のクマオ(個人経営の小さなスーパー。店主が亡くなられたので今はもうない)というのを繰り返しているうちに増殖しただけで、集めているという感覚はありませんでした。

当然のごとく、ショーケースに入れて保管などしていないので、現存しているすべてのものが訳ありミニカー。

世の中には改造用キットとしてそういった訳ありミニカーを欲している人が一定数いるので、メルカリに出せばそれなりの儲けになるとは思うのですが、現実の友達よりもミニカーの友達のほうが圧倒的に多かった幼少時に世話になった俺の相棒たちを棄てることができない。

『トイ・ストーリー3』の時のアンディの倍の年齢になろうというのにそれもどうなんだという感じだが、ここまで一緒に暮らしてきたからには、もう一蓮托生である。

ミニカーといえば日本人ならばほとんどの人がトミカを思い浮かべるでしょうが、かつてそのトミカと人気を二分していたのがマジョレットです。今でもイオンのお菓子売り場にありますが、大抵は隅っこのほうで所在なさげにしていることが多く、目立つ存在とはいえないのに諸行無常を覚える。

1990年代初頭から中盤にかけては、そこそこの規模のスーパーならどこにでも置いてあり、専用の陳列棚が用意されているくらいにはお馴染みの商品だったのに。

親にイズミヤで買ってもらっていたのはトミカですが、おじいちゃんにクマオで買ってもらっていたのはマジョレットでした。日本のメーカーであるトミー(当時)が販売していたトミカは日本車がメインでしたが、フランスのメーカーが造っているマジョレットはヨーロッパ車がメイン。

当時のトミカのラインナップにあまりなかった庶民的なセダンが多いのがお気に入りでした。

まだミニバンやトールワゴンがファミリーカーの主流に切り替わる前だったので、街を走る車は圧倒的にセダンが多く、その日に見た道路の景色を脳内で再現しながらミニカーを転がすという独特の遊び方をしていた自分としては、セダンが多いと助かったのです。

この遊び方が独特だと知ったのは随分と後になってからで、一般的な男の子はミニカーでそんなことしないらしい。

その一方で、アイスクリームの移動販売車やピックアップトラックなど、日本でも存在はするもののあまり身近にはないタイプの車もあって、マジョレットが手に入るおじいちゃんとの散歩はとても楽しいものでした。

ちなみにこの散歩でのおじいちゃんとの会話のほとんどは、「路上駐車、いくらなんでも多すぎだろこの町……」でした。ネタではなくマジでほとんど毎回そうだった。

これはそういう時代だったからというわけではなく、おじいちゃんが亡くなった2018年に再訪したときも路駐だらけでした。町内に交番がなく、取り締まられることがないのでユルユルなのです。

昔よく行っていた床屋さんの近くには、ナンバープレートのないワゴンRが鎮座していた。自分の放置車両観察趣味は、間違いなくここで形成されたんだな。

自分の幼少期を形成したトミカやマジョレットと、可能かどうかはわからんが、できれば最期まで添い遂げたい。と言いつつ、めちゃくちゃ金に困ったらメルカリに流してしまうかもしれんが。

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ぷらーな
サウナはたのしい。