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SNS時代、苦しくなったら意識したい「意味のある比較」と「意味のない比較」

こんにちは。ぷくともです。
何やら月一更新が定着しつつある私のnoteですが、久々に書いていきます。

実はここ最近は何かと悩むことが多くて、もがいていました。
そして、その「悩み」の大半が「比較」から発生していることに気づきました。

発信する立場の人が増えたいま、
もしかしたら同じような「悩み」を抱いている人が増えているかも?と思い、記録として書き留めてみます。

便利な尺度に踊らされる日々

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多かれ少なかれ、人は「比較」をする癖があって、「比較」に興味があるのかもしれません。
テレビをつければ、いつもやっているランキング企画。
・今週のニュースTOP10
・運勢ランキング
・視聴率ランキング
・音楽ランキング
・名場面ランキング
…etc

時折、「それを比較する意味はあるのかな」と疑問に思うこともしばしば。でも、気づいたら私も無意識的にあらゆるものと比較をしていたのです。

比較する時に便利な尺度となってくれるのが数値。
発信をしていると、この数値たちを気にしてしまう瞬間が多くあります。

・YouTubeの再生回数
・YouTubeの登録者数
・TwitterやInstagramのフォロワー数
・いいねの数
…etc

時には過去の自分と比較をしたり、
時には同じように発信している人と比較をしたり、
いつもいつも何気なく比較をはじめてしまう。

比較の先に浮かんでくる悩みは、成長のために必要なものもあるのかもしれないけれど、ただただ自分の心を苦しめるだけになってしまっているものもあります。
また、あまりにもそれらの比較ばかりに目を向けてしまうと、「本当の自分」や「やりたかったこと」さえも見失ってしまうことに気づきました。

意味のある比較と意味のない比較

アドラー心理学を解説した書籍「嫌われる勇気」の中でも比較によって発生する劣等感について言及されています。​

”健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、『理想の自分』との比較から生まれるものです。”

昨日の自分よりも成長していて、少しずつでも前に進めていればそれでいいのだと…。
悩んでいる時にこの本を読むと、いつもスッと心の中に入ってきて、諭されているような気持ちになります。

でも、時間が経つとまた「私は○○さんよりも劣っている」「もっと頑張らないと認めてもらえない」と、、よくない沼にハマりだすのです。
でも、その沼にはまっていることに気づけたなら抜け出すこともできるはず。

「意味のない比較はやめよう」
と思っても、長年培ってきた脳の癖は中々抜けません。

だから、

ただ目の前のことに集中するだけでいい。
「今」に夢中になって前に進んでいたら、気づいたら理想の自分に近づけているのかもしれません。

このnoteは、自分と同じように苦しむ誰かに届けばと願って書いてみました。

「今」に夢中になって、楽しめますように…♪

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