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広島に原爆が落とされた日に

今日は広島に原爆が投下された日だ。
まずは、犠牲者のご冥福をお祈りします。

娘たちの亡くなった父親は広島の人だったから、彼女らには広島の原爆は身内の事でもある。
昔、夏休みの宿題で、原爆のことをおばあちゃんから聞いたことがあった。
おばあちゃんは正直なところ「思い出したくない」感じだった。
まだ小学生だった孫にあの悲惨な状況をどう伝えたらいいのか…
でも、静かに語ってくれた。

おばあちゃんはあの日、広島市内より一山こえたくらいの場所に疎開する途中、電車がめちゃ揺られたらしく、そのとき投下されたらしい。
運命が大きく変わった瞬間だ。
父親は荷車を引いて疎開先に行くとき被爆し、結局原爆症で若くして亡くなった。

おばあちゃんは、母親と、なかなか来ない父親が心配で、家に向かって探し歩いたらしい。
そのとき、向こうからくる黒いかたまりをよく見たら人で、腕からなにかが垂れていて、皆、魂が抜けたよいに腕を前に出して歩いていたらしい。
それは、腕の皮が垂れ下がり、振り袖みたいになっていたのだ。
見るも無残。
何があったのかもわからない。
ただただ恐怖でしかなかったらしい。
後日、実家を探しに行くも、原型をとどめず。
しかし、母は強し!大工仕事も得意だった母親は、家を自力で立て直したんよ。と語ってくれた。
たぶん、母親も被爆はしただろうが、102歳の長寿を全うできたのは幸いだった。

「痛い、痛い」言いよるけど、どげんすることもできやせんし、バタバタ目の前で倒れよるんよ。
たいぎいし、思い出したくないんよ。苦しい思い出じゃ。戦争は絶対にいけん。

今でも、この言葉は忘れられない。

戦争、核兵器の使用は絶対にしてはいけない。

また、おじいちゃんの体験も聞いたが、お兄さんがちょうど被爆地の銀行にいたらしく、跡形もなく消えてしまった。
でも、なぜか財布を近くで見つけることができたらしかった。

戦争中ではあっても、普通に生きていた日常を、一瞬にして奪われた人の悲しみ。

川には水を求めて人がやまのようになっていたとも聞いた。

こういう実体験をした人の話は、少しでも語り継いでいかないとダメだとおもい、今日の日に記し残しておく。

子供が小さいころ、夏休みにおじさんがボートで無人島に連れて行ってくれた。
でもそのボートに乗るためには、あの川からのらなければならず、足を踏み入れるのが本当に怖かった。
どんな思いで、この川に飛び込んだのか…考えるだけでつらかった。
だから、あまりボートに乗りたくなかった。
さらに、その川にはしじみがいっぱいとれて、持って帰らされたけど、食べらなかった。
あの川で亡くなった方を思い、廻向をたむけた。

犠牲になった方々の供養には二度と悲惨な戦争を繰り返さないこと、そして語り継いでいくことだと信じている。

広島から出た岸田総理は東京育ち。あの人は本当にわかっているんだろうか…。


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イイダケイコ
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