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生活に必要なものは本当に少ないと教えてくれる200人の小さなコミュニティでの生活

私はオーストラリアのど真ん中の場所に位置するAMATAコミュニティで働いています。

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毎日の通勤路はこんな感じです。

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東京で働いていたときの満員電車からは全く想像がつかない、赤土の上を歩いて仕事場へ向かう生活。
目の前には岩山、崖、THE乾燥地帯という水を求めている植物、あまりの暑さから燃え灰となった木、水分と食料不足でフラフラの犬猫、そして毎日のように産まれ増えていく犬猫。

アスファルトの暑さではなく、地面からジリジリと、風はサウナのような熱風。

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赤土と聞いて頭に浮かぶのは『世界の中心で愛を叫ぶ』での感動的なシーンでしょうか。この近くキングスキャニオンで撮影を行われました。
そして先日、2019年10月に観光客向けの登山が恒久的に禁止となりました世界遺産であり世界で2番目に大きい一枚岩と言われているエアーズロック(ウルル)もあります。

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またこの近辺にはアボリジニの人が住むコミュニティ(自治区)があります。
そのほかにもコミュニティという括りでなくても、複数の家族のみが生活をしている場所(彼らはhomelandと呼んでいます)も点々とあります。

南オーストラリア州にある大規模で人口が少ない自治区を
Aṉangu Pitjantjatjara Yankunytjatjara(APY lands)と呼んでいて
その中の1つであるAMATAコミュニティという場所で私は生活をしています。
人口200人のうち90%はアボリジニの人。
残りの10%は教育施設や医療機関などで働く様々な地域から来た人が住んでいます。私もその中の1人です。

そもそもアボリジニとは、、
オーストラリア先住民で、採取狩猟民族として知られています。
オーストラリアの都心部や内陸部様々な場所で広範囲にかけてアボリジニは住んでいますが私はPitjantjatjaraを話すアナング族とこのAmataコミュニティで暮らしています。

この私のいる地域に住むアナング族は今もカンガルーやトカゲを自分たちで狩りに行き、木の実や虫を採りに行きます。必要なものは採取狩猟しに行き、そこで手に入らないものはお店で手に入れる。
そんな生活をしています。

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アボリジニが住むコミュニティであり、アボリジニしか住むことができない環境です。
しかし私はコミュニティ内にある施設で働くためオーストラリア政府からPOLICE CHECKを受け無事許可を得れたため、コミュニティに特別に入らせてもらっているという状況です。

彼らが生活をしている場所のため観光で行くことはもってのほか、コミュニティへの道路は舗装された道ではないため個人で行くことは難しいです。

そんな場所に行くことができたきっかけや行くことを決めた理由に関しては、
また違う記事でシェアできたらなと思います。(少し長くなってしまうので)

コミュニティ内にあるものを簡単に説明をすると、下記のものがあげられます。
この施設はすべて政府によって支援をされています。

小売店 →私はここで働いています。
食料品、衣服、玩具、日用品、家電、車のタイヤや部品など。車生活のため、ガソリンスタンドとしての機能もあります。

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教育施設
高校生になると街(近くにあるアデレード)の学校に行きますが、それまでの間は5歳くらいから15歳までは皆同じ学校に行きます。2、3年前に政府によりプールをつくってもらい海や水とはかけ離れた環境にオアシスが現れたような感覚で、子供たちは毎日泳ぎに、涼みに行っています。学生だけでなく、私たちも利用することができます。

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医療施設
わざわざ近くの街に行くのにも車で4時間くらいかかります。緊急の場合は小型飛行機で行きますが、それ以外のときはコミュニティ内で安心して治療していただけるようになっています。私もお腹を壊した際にお世話になりました。

警察署
人だけでなく、動物が多いオーストラリアでは迷子になってしまったカンガルーを救助している光景も目にしました。

老人ホーム
老人ホームのような機能をしている場所があります。
家族と離れて暮らしている人や1人ではお金の管理、掃除など身の回りのことをするのが難しい人に対して手伝いをします。買い物が大好きでたくさん買いすぎてしまう人に私も毎日買い物のお手伝い、お金の管理をします。
定期的にBBQや映画鑑賞が行われるため、私も一緒に楽しみます。

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アートセンター
アボリジニの人はアートがとても有名で、オーストラリア国内だけでなく、世界中のギャラリーで展示をされ高く評価されています。
コミュニティ内にも至るところにアートが溢れています。このAMATAコミュニティにもたくさんのアーティストがいて、家族や自然、動物、自分が見てきて景色を大きなキャンバスに表します。ドットを使ったアートがよく知られていますが、若い世代の人は細かいドットアートを受け継ぎつつ、大胆に大きなドットを使用したり、水色、黄色やピンクなど明るい色を選ぶ人もいます。
ペイントだけでなく、狩猟で使っていた槍、木の実から作ったアクセサリー、木材を燃やし絵を描いたり、狩猟民族ならではの、自然の中で生きている彼らの知恵からできたアートが溢れています。生活雑貨として使われていたものが今はアートとして高く評価されています。

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コミュニティ内の清掃をしてくれる人たち
道端にゴミ箱が少ない、ゴミ箱が近くにあってもゴミをポイ捨てしてしまう人が多いですが、コミュニティ内の清掃をしてくれる団体があります。
ここでは多くのアボリジニの人が働き週に数回、家のゴミ回収にも来てくれます。

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ラジオ局
コミュニティ近辺でしか聴けないですが、アボリジニの人がパーソナリティとなりニュースや音楽を流してくれます。
エアーズロックが登山禁止となった時には取材に行き、当日のセレモニー(アボリジナルピープルにとって登山禁止となることはとても嬉しいことであるため、お祝いという表現になります。)で行われたバンドフェスやダンスフェスの様子を伝えてくれました。

教会
キリスト教徒が多いため、礼拝にいきます。
毎晩歌を歌い、踊りアボリジニの人の素敵な笑顔や表情が見れるとても大切な場所です。

上にあげた施設では対応できないことは、街に連絡をして適宜コミュニティに足を運んでもらいます。
私の家のドアノブが壊れたり、電気がつかなくなった時も数日来てくれるのを待ち、修理をしてもらいました。

コミュニティ内にはお店が1つしかなく、全ての生活資源はそこで調達するしか選択肢はないという環境です。もちろんレストランは無く自分で毎日食事を作ります。
街からの配達は週に1回で、何か物が足りなくなったら次の週まで待ちます。
前にお店の冷蔵庫内の飲料がすべて無くなってしまうということもありましたが、次の週の配達まで待ちます。
逆に週に一回の配達日は彼らにとって、1番の楽しみであり何が届いたか、何か新しいドリンク来たかなとみんなが真っ先にお店に走りにくる日でもあります。そんな楽しみ私は今まで味わったことはなかったです。

今まで生活をしていた日本では何か欲しいものがあれば、
お腹が空いたら、数えきれないほどの選択肢の中から選ぶことが出来ました。

たくさんの選択肢から選ぶことは値段や商品を見て、第三者の意見や口コミを参考にして、本当にいい商品なのかを確認し、ひたすら比較をしてやっと購入にいたります。そんな買い物の仕方をいつの間にか当たり前のようにして、自分の目だけではなくて他者からの意見も参考にして意思決定をしています。

安くても美味しいものはたくさんあり、コンビニでも満足のいくものが溢れていて。
空間が商品となっているお店や何年も変わらない味のお店などそのときの気分と誰と行くかにより複数の候補から選ぶことができます。

そこから選択肢は1つという環境に移り住み、はじめはどんな生活が待ち受けているのか全く想像がつきませんでした。
それほど今まで選択肢が溢れている環境にいたから。

実際に生活を始めるとなにを心配していたのだろうかと考えるくらい、
選択肢が限られた生活は迷う手間がなく、今まで生活をしてきた選択肢が溢れる環境よりも心地が良く、簡単で、快適な生活を送ることが可能であることを知りました。
そして何より食を外で食べずに自分のそのときに食べたいものを自分のお店で買い自分で作るのはこの上なく楽しい時間であることを知りました。
これが自分でつくった野菜で、果物でとなったらさらにわたしの気持ちは幸福と充実で満たされるのだろうなと。

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生活スタイル、言語、文化異なることはたくさんありますが、毎日笑い、喜び、怒られ、怒り、涙し、大声で叫び、時にははひっそりと小さな声で秘密の話をし、たくさんの感情を共有することで私は彼らのことが大好きになりました。
大きな影響を受け、大きな経験となる毎日です。
この僻地AMATAコミュニティでそんな冒険がはじまることを到着した時の私はまだ知りませんでした。

これからそんな生活で見ている景色を共有できればと思っています。


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