「いなくならないから」って言われたい。皆もそうでしょ?
映画「正欲」を観た。
原作は朝井リョウ。私の大好きな作家さん。
原作を初めて読んだとき、私はものすごく暗い気持ちになって、自分の愚かさを突きつけられた様な気持ちにもなった。
読んでから、自分の頭の中を言葉に変換する作業に半年かかった。
でも今回の映画は、原作を読んだうえでの鑑賞だったから、記憶が鮮やかなうちに感想を書こうと思います。
映像に関する知識がないので、原作との違いや、映画を観たことで増えた解釈についてメインで話します。
詳しい内容についての言及はしないつもりです。
映画を観て最初に思い浮かんだ言葉は「人との繋がり」
冒頭からずっと暗い雰囲気が続く映画だったけど、鑑賞後に希望を感じた。
原作を読んだときには、あまりピンとこなかった朝井さんの言葉
この言葉の意味に納得できる映画だった。
「繋がり」という言葉は、原作にも繰り返し出てくる言葉だけど、
原作を読んだ時はそれ以外の印象が強くて、
頭を殴られた気分だったから、ぜんぜん覚えていなかった。
でも、結局のところ主題は「人との繋がり」なのだと映画を観て思った。
小説の内容をそっくりそのまま2時間程度の映画にするというのは無理な話だから、もちろん原作から削ぎ落された設定や場面はある。
原作ではラスト手前だった場面が、映画ではラストとして採用されていた。
これがものすごく良かったというか、さっき引用した朝井さんの言葉が腑に落ちるラストになっていて、観て良かった。
映画化されたことによる変化でもう1つ印象的だったことがある。
私は、小説の良さの1つに、
「”口には出さないけど思っていること”も書かれるから、人物の心情を理解した上でその世界を見ることが出来る」というがあると思っている。
ただ、映像でそれを表現するのは難しい。
心の内をナレーションにして入れるという方法もあると思うけど、そういう映像はコメディ寄りのものが多い気もする。
原作を忠実に再現することを目的としているのなら良いかもしれないけど、映画も1つの表現媒体だと捉えるのなら、映画にしかできないことをやって欲しいよねって私は思うタイプ。
だから、地の文に心情が書かれている作品が映像化する時、どうやって表現するんだろうという気持ちで見ることが多い。
特に今回は「性欲」を扱っていることもあって、
あの場面や設定をどうやって説明するんだ…?という気持ちだったけど、
思ったより直接的に表現するんだなと。
意外だったけど、映画だからこそ出来る演出がされていて、やっぱり違う媒体で新たなものが見られるっていいですね!!!という感想でした。(浅い)
あとは、ある2人のシーンも印象的だった。
原作を読んでいた時は、片方に感情移入した状態で両者がぶつかるというか、一方的に殴られる(比喩)から、えぐられた場面。
突き放された人物に同情しつつ、でも庇いきれないよなって思ってた。
映画では少し見方が変わって、その人物の芯が見えたような気がした。
これはたぶん、普通に俳優さんらが凄い人だったんだと思う。
読書中の私の想像力が足りなかった。
こういう事にも気が付けるから、映像化好きです。
長々と書いてきて、やっとタイトルに触れます。
映画で印象に残った台詞が「いなくならない」
「いなくならないでね」「いなくならないから」
2回くらい出てきたと思います。
これは原作でも出てくる台詞なんだけど、映画ではより印象に残るようになっていた。
ずっと暗い雰囲気の話だけど、唯一明るい場面があって、
観ている側もホッとするんですよね。
ずっと孤独だった2人が、唯一の共感者・理解者に出会って、共に生きることを選択する場面。
初めて、生きることを前向きに選択した場面。
登場人物と全く同じように共感することはできないけど、
孤独や、他人を拒絶する気持ちに共感する人は多いと思う。
だからこそ、やっと見つけた理解者といたい。
貴方しかいないから、いなくならないでほしい。
私も、いなくならないから。