見出し画像

学生生活の振り返りと適性について

 私は学生時代、大学の将棋部に所属していた。藤井ブームが起きる数年前のことだ。その将棋部は全国大会でも優勝する強豪校であったが新入生向けのチラシに初心者歓迎と書いてあり、また両親も頭が良くなってほしいという願いがあったため、あまり深く考えることなく入部した。

 しかし入部してほどなく私は将棋のセンスの無さ(地頭の悪さ)に絶望した。いくら詰将棋や先輩・顧問に対局指導をしてもらっても全く上達しなかったのだ。同じく将棋の経験がない同級生はみるみるうちに上達し、段位レベルにまで到達したのに対し、私は成長が見られなかった。

 もともと幼い頃から知能指数は低いほう(IQ85)であり、将棋のような頭脳ゲームには向いていなかったのだ。将棋をするほど自らの知能の悪さを思い知るようになり、また部内での居心地も悪くなり私は将棋部を1年ほどで退部した。

 もし昨今のブームでお子さんに将棋を習わせたい親御さんがいるならお子さんの適性に合っているか考えることをお勧めしたい。いくら将棋を習わせたところで頭が良くなることは無いだろうし、自信も無くしてしまうだろう。人間には何事も適性があるし、そもそもどんなことにも適性がない人間もいる。親御さんがどう願ったところで適性は変えられないのだ。

 しかし、適性が無い(無能)からと言って悲観することはない。無能には無能なりの人生の送り方があるのだ。わざわざ能力がいるようなことをしなければいいのだ。将棋が下手ならしなければ良いし、運動が苦手ならしなくても良いし、歌を歌うのが下手であれば歌わなければ良いし、ゲームが下手であれば(以下略

 それら全てに適性が無ければ(いわゆるうんこ製造機)、好きなYouTubeをみたり、音楽を聴けば良いではないか。家でゴロゴロするのが嫌であれば近所を散歩するのも良いかもしれない。他人と争う必要はどこにもない。

 無能は無能なりに人生を楽しもうではないか!

 全世界の無能に幸あれ。