いつか南国にいる
なんでみんな駄々こねて暴れてないの。すごくない?
今年とってもスーパースペシャル寒くない???私だけ?????
私はというと、寒さに動揺しているだけで一日が終わりそうなくらい寒さに打ちひしがれて生きている。
平常心を保っていられない。
いくら家の中を温めてもどことなく冷える足元とか、背中とか、さっき送迎の時に浴びた木枯らしとか、そんなあれそれがあまりにショックで疲れ果ててしまう。
先日、昼食を頂いた飲食店がべらぼうに寒かった。店内に入った瞬間に危機感を覚えるほど寒かった。
周囲を見回してもみんな平気な顔をして食事をしていて、私ひとりが我慢弱い人間だと思いたくなくて平然と食事をしたんだけど、記憶に残っているのは紫キャベツの千切りと、あとはただ寒かったことだけだ。
とにかく寒さで思考が麻痺してしまって気もそぞろだったし、あの寒さのインパクトを超えるものが存在しなかった。そのくらい寒かった。寒かったのでトイレに立つ気にもなれなかったし、トイレの記憶もない(出先のトイレを見るのって本来とても楽しいよね)。
今日も相変わらず寒い。
末っ子を幼稚園へ送って、帰宅して、車から降りようとするその時に失神するかのように睡魔がやってきた。寒いと眠い。
車のほかほかシートに温められたお尻から睡魔がやってくる。車を降りたら3メートル先のドアまでは木枯らしにあてられる。その恐怖とお尻のぬくもりが睡魔を猛スピードで呼んでくる。
「外に出ると危険。可及的速やかに気を失わせよ。尻を引き続き温めよ」
防御の力はすごい。
ああ、車から降りないと、と眼をこじ開けたそばから首がポキンと折れてしまう。睡魔が私を離してくれない。
それでもやるべき仕事が私にもあるし、私だって人間だし、人間らしい活動をしなくてはと、どうにか車から降りるんだけど、3メートル先のドアを開けるまでのその木枯らしに心身ともに痛めつけられてしまうのだ。家に入ったその瞬間にもう悲しい。とても悲しい。今ものすごく寒い目にあったことが悲しくて嫌だ。
なんであんなに寒かったの、と思えば今は世の果てにいるような気持ちになって絶望してしまう。
悲しいのでガスヒーターをすぐにつけて背中を温める。
正気を取り戻すのだ。正気を取り戻して人間活動をしなくてはいけない。
やるべきことをやらなくては、と思いながら言わずもがなまた船を漕いでしまう。もう一生立ち上がれないような気さえしてくる。
世の中の人たちはほんとうに、今、このとてつもなく寒い日に外を歩いたり、仕事をしたりしているんだろうか。
実はみんな昏睡の中にいて、私ひとりが起きていて、実は実は、最も勇敢なのはかろうじて起きているこの私、ということにはなりませんか、と夢と現を行き来しながら思う。
お願いだからみんな寝ていてほしい。こんなにだらしがないのは私だけだと思いたくない。どうかみんな「ここんとこ寝てばかりでさ」って言って。ね。
子どもじゃないんだから我儘言わないの、と思いはするんだけど、でもほら、子どもはいいの風の子だから。うちの子だって何回言っても半袖半ズボンで登校していくし。
寒いのは大人なんだから。大人は寒くて駄々こねていいよってことにしませんか。
*
私はこれでも北のほうの生まれなんだけど、だからって寒さに強いということは全然ない。全然ないからこんな体たらく。ほら見て。
寒いのはもうほんとに飽きてしまったし、あの永遠に続くみたいな冬をもう二度と経験したくないから寒さから目を背けて生きていたい。
雪なんてほんとうにまじで1ミリだって嬉しくないし、あのスノーブーツの中に侵入してきた雪の冷たさとか、手袋の中で指先がしんしんと冷えてくる感触とか、うっかり背中に入った雪とか、もう全部おなかいっぱいだ。
先日もこちら南国三重県にそこそこの雪が降ったんだけど、はしゃぐ夫と子供を私はただ二階の窓から見ていた。正確にはちらっと見てお布団にもぐりこんだ。
あの数日後、幼稚園のお母さんたちがカメラロールの雪遊び写真を見せあいっこしていたけれど、私のカメラロールの写真は網戸越しだったのでお見せするのを自粛した。最近のカメラはちゃんと網戸の網目も映ってすごいね。
私の愛する南国三重県にあんなに雪が降るなんてショックだった。
そんな厳しい顔をしないで、ずっと朗らかに笑っていてほしかった。
*
とにかく寒い。人間活動に支障が出るくらい寒い。
寒くて体が冷えたりするのも嫌だけど、寒いという事実が一番嫌だ。自分が今寒い世界にいるということがいちいちショックなのだ。
私はコアラみたいに永遠に温暖な世界線で生きているという設定になりたい。寒さと関係のない生き物になりたい。
とってもかわいいお顔をしたYoutuberの女性が整形を繰り返すことについて「なりたい自分でいたいから」というようなことを言っていたんだけど、私がなりたいのは紛れもなく「寒さに無縁の人」だ。
寒さを私から完全に排除して健やかに1年を過ごしたい。
南国にいる自分を想像していつかあれになる、と思っている。
南国にいる自分に憧れている。
また読みにきてくれたらそれでもう。