命はどこへ向かうのか
人は生まれ死んでいく。
それこそいっちばん最初というのはお肌もちぷる若さ100倍の赤さんなのだが、次第に歳を取るにつれてヨボヨボシワシワのおじいちゃんおばあちゃんに成長して老化していくのだ。
なんだか初々しい蕾が綺麗に咲く花になって、それが枯れていくのと殆ど同じように思えるが自然の摂理だからこれは仕方がない。
だからこそ遺伝子というのを次世代に残したくなるのだろうな人は。
そしてふと僕は思った。
この命のバトンに最終的なゴールはあるのかと。
地球誕生からおよそ46億年もの長い歳月を経て、生命誕生から約36億年が経ち、それからもっと長い年限を渡ってようやく約500万年前に生誕した人類だがやはり不思議だ。
でもまぁあれか、人類も他の例に漏れず滅びていくのかな。
いくら高い知能を駆使して地球を支配する高等生物だと腕を組んで余裕の表情をしていても悲しいかな、その正体は神の使いなどではなくサルもどき。
霊長類の枠を超越することのできないチンパンジーの遠い遠い兄弟だ。
そう考えると、なんだかヒトというのが一気にちっぽけに見えてくる。
動物園のサル山の猿を指差して無邪気に笑う子供も、結局は学校という檻に捕まっていて、そこで絶対的な支配権を行使して教鞭をとる先生も国というより強固な檻とルールに縛られて生きているのだ。
じゃあその国はどうかというと他にも沢山あって、それでいて地球という巨大な水槽からはみ出ることはない。
それでも地球は絶対ではなく、太陽系があってそれより大きい銀河があってその上には銀河団、そのうえ聳え立つのは超銀河団。
はぇ〜、宇宙って広いなぁ。
逆にそう考えると地球せっま。
宇宙が終わる終わらない論争している間にどうせ地球なんか滅びてるんだから考えるのも程々にするか。
えっと、あ、人類の次のステージの話してたよね、うん。
でもあれかなー。生きる意味ってないからさ、天命なんてないし。
みんなの親がそういう行為をしたから僕たちは生まれちゃったわけで、意味なんてないんだよね。
だから人間である以上毎日悩んだり苦しんだりするかもしれないけど、僕らが生まれた意味なんか無い以上究極的にはそんなの無意味さ。
次の世代を残したいようにプログラムされてるからみんな本能のままにそういう行為をして子どもを作るのであって、やっぱり意味なんてないよ。
せめて言うなら、天命とか意味ってのは自分たちで付けるものじゃあないかな。
所詮は僕たち遠い宇宙のほんの1ページにも満たない、それでもセコセコ頑張っちゃって生きてる愉快な仲間ってことだろうな。
だから人間が生きてる限り、ずっと進化し続けるのだろうし、歩みは止められない。
ルールで縛られた強固な理性の裏側には沸るような本能が。
今更、「なんか生きるの辛いから息を吸うのを止めよう!」みたいなキチじみたキャンペーンも起こらないだろうしね。
きっと尊い命は未来への片道切符を握りしめて次の駅へと休むことなく走り続けるのだろうな。