ホン・サンス「WALKUP」
ここ数年のホン・サンス作品は、鑑賞直後は'よくわからない'という印象をうける
そのままシアターを出て、パンフレットを買って読み
胸の中の'よくわからない'を自分の中で可視化していくためのヒントをもらう
'そうそう、そんなシーンあったよな'
'あ、なるほどな'
まるで問題用紙を渡された後の答え合わせみたい
(しかも自身の解答欄は白紙の状態)
そこからほつほつと、自分なりの答え…みたいなものが浮かび上がってくる
気付きのような答え…
ホン・サンスはここ数年、おそらく瞑想の域で映画を作っているんじゃないかと思う
だから、映画を観ている私たちも、ちょっとした瞑想の中にいて
それを経てちょっとした気付きを得るかんじ
そんな映画体験をさせてくれるのは、おそらくホン・サンス作品だけで
だからおもしろいのかつまらないのかわからなくても、また観に行ってしまう
(おそらくおもしろいのだけれど…もしかしたら、つまらないのかもしれない…という疑問も拭えない
もしかすると、ちょっと飽きているかも…と思ったりもする)
以前の「それから」も、今作と同じクォン・ヘヒョが主演で、男の人生の哀しさや愚かさ、寂しさをモノクロで描いたものだった
しかしまぁまぁなハプニングが起こったり、誰かがすごく感情的になったりした
そんな辛辣さは今回薄まり、何かが起こったであろうシーンはすっ飛ばされ
日常的なシーンのみが映される
パンフレットの尾崎世界観さんの言葉を借りれば
"心地良い気まずさ"のシーンだ
そして、ビルの階を上がるごとに親密さが増していく仕掛けになっている(これはパンフレットを読んで気が付いた)
その気まずさのシーンを観ることで、わたしたちは登場人物の人間性を見ることになる
ビルオーナーの気難しさ
(この女優さんは他のホン・サンス作品でも同じような性格な気がする…)
レストランシェフの明るさの中に潜む哀しさ
(こちらの女優さんは印象ががらっと変わられていて別人かと思った!これまでの、できる女感から、オーガニックな印象のする女性に変わった…)
若者の突拍子のなさ(新人の彼女はこれまで見せなかった、少し歪んだ表情を見せていた)
それはわたしたちが生きる世界でもあって
じぶんたちの営みを端から観ているだけだったりする
人と人との対話ってこんなものだよな、たのしそうに話していても、ひとりに戻れば、あ〜疲れたって口にするし、はじめは好印象でも、付き合いが続けば変わることもある
ホン・サンスはそれをそのまま出してる
そうすることでホン・サンスは何をしたいのだろう
人間を知りたいのかな
少なくともわたしは、ホン・サンス映画を観ることで、何かを知りたがっている
じぶんを知りたいのかもしれない
最上階のバルコニーで、これまでのどの階よりも親しげにしている二人の役者は、実際に夫婦だ
ホン・サンス作品に何度も夫婦役で登場している
仲睦まじい演技をしている、本物の夫婦を観せられるのはちょっとかわいかった
そんなかんじで、映画を観るという要素の他に、役者そのものを見に行くという体験ができるのもホン・サンスならでは
一年に一度、知り合いに会いに行く感覚で、約束しているかのように映画館へ向かってしまうのだ