病気と家族、そして対話
私の後悔は17年前、長男が生まれて1年ほど経った時のこと。
右手にジストニアという病気(私の場合、書痙という字を書く時の手の硬直という症状で現れていた)がどうやら脳の手術で治るらしいという情報を入手し、夫に手術をしたいので、と言った瞬間、
「こんな小さな子どもを抱えて、何かあったらどうするんだ!!!」
と一喝されて、私はそれ以上言えなくなってしまった。
だいたい、子どもを産む前に、私はこんな手なので赤ちゃんを抱っこしたりお世話したりするのも難しいから、それに流産ばっかりしてるし(不育症でした)子どものいない人生を選びたいと夫に申し出たところ、子供は俺が育てるから、という返事だったことと、不育症のことでもう一度大学病院を受診するか迷っていて、今月妊娠していなかったら、受診しようという時に 長男がお腹にきてくれて、やっぱり切迫流産で安静、子どものいない人生について話し合う時間は無くなった。
そして、長男が生まれ、しばらくはおっぱいだ離乳食だで自分のことは後回しになっていた。そして1年経って仕事に復帰し、症状の進行が見られたため、手術をしたいと思って夫に相談したのだが、あの一言で泡に消えてしまった。
私はこのことをずっと恨みに思っていて、今までのいろんな苦労や痛みや疲労感も、この時手術していればなかったかもしれないと、たびたび思うのであった。
そして、17年後、遅ればせながら内科治療、外科治療を経て完治した今、私が思うこと。
それは、家族には、話を聞いて欲しかったということ。
そんな怖い手術(脳の手術です)だめとか、手術したかったら詳細をちゃんと説明してくれないと納得できない、とか、今でも言っている夫ですが…
そうじゃなくて!
一緒に病院に付き添って一緒に話を聞いてほしかたなぁ。
それで一緒に話し合って出した結論が「手術しない」だったのであれば、「あの時手術していたら」なんていう別の人生を想像する必要なんてない。
私はどうしてもそれを考えてしまうのです。
もちろんハンデがあることで、それをカバーするために頑張ったこともたくさんあって、それによって友達もたくさんできたことは間違いないのですが、とにかく右手を動かすために全身がすごく疲れて、毎日泥のように眠っていました。
病気がガンとか心臓とか命に関わるものだったらきっと付き添うと思うのです。局所的な神経疾患とか難治性の皮膚の病気とか理解されなくて辛いよね。他にもあると思うけど。
ご家族にお願いです。ぜひ付き添って先生の話を一緒に聞いて、一緒に考えて欲しいのです。
よく考えたら、私は不育症の時からずっと受診は一人だった。流産を言い渡されるときも毎回一人。誰かにそばにいて欲しかったな。忙しいから今日は休めない。いつもそう言ってた。携帯から、
「今回も赤ちゃんだめだった」
とよく電話していました。
「今日はなるべく早く帰るから」
じゃなくて、速攻で帰って来て欲しかったですね。
ある時はあまりに辛くてとうとう自分のおばあちゃんに電話してしまった。
おばあちゃんはその時98歳だったのですが、
「おばあちゃんはまだまだ長生きするから、焦って赤ちゃん作らなくていい」
と言ってくれた。
ほんとに、そんな一言が心に響くのです。だから夫にこそ、もっともっとそばにいて私の気持ちを受け止めて欲しかったな、と思います。
だから、病気のご家族を抱えていらっしゃる方は、たとえ何もできなかったとしても、ゆっくり話を聞いてあげてください。それだけだけで患者さんは半分くらい安心すると思います。
辛い17年間を送った私からのお願いです。
私は辛かったですが、決して辛いことだけで過ごしていたわけではありません。楽しいことももちろんたくさんありました。むしろ楽しいことの方が多かったかな。それも書き添えておきます。