シュトーレン
シュトーレンとかけまして、師匠と説く。
その心はどちらもスルメでしょう。
突然のことで何の事かとフロントタックルをかましたくなった方が殆どだろう。
自分は最近、シュトーレンというお菓子に夢中である。
そもそもシュトーレンというものを知らない方々のために、我が相棒、Googleが要約してくれたシュトーレンの概要を載せておこう。
“ シュトーレンとは、ドライフルーツやナッツをたくさん練りこみ、シナモンなどのスパイスを加えたドイツ発祥のお菓子です。 本場ドイツでは、クリスマスを待ちながら少しずつ食べ、味の変化を楽しみます。”
なるほど、クリスマスに因んだお菓子ということは知っていたが、少しずつ食べて変化を楽しむとは奥が深い……
いや、無理である。
こんな美味しいものを少しずつだと?笑わせるな。そんなこと無理に決まっている。
…美味しすぎるのだ、シュトーレンが。
しっとりとした生地、ナッツやドライフルーツの食感のアクセント、そして甘みと酸味、香ばしさが絡まり合い、そこに少し香る洋酒とスパイスの風味。
他のお菓子では感じることのできない、奥の深い味わい。
コーヒーにも紅茶にも合う。おやつにも食後のデザートにも良い。1日の疲れを癒やしてくれ、明日も頑張る活力をくれる。
こんな食べ物を、『『少しずつ』』食べることなど可能な人間がいるのか。
ひと目見てみたいものである。
さて、そうは言ったものの、やはり少しずつ熟成され、さらに旨味が増していくシュトーレンも見てみたいと思った。
そこで今年、大学生になった自分は決心した。
…数日では食べ切れないほどのシュトーレンを買えばいいんだ、と。
何もかも初めてで挑戦した、バイト。
職場の方々と良好な関係を作り、教えてもらったことは1回目で覚えるのが当たり前といった空気感に怯えながら一生懸命取り組み、掴みとった時給1100円。この時のために、私は必死に頑張っていたのだと、そう確信した。
そして自分は手を伸ばしたのである。
…様々な、“シュトーレン”に………
まずは、大好きな無印良品で購入し、次はお気に入りのパン屋さん、さらに先月新しくできたパン屋さんで次々とシュトーレンを買い漁った。
とても幸せな時間であり、同時に自分自身に恐怖を抱いていた。
依存…。シュト中になっていたのである。
自覚はあった。しかしもう既に、自分の心も身体もシュトーレンに乗っ取られ、自由が効かなくなっていた。シュトーレンの奴隷だった。
…というのが2週間ほど前の話。
現在どうなっているのかといえば、
熟成したシュトーレン、ウメェェェェェェェェェェ‼️‼️
よりしっとり、より味わい深くなっている。
浸透圧などの関係もあるのであろう。
買ってすぐに食べるシュトーレンは、しっとりの中にホロホロの食感もあり、ナッツやドライフルーツがアクセントになって非常に美味しかった。
対して熟成シュトーレン(以下、熟シュト)はどうだろうか。
ホロホロ食感はどこへやら、しっとり食感が全体の95%を占めるほど、しっとりとしている。全体的なまとまりが強くなり、ドライフルーツもナッツも生地も、それぞれが手を取り引き立て合い、同じ方向を向いて歩き始めている。
正に、音楽性の違いで喧嘩ばかりしていた新人バンドが互いのすれ違いに気づき、それぞれを尊重し合いながら同じ音楽を作り上げて世界一のバンドを目指すような、そんなストーリーが伺えるのである。
恐れ入った。完敗である。
これを思いついたドイツの人たち、ありがとう。
ノーベル平和賞だ。
そして、始めに戻る。
そう、師匠である。
師匠も本当に奥が深い。どれくらい深いかといえば、マリアナ海溝とかそんな比ではない。
先日の自己紹介(?)ブログでかなり語ってしまったため、本日は深くは掘り下げないが、師匠はあまりにも天才なのだ。
言葉の端々がもう既に才能に溢れている。
それは努力や経験で培ったものもあれば、生来の才能を活かしすぎて暴走しているものまであるが、とにかく全てがユニークでインタレスティングでエキサイティングなのだ。
そんな師匠を先日、X(旧Twitter)にてこう例えた。
それは、スルメ🦑である。
噛めば噛むほど美味いのだ。返信すれば、想像の斜め上以上の答えが返ってくるし、ブログを書けば理解に時間がかかるが様々な考察ができるような文章をさらっと書き上げ、カラオケに行けば拳銃を持ってきてぬいぐるみを人質にするのである。
そんな師匠に、こちらもゾクゾクするし、かなりハイになる。合法的な麻薬のような役割を果たしてくれる。
そう考えればシュトーレン、こいつもスルメなのである。
ひと口目はもちろん美味い。だが、熟成という名の焦らしプレイを行うことでまた新たな美味しさと面白さを見せてくれる。知れば知るほど、食べれば食べるほど、アドレナリンがぶち上がりガンギマるのだ。
噛めば噛むほど、もとい食えば食うほど、旨味という名のスパイスがドバドバ出てくる。
そうだ、師匠もシュトーレンもスルメなのだ。
これが今回、自分が導き出した最適解。世の理なのである。
自分は師匠に憧れ、師匠のようなユーモアに溢れ、文章は面白いし絵は上手いし声は包容力がある…そんな存在になりたくてずっと背中を追ってきた。
しかし、自分が真に追うべきなのはスルメなのではないかと考えてしまった。
(こんなこと、師匠には口が避けても言えないが)
自分はスルメを追いかけ、スルメになるために修行を積み、生きていくことが自分の人生にとっての最適解なのではないだろうかと、気づいてしまったのである。
いままで師匠を信仰し、崇め、その背中を負い続けてきた自分にとってこれは辛く苦しい考え方である。しかし己を更に鍛え上げ、己の憧れとする姿に近づくためには、スルメを追い求めていくことこそが大切なのではないだろうか。
師匠、ごめんなさい。こんな駄目な弟子で。
こんな邪念を抱いてしまったこと、本当に悔やんでいます。
…思い切り殴ってくれ。一度でも師匠への信仰を疑ってしまった俺を、殴ってくれ。
しかし考えてみろ…
師匠とはスルメ
シュトーレンもスルメ
師匠=スルメ=シュトーレン
すなわち、
師匠=シュトーレン
……………そうか、わかった。
この世の真理は1つに集約されるのだ。
大好きな師匠、そしてシュトーレン
そして、2つの共通点であるスルメ。
これらは全てイコールで結ばれ、最終的にみな等しく、『1』として纏めることができる。
1は全、全は1。
この真理は正しかった。
師匠はこの世の全であり、シュトーレンもスルメも、全なのである。
なんだか全ての謎が解けた気分だ。
自分はまだ全然この世のことを知らない。
しかしたった今、シュトーレンは全であることを知った。
シュトーレンは、存在そのものが神と同等だったのである。
これは自分が奴隷になってしまったのも説明がつくし、至極当然のことであったのだ。
自分はこれからもシュトーレンの背中を追っていきたいと思うし、神として崇め奉っている師匠のことも、しっかりと熟成させてじっくりじっくり味わっていきたいと思う。
師匠、これからもよろしくお願いします。
~完~