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誰もがデザインする世界へ。武蔵野美術大学・岩嵜博論さんにきく、内発性の発露とあいだをつなぐ「メディエーション」から、公共を再編する

今回は、武蔵野美術大学クリエイティブ・イノベーション学科教授の岩嵜博論さんと、公共とデザインの石塚・川地・富樫による対談を行いました。岩嵜さんは、ストラテジックデザインとデザイン理論、マーケティングを横断的かつ実践的に教育の場で試されている方。

ソーシャルイノベーションやコデザインの文脈でも話題にあがる「専門家によるデザイン」から「全ての人がデザインする時代になる」という大きなパラダイムシフトのもと、いかに公共の全体性と個人の創発のバランスの舵取りをしていくか、そこにおける必要なデザイナーの役割とは、といった問いを深める時間となりました。

ゲストプロフィール

岩嵜博論 (いわさき ひろのり)
リベラルアーツと建築・都市デザインを学んだ後、博報堂においてマーケティング、ブランディング、イノベーション、事業開発、投資などに従事。2021年より武蔵野美術大学クリエイティブイノベーション学科に着任し、ストラテジックデザイン、ビジネスデザインを専門として研究・教育活動に従事しながら、ビジネスデザイナーとしての実務を行っている。 ビジネス✕デザインのハイブリッドバックグラウンド。著書に『機会発見―生活者起点で市場をつくる』(英治出版)、共著に『パーパス 「意義化」する経済とその先』(NewsPicksパブリッシング)など。イリノイ工科大学Institute of Design修士課程修了、京都大学経営管理大学院博士後期課程修了、博士(経営科学)。

ビジネスや公共領域に必要な、複雑さへの応答としてのストラテジックデザイン

石塚:今日はお時間いただいてありがとうございます、よろしくお願いします。まず岩嵜さんの簡単なご経歴から伺ってもいいですか。

岩嵜:こちらこそ、よろしくお願いします。博報堂で20年働いた後、現在は武蔵野美術大学のクリエティブイノベーション学科で教員をしています。2019年に学科が出来た時に大学院の科目の非常勤講師から関わり始め、専任教員として移ってきてから丸まる2年ほど過ぎました。

今の大学での専門を掲げるとするならば、ストラテジックデザイン、ソーシャルイノベーション、あと政策のためのデザイン、この3軸です。ストラテジックデザインはデザインの方法論を、狭い意味でのデザインだけではなくて、広い領域に活用しようっていう考え方。その活用先がソーシャルイノベーションだったり、政策のためのデザインです。

石塚:岩嵜さんとしてはストラテジックデザインをどう捉えていて、どう活用できると考えているのか、もう少し具体的に伺いたいです。

岩嵜:ストラテジックデザインにはいろんな捉え方がありますが、1つはデザインの方法論を広く世界に使うこと。デザイン思考も含め、造形的な領域に留まっていたデザインの方法論を戦略に応用したことがはじまりです。

石塚:”戦略”的なビジネスの方法論を公共領域につなげていく際、必要な要素は必ずしも同じではないと感じているのですが、ストラテジックデザインが両者にまたぐ共通土台や背景はどんなものなのでしょう。

岩嵜:まず時代背景として、我々を取りまく状況がより複雑で不確実であることは言えますね。公共領域でわかりやすく言うと、感染症。COVID-19は、非常に不確実な状況が突然やってきて、色々な要素やステークホルダーが絡み合い、単独領域では解くことはできない。
これは、ビジネスでも同様で、分かりやすく説明すると、ロジカルシンキングとデザインシンキングの対比です。これまでのビジネスでは前者だけで良かった。よく車の話を例にあげるのですが、自動車産業ってこれまで数十年の自動車産業って、車を大きな工場で作って、安くディーラーを通じて売るといったように基本的にフォーマットが一緒です。

石塚:フォード社のモデルのようなことですね。

岩嵜:そうそう、そこでEVをはじめ頭文字で言われる電動化とか自動化のような大きな変化が押し寄せてきた。誰も答えが分からないし、10年、20年後の先のものも分からない。

公共の領域との関係性で言うと、政治とか政策側が勝手に、2040年までにもうガソリン車売るな、と決める。これは自動車産業からしたら寝耳に水です。さらには、自動車は都市との関係性を考えずにいられないけれど、その視点は今の自動車産業のフレームワークにはない。都市を考える人が自動車会社にいるかっていうと、いないですよね。

トヨタは都市を考える舞台としての「ウーブンシティ」を作って、EVやモビリティをどう導入できるのかを戦略的に行っています。そうしたビジネスで起きている不確実性への応答は、公共領域も一緒で、それに適した1つの手段は、やっぱりデザイン的な方法ではないか、と考えています。

伝統的な生活知を手がかりに。個がもつパースペクティブがうみだす全体性

富樫:僕も政策領域のデジタルサービスを運営していて、既存の政策策定や、ニーズを吸い上げるプロセスは基本的に直線的だと感じています。「Aが問題だからBをやりましょう」、以上といったように。政治家や行政の方と話していると、やはりロジカルシンキングが主流ですよね。

岩嵜:そうですよね。英国のデザインカウンシルやデンマークのDanish Design Centerが説く「デザインラダー(Design Ladder)*」という概念があります。例えばプロダクトデザインのように、造形的なデザインから始まり、戦略性を帯びたデザインへと、だんだんとハシゴを上がっていく。その途中にサービスデザインがある。僕の問題意識の一つは、どのように一つの組織ひいては社会においてデザインラダーを上げられるのか、です。

(*デザインラダーに関してはこちらの記事が参考になります)

Design Ladder (出典: https://issuu.com/dansk_design_center/docs/design-ladder_en)

公共領域におけるデザイン適用もおそらくサービスデザインみたいにラダーの下段から始まることが多いですが、先ほどの指摘のように、分解された要素を1つずつ潰していけば全体が完成するという、「要素還元的」な考え方です。
でも、デザインはありとあらゆる要素を統合するアプローチ。つまり、現状の支配的な思考法が、デザインと対立的なかたちではないかと。社会もビジネスも行政も要素還元的な思考様式を過度に信じ過ぎているのかもしれません。

先日、台湾のデザインリサーチ研究所に視察に行ったのですが、統合的な実践を行っていると感じました。話は大きくなりますが、僕自身の公共におけるデザイン活動の1つの方向性は、エツィオ・マンズィーニが言ってるような、各人がパーパス的な目的意識を持ち行動し、公共にいろんな形で貢献していく「1人1人がデザイナーになる世界観」です。専門家によるデザインはもちろん大切ですが、それに加えて、より多くのひとがデザイナーになる世界もあると思うんですね。台湾はそうした世界へ近づいている印象を持ちました。

川地:今の話に関連して気になったのが、僕たちが行っている渋谷区と行っているイノベーションラボの立ち上げの中で直面している問題です。今年のラボの実証実験は、障害者雇用をテーマに行おうとしていますが、どうしても各部署はサイロに分かれ、全部署を横断して実験をやっていくには至っていません。

現実は、担当者レベルで協力してくれるところをまず見つけ、単独部署とワンテーマで何かをやる形式にならざるを得ない。それは、そもそも予算編成の段階で、事業の前提が、要素還元的な問いの設定に影響されてしまっているからですね。そうなると、障害者雇用にはまちづくり課も、教育も子育ても、福祉以外の担当課もかかわるはずなのに、全体性を保てなくなります。
この「包括的な視座」で進めていく必要性と、さきほど仰っていた「1人1人がデザイナーになる世界」を、どのように繋げるのかが大きな問いです。

というのも、個々人の内発性に基づいて行うプロジェクトは、当人の視点からは、それがどう全体に通じているかが、その人単体では見えづらいと思うんですね。当然、自然生態系は、それで秩序が生成されているように、結果として全体の整合性がとれたり、影響を産むことはあると思います。一方で、必ずしも有機的なプロジェクト同士のつながりが生まれ、より統合されたインパクトが創出されるとは限らない。その一人一人の発露と全体性をどう両立させていけるのか、考えているところをお聞きしたいです。

岩嵜:とても良い問いですね。少し遠回りな答えになるんですが...
僕の研究室で、日立とサーキュラーデザインの共同研究をしています。地域の高齢者に昔の生活のことを聞いて、サーキュラーデザインのヒントを探る研究です。まず仮説的に、昔の生活はサーキュラーだったと仮定する。これは、僕自身が田舎で生まれ育ったから得られる直観からきています。そこには、近代・工業化する前の名残りが見え隠れしている。で、昔からその地域に住んでいるお年寄りの当時の生活から学べることが多いのではと、現地に行ってみました。

フィールドワーク先の風景

一つのポイントはサーキュラーデザインって、ほとんどマテリアルフローの話なんです。でも、本質はマテリアルフローにとどまらないですよね。
リサーチを通じていくと、支える社会的な制度までいかない「規範」だったり、人のつながり・コミュニティだったり、中間組織だったり、それらがサーキュラリティを支えていることがわかってきた。そして、鍵となるのはホリスティックビュー=全体性の把握ですね。

今の生活って、どこから資源が来て、どこに資源やゴミが行くか、全然知らないままのブラックボックス。一方で、僕らがリサーチをした長浜市の中でも、特に中山間にあたる地域に2つの集落あわせて150軒ぐらいの世帯があるんですが、完全に閉ざされている。信じられないんですけど、極端に言えば、冬の間は一切外に出ずに生活しています。

石塚:すごい……。

岩嵜:すごくないですか!150軒の人々が外に出ずに、冬には雪が降るんで閉ざされちゃうんです。そして世帯が完全にオフグリッド。なぜそれが成立するかっていうと、その資源は山、川、田んぼに畑...といった自然生態系にある。彼らはその資源に対する全体的なパースペクティブを持ってるんです。これぐらいの資源があるぞ、今年の冬を超えるにはこれぐらい何々が必要だぞ、とかね。そういう全体観を持ってるんです。これが現代人が失ってしまったものです。

元の川地さんの問いであった「全体性と個々人の内発性の発露の両立」に戻ると、「個々がやりたいことを実現できる」だけだと近代・現代的な、自由主義的な発想だと思うんですけど、それとともに1人の人間が周囲の環境をどういう風に認識できるかの前提が異なるわけです。これは、個を強調する西洋思想よりも、東洋的な人間観です。
4-50年前の日本では教育水準が高かったわけではないですが、“生活知”としてそうしたパースペクティブを持っていたことがわかってきました。個がつながって全体になる。そのパースペクティブをどう用いるのか。新しいパブリックを作っていく上で重要ではないか。それがここ2年ほど、いろんなリサーチをしてなんとなく、見えてきました。

つなぎあわせる触媒という役割。メディエーターとしてのデザイナーが、全体性の回路を築く

川地:それはめちゃくちゃわかりますね。この前、医師の方と地域包括ケアや社会的処方の話をしていましたが、「リンクワーカー」という概念がでてきました。社会的処方とは「あ、この人のこころの悩みは、病院じゃなくって、実は居酒屋でちょっとおっちゃんと話せばいいじゃん」みたいに、地域の人々につなぐこと自体が処方箋になる考え方。その接続を「リンクワーカー」が行う、固有のネットワークの中での処方です。

専門家デザイナーから、一人一人の内発性への移行があったように、「ケア」の領域でも専門家への依存ではなくて、地域の人間関係や社会資本関係においてケアしあえることが大事だと、住民同士のケアへ移行が説かれています。

その話で重要なポイントだなと感じたのは、リンクワーカーが専門職である必要がなく、誰もがリンクワーカーになることで全体性が生み出される。
ひとりだと見えていなかったまちの風景が、別の人とつながることで見えてくる。自分の環世界がどんどん他の人と接続されることで、広がっていく。それがリンクワーカーが増えた結果、実現し得るイメージです。
なので、ホリスティックに見た時に、ケアの話に限らずサーキュラーエコノミーの話も通定する部分があるんじゃないかなとは思いました。

岩嵜:全く同意です、僕がもう1つ言おうと思ったのがまさにそこ。「政策のためのデザイン」をテーマに日本総合研究所と共同研究をしていて、リサーチの一環としてフィンランドに現地リサーチに行きました。で、そこで見えた1つのコンセプトが「メディエーターとしてのデザイン/デザイナー」という考え方。つまり人と人とをつなぐデザイナー、という考え方です。

これは川地さんが仰ったリンクワーカーとコンセプト的には近いもので、去年か一昨年にマッキンゼーが出したデザイン組織をリデザインすることについてのレポートがあります。そこには、インハウスデザイン組織の未来は、ドアをオープンにして、いろんな企業のサイロやタコ壺に入り込んでいって人と人をつなげていくところにある。そこに求められるのはまさにリンクワーカー的・メディエイター的な役割を担う新しいデザイナー像なんだ、という指摘です。レポートでは、そうしたことが実現できている企業は財務パフォーマンスに直結してることも示しています。

石塚:難しいのは、個々人の思いを発露するような活動をしたい人が、必ずしもリンクワーカー的な、皆を繋げるメディウムになるかというと、多分そうではないですよね。

岩嵜:そうですね、おそらく2つのアクターがあります。アントレプレナーのような人と、メディエイター的なデザイナー。それぞれ異なるアクターとして存在していて、アントレプレーナーがやりたいことを、メディエイターが他のリソースと繋いでいくモデルがありえます。

長く言われてることですが、そこにプラットホームや、野中郁二郎さんとか紺野登さんが言ってる「場」というような物理空間に、ネット上の空間。そういったものがあることが大事ですね。

制度化した公共にやわらかな手触りを。アクターが育ち回遊するエコシステムと、地域を支えた名士たち。

石塚:公共とデザインではいま、「ソーシャルイノベーションと民主主義」をテーマにした本を書いています。その中でも「場」やプラットフォームをはじめとした多様な要素の統合がすごく重要だと話をしていて。さきのアクターはその要素の1つだと思いますが、どのような環境があれば、アントレプレナー的な人やメディエイター的な人が生まれたりするのでしょうか。

富樫:ぼくも手触りを持ったプロジェクトを始める動きに向けたシビックプライドや、自分たちでできる感覚を「まなび」を通じてどう育めるのか、悶々しています。民主主義における「お上任せ」ともいわれますが、本来暮らしをよくするための制度やルール、代議制民主主義によって身を委ねることで自分が主体として「やらなくてもいい」状態がマジョリティであると感じていて...。

岩嵜:まず人を育てることが必要です。ラーニングの場所、制度的に言うとエデュケーション。教育機関なのか、開かれたまなび場か。ともかく、アクターを育てることです。そうすると、そこを経由した人がそういうプレイヤーになっていく状況が生まれる。もう1つは柔らかな場所性を持ったエコシステム的なもの。そうすると、その育ったアクターがエコシステムで回遊することによって、人やリソースと出逢い、つながり...みたいなことが起こる。

結局こうした生態系がないと、イヴァン・イリイチが病院とか学校をはじめとした制度の批評をしているように、自らが社会を形作ることが難しくなっていきます。制度は近代の産物です。江戸時代には学校も、病院もないけれど、明治になってそういうものが急速に制度的にできるわけですよね。明治4年に学制ができて、寺子屋が無くなり小学校化していく。その先にはイリイチが批判する「制度的な」教育の課題がある。

そことどう向き合うかが、冒頭の予算の話に繋がります。予算がなぜ硬直化しているのかといえば、やっぱり制度だから。前近代的ではもっと柔軟な、公共のお金の使い方がなされていたのではないかなと。
例えば、僕の見聞きした長浜地区の話で言うと、長浜に江北(こほく)図書館という、100年ぐらい前にできた私立の図書館があります。これはすごく面白いケース。私立だから、制度じゃないんですよ。で、今や老朽化しすぎたので、クラファンを実施していました。なぜ困っちゃうかといえば、公立図書館ではなく私立図書館なので、制度的な保護を受けられないわけです。私立図書館でありながら、パブリックな場。これはその地域出身で、東京に出たのちに弁護士として成功した杉野文彌という方が、私財を投げ打って作ったものなんですね。

100年ほど前、大正時代か明治の終わり頃は、その地域の名士たちがパブリックのネットワークを作っているんです。その1つが江北図書館。同時に、彼らが作ったのが、伊香相救社という、相互扶助や保険のような仕組みです。つまり、お金をみんなで出し合って、誰かに何かが起きた時に、そのお金で困ってる人を助ける保険。これを自発的に作っていて、さらに興味深いのは、ほぼ地域の住民がお金を出している

改めてポイントは、まさにそのみんなが地域を担うデザイナーになる動きをどう促せるのか。誰もが創造的に物事を始めたり、人のために役に立つことができる感覚をどう持てるか。これがひいては教育や学びに戻ってきます。

長浜で展望する活動の1つに、中高生の学びにどう貢献できるのか、があります。みんな、シビックプライドを持たないままで、長浜の外に出ちゃうんですよ。いま、総務省の政策テーマで、関係人口政策をお手伝いしててで、東京長浜リレーションズという、東京を中心とした首都圏に長浜にゆかりがある人をネットワーク化する活動をしてるんですけど。

分かってきたのは長浜にゆかりがある人でも、思いがある人とない人の差は大きいんです。多くは、今、中学生とか高校生の時にその思いを持たないまま、都市部に若者が出たまま戻ってこないですから。どうしたらその思いが醸成されるのか。

明治以前の歴史から学ぶ「近接」と、価値の多元化

石塚:香川県三豊市の教育委員会で働いている友達が、みとよ探究部という活動を行い、三豊の中高生と面白い大人を繋げています。例えば、中高生に「自主研究を何のテーマやりたい?」と聞くと、はじめに出てくるのってyoutuberだそう笑。そこで大人が「じゃあ、君が街でのyoutuber的なことをやってみてよ」と言って、学生が町の人にインタビューしに行く。そんなふうに、身の回りの課題解決や地域の魅力発信について、自分が心からワクワクするテーマでプロジェクトを進め、探究する中高生のプログラムだそうです。活動の中で大人と関わり生身の関係が生まれるので、外に出てった時にも「そうそう、三豊って、こういうとこだったよね」と地場のかかわりが想起されますよね。

岩嵜:素敵な取り組みです。これまでって東京が偉い、地域がダメって地域の人自身が擦り込まれているから、地域の人からすると「地域つまんない」となる。僕もそうだったかもしれないし、東京に来ちゃうわけです。だけど、地域に深く根ざすと、豊かな関係性や文化が存在する。それが、力関係の逆転するポテンシャルだと、明るい未来を感じました。

田舎にいるとどうしても学力の違いを感じちゃうわけです。だけど、今となっては逆にその教育格差が「探求」のアプローチによって解消し得る。現在は過渡期ですが、うまくやれば地域の方が探求のポテンシャルが高い可能性がある。探求が先ほどの三豊のみたいに地域に根ざした活動に貢献するかもしれないし、その軸を進めたかたちで、入試とか受験を変えていけば、今度は地域の親世代が変わっていく。それが制度やシステミックなレベルで起これば面白いと思います

そのとき、経済的価値と非経済的な価値のバランスをどう取るかに行き着きます。経済的価値だけ重視すると、東京の方が給料いいし、便利なものもお見せもたくさんある...ってなるじゃないですか。そこから、どう価値を再構成し、人々の価値観とか価値尺度を変えていけるのかが大きな問いです。イタリアは文化で経済を作ってますよね。食でもスローフード運動があったり、クラフトマンシップだったり、分散的にそれぞれの磁場の文化を核として経済圏を成立させている。

ときたま、日本も幕藩体制に戻ればいいんじゃないかと言ってるんです。近代化以前は都道府県ではなく藩の体制だった。藩の中でも藩札という、通貨発行権がありました。当時は藩札と全国で流通する銀などが両方存在していた。それが成立した理由として、多くの人はあまり移動しなかったからです。昔の人は、江戸に行く人なんてごくごく少数で商人とか庄屋のような一部の人しか行ってなかった。残りの多くの人々はその地域内で生活していた。全ての産業も、教育も、政治も、小さなユニットで成立していたんです。明治政府になるまで500ぐらい藩があったと言われていますが、小さなコミュニティ単位に戻していくことも、大事かなという気はしてます。

15分都市|出典: https://www.weforum.org/agenda/2022/03/15-minute-city-stickiness/

川地:先にも出てきたデザイン研究者のマンジィーニは、『Livable Proximity』と言う本を書いていますが、ここにもproximity=近接という概念が軸にあります。パリの15分都市や、ストックホルムの1分都市といった潮流も、今の日本の歴史的なあり方に逆接続されていきますね。その近接を軸に地域やネイバーフッド単位でミクロに成立してことは、自然と地域の文化の豊かさ=経済的な価値軸からこぼれ落ちる価値を救い出す鍵になるかもしません。

終わりに:デザイン人材が持つべき「鳥の目」「虫の目」の縦横無尽さ

川地:だいぶ大きな視点で話を伺ってきましたが、こうした近接単位を無数につくっていく動きは、やはりその土地にいるひとりひとりが手がけていくことでようやく生まれていく。これが岩埼さんもお話しした誰もがデザイナーとなる世界観ですよね。

こうした流れの中で、改めて冒頭に出てきたメディエーターやアントレプレナー的なデザイナーのそれぞれの役割が位置付けられるように思います。教育に携わる岩埼さんの視点から、そうしたデザイン人材における大事なポイントを伺って締めくくりたいと思います。

岩嵜:以前「パーパス」という本を書いたのですが、その地域・コミュニティが共通して持てる、北極星としてのパーパスやビジョンが必要だと思います。実際のアクターは自発的に動いてく。でも、その人たちがバラバラに動いているのだけど、全体としてはこういう世界を目指したい、とゆるく関係しあう。デザイナーの1つの役割はこの間をメディエーターとして繋ぐことだと思うのですが、その際のデザイン人材に必要な特徴として、鳥の目と虫の目を高速で行き来できることだと思っています。超俯瞰もできるし、現場感もある。これがデザイナーの特有な能力であって、だからこそ大きなビジョンと現場のアクターをつないでいけるのではないかと感じています。

川地:具体と抽象を行き来することで、より大きな北極星となる像をともに描いたり、それをふまえて現場のリアリティに落とし込んでいく。また、そのパーパスが念頭にあるからこそ、違う実践や具体的な活動のなかで、対極的な視座から関連性を見出せる。その重要性、ということですね。まさにデザインの性質として、手を動かすことで考える、というなかで培われていくことなんだろうなと感じました。

本日は多くの示唆をいただけました、ありがとうございます。公共とデザインでも重なる部分が多々あると感じたので、ぜひ今後なにかご一緒できるとうれしいです。

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公共とデザインでは、今回のようなリビングラボやオープンイノベーション、ソーシャルイノベーションなどのリサーチと実践に取り組んでいます。事業やプロジェクトなど、ご一緒に模索していきたい企業・自治体関係者の方がいらっしゃいましたら、お気軽にTwitterDMまたはWEBサイトのコンタクトページよりご連絡ください。

公共とデザイン


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