「短歌研究」(2022.2号)の古い座談会を読んで感じたこと

・短歌の文章を書く顛末

 最近、川柳の感想文をぼちぼち多く(当人比)書くようになって、「定型」というものについてもあれこれ考えるようになって、川柳定型というのは音数以外にも、あれこれあるんやな、ってぼんやりおもうようにもなってきた。以前の記事のなかで、短歌と川柳がわりと親和性?みたいなものがある?と思うようになってから、短歌の定型についても目をむけると川柳の定型についても理解がふかまるかもってぼんやりおもっておうた。
 そんな感じのとき、知人からそのひとの子どもの短歌がコンクール的なあれで選ばれて、雑誌にのったよ~って連絡をもらって、「公プってそういうの好きじゃろ?よめー」とのことで買ってきた「短歌研究」(2022.2号)。その子の短歌の感想だけだったら、わざわざ雑誌なんて買わないのだけど、送られてきた画像の表紙のなかに「定型VS自由律」なんて書いてあるから、飛んで火にいるあれじゃんという感じで買っちゃった。
 いざ読んでみると、昔の癖の強い短歌おじさんたちしかいない座談会で、ちょっと期待してたんとちゃうわ......口喧嘩おじさんたちの文章読むのクソダルすぎる......ってなったけど(あくまで自由意思でやっていたのだけれど)、せっかく買ってあれこれ考えたわけじゃし感想を書いておく。なんか、「男もすなる…」というあれみたいな書き出しだ。(こんなことを言うのはたぶんこのメモを公開したら短歌ポリス的な人がやってきて自説を展開してくるかもしれないから身を固めているカメの構え、おそるおそる顔をだすつもり)。

・齋藤茂吉おじさん、人麻呂推しのせいで非オタの中で孤立する

 座談会、読んでいくと副題?煽り文句?の「茂吉、孤立す」とあるように齋藤茂吉おじさんは「萬葉集の短歌最高!柿本人麻呂が頂点!(拙訳)」(同誌P93中段L13、P94下段L17、P95上段L7、P96中段L24)って、口をひらくたんびに言い続けているし、他の出席者からその根拠を求められても「それはもうマヂ真理だからそうなの(拙訳)」(P94下段L20、左同L24)っていうし、折口信夫さんに出された助け舟的な発言
「齋藤さんは謙遜してるだけだよね、本心はちがうよね。萬葉集は〈本當の生活〉と〈本當の熱情〉がある短歌が最高に良いけど、現代の私らが誠実に〈文學的意識で作つ〉た歌は、それに勝るとも劣らなくない?むしろ良くね?自由な現代の私ら歌人とは、そこが萬葉集の歌人との違いじゃし、齋藤さんのそういう自分の心に正直に作るってとこが齋藤さんの良いとこじゃん(拙訳)」(P95末尾からP96中段L6)
を、「いやちげえし」って沈没させててわらっちゃった。しかも、ずっとそれを黙って聴いていて、意見を求められた北原白秋さんは「今日はおなか痛いからちょっとわたしにはわかんないですね。人麻呂さんと私、どっちがモテるかを考えた方が楽しいんじゃん? はい、もうこの話やめやめ(拙訳)」(P96下段21)
って言い出す始末(そのあとの別の話題になると北原さん饒舌だし)。
 これだけみると、齋藤さんだけが確かに孤立しているし、常軌を逸した発言を繰り返している感じなんだけど、なんかその意固地さは他の出席者たちとそもそもの前提が異なっているから生じているように思えたし、なんとなく既視感がある。オタクだ、齋藤さんはッ!しかもかなりの柿本人麻呂推し、ガチ勢だッ!!非オタクには理解できない言葉でしゃべっているんじゃあないかッ!!アバッキオッ!!(ちなみに筆者の5部の推し?は、若かりし日のアバッキオが殉職させてしまった先輩警官とセックスピストルズのナンバー5です)

・齋藤さんの推し、柿本人麻呂マジ神だった(宇佐美りん「推し、燃ゆ」を視界に入れて考える)

というような塩梅で、私の仮説としては齋藤さんが極度の人麻呂推しのせいで常軌を逸した発言をしている説です。それで調べたらほんとに人麻呂推しで、人麻呂についてまとめた本を5冊も昭和9~15年に書いていた。それぞれ『柿本人麿 総論篇』『柿本人麿 鴨山考補註篇』『柿本人麿 評釈篇巻之上』『柿本人麿 評釈篇巻之下』『柿本人麿 雑纂篇』と、いろいろ重ため(参考:齋藤茂吉記念館 茂吉について 歌論)。齋藤さん、青空文庫にいくつかあってネットで読めるけど、この五冊はまだない。しかも、柿本人麻呂について調べたら、祀っている神社が3社もある、島根の柿本神社(高津柿本神社)、奈良の柿本神社、兵庫の柿本神社で、マジ神だった。
 それにちょっと関連して、オタクが推しグッズの祭壇を作って偶像崇拝するのは、てっきり宇佐美りん「推し、燃ゆ」だけの世界だとおもっていたけれど、前回の「収録中にミニミニスマホ購入【当たりの進捗報告ラジオ】」(2022/02/28 ) の17:55~でも大橋さんが祭壇つくろうと話しているし、ツイッターで「オタク 祭壇」って検索すると大量のグッズや推しのイラストや写真を配置して、曼荼羅図さながらという画像がでてくるし、日頃の推しへのお祈りや生誕日などの記念の日のお祝いでその高まったボルテージを受け止めてくれる場所なのだろうし、推しへの感情の高ぶりを表す語が「尊い」なのもその言葉を選んだ最初のひと、めちゃすごいなとおもう。
 齋藤さんの人麻呂推し活については、上記のファンブック5冊の執筆と、その執筆のための人麻呂の亡くなった場所を探すという調査?観光?をしていたらしく、その地として島根県美郷町湯抱にめちゃくちゃ通っていて、聖地巡礼しとるし完全にオタク君じゃん!!!(参考:しまね観光ナビ )
 んで、この齋藤さんの人麻呂推しとこのときの座談会の話題が、どうつながるのよ?という点なのですが、齋藤さんにとっての推し活は、宇佐美りん「推し、燃ゆ」の主人公山下あかりのそれに似ていて、その推しの〈溜まった言葉や行動は、すべて推しという人を解釈するためにあった〉(宇佐美りん同掲)なのだろうと思う。理解と解釈、この二つのよく似た言葉があるけれど、辞書をひくと「理解:①物事の道理をさとり知ること②人の気持ちや立場がよくわかること」、「解釈:文章や物事の意味を、受け手の側から理解すること。また、それを説明すること」とあり、理解は自分と相手との相互の交流みたいなものがある一方で、解釈は受け手側に力点がある行い、といった感じだし、山下あかりは上野真幸と直接言葉を交わすことはないし(この点は微妙といえば微妙でライブに行って、魂同士での会話、ソウルトーク?はしたかもしれないし、握手会についての若干の言及はあっても、炎上した原因のように、殴られる距離まで近づけるファンの存在がちらつくならそれだけ接近する方法はあったけど、主人公の山下あかりはそうしないから、「推し、燃ゆ」の読解の一つになるのかもしれない。よう知らんけど)、その炎上した推しの住むマンションとおぼしき場所まで行って未練がましく見上げた後に墓地や火葬や骨をひろうなんて死のイメージに満ちているし、齋藤さんにとって柿本人麻呂はとっくに死んでることに飽き足らず、人麻呂の亡くなった場所の調査をして、その死地を探し出さなければ気が済まない。山下あかりは、マンションのまえから自室に這這の体で帰ってきて、推しへの解釈の出来なさの苦しみから逃れるため?に、推しへの解釈の出来なさと自分でも感知できない自身の根源の何かと接続させることで、自身の半身に推しを宿らせてその推し解釈の不可能さの苦しみを自分自身の苦しみに読みかえて再解釈する。こういうふうに、遠くの人を思いやるときに、その不可能さで身を裂かれる苦しみや、推しへの信条と自身の感情などとの矛盾に苦しみを感じたりするものだが、齋藤さんが人麻呂推しのなかでそういう矛盾の苦しみはあんまり持っていない印象で、だから頑なになって常軌を逸してる印象すらもつのだけど、ほんの少しだけ迷いみたいなものうかがえるので、それを書き記して、このメモをさっさと終えたい。

・推し=神、と同じ文語定型を使ってるけど、推しの言葉だけじゃ足りない

 話がだいぶ逸れてきたのだけれど、この座談会前半での齋藤と他の出席者との違いは、「萬葉集の短歌と現代の短歌を比較することができるか?」という問いに対して、齋藤だけが「比較できる」と主張している点で、はっきりと明言していないものの、齋藤自身の短歌と人麻呂の短歌を比較してほしいという欲望みたいなものがちらついている。その優劣の上下関係において、人麻呂-齋藤と直線上に並べたがっていて、それが齋藤の人麻呂崇拝というか人麻呂解釈として保とうとしている構造でもあって、他の歌人たちもその直線上に乗せたいし、自分以外のひともその地平に乗せることがオタク的な推しの布教にあたる、ともいえる。
 そして、人麻呂崇拝の直線上に自分をおくこと、その系譜に自分が位置づけられているという信条を担保するのは文語定型の短歌を読むことだし作ることで、そのことが齋藤の、少なくとも、この座談会の時点における自身の短歌における優先的な営為ともいえる。神と同じ言葉の文語を用いて同じ様式の定型に、意味付けをしようとすることは、他の出席者たちがしようとしていた口語自由律とは対称的というか、子どものころに習った数学の対偶的ともいえる。
 一方、他の出席者の萬葉集の短歌と現代の短歌が比較できないとする理由としていかのものが散見される。
石原純さん
「萬葉時代は歌う対象やにんげんの感情が単純だったけど、現在のうちらはそういうのとは別のものを歌ってるのがいいんじゃん(拙訳)」(P94上段L2)

土岐善麿さん
「そりゃあ、萬葉っぽく作ってたら優劣つけられるだろうけど、そもそも萬葉に対立しとるし、独立してつくってるうちの短歌じゃ、比較なんて無理っしょ(拙訳)」(P92下段L12)

ようは単純なことで、唯一無二な私という存在を自由に表現するには古臭い普段使うことのない文語ではなくて口語だし、定められた様式などではなく音数も勝手にさせろ、という欲望っぽい。これに関して、土岐さんは、創作しているうちに自ずと自由律を選択しちゃってただけだし(拙訳)」(P98上段L10)ともいう。
 この発想、唯一無二の私を表現しようとすることそのものは近代短歌的だともいえて、この発想を持っていた歌人はむしろ常識的だともいえるし、齋藤さん自身も唯一無二の私のための短歌のことは認めているようで、萬葉集だけを読んで現代のわれわれは満足するのか?という出席者からの問いにはそれはないとはっきり否定している(P95上段L13)。ただ、短歌を読むときには萬葉集だけじゃなく現代の短歌も、やっぱり読みたいし萬葉集だけじゃ満足できないという読者の一面を認めながら、齋藤さんはあくまで実作者としての態度に話を戻して語りたがる。ここにたぶん齋藤さんにおける矛盾というか身の亀裂があって、というのは萬葉集を読み解釈しているときは当然受け手として読者のはずなのに、実作者として推し=神の人麻呂の直線上に自分を置いているものだから、現代の短歌の読者としての素朴な読む喜びを抑圧している。それに、その態度を周囲にもとめることが信条を達成することだと信じているし、もし周囲が同調せず自分以外の文語定型を作る歌人がいなくなり、人麻呂-齋藤の次の系譜がいなくなる未来があっても〈後繼がなくなつたら寂滅爲楽だが、そこに未練もない〉とまで言っていて、直線上に他の歌人も乗せたいはずなのに、乗せられずに自分ひとりになることを予め言っている(P98中段)。

・出席者のスタンスのおさらいと終わり

 短歌は文語定型でやらなければならないと頑なすぎる齋藤さん、口語自由律でもええやろうるさいな勝手にさせろよの土岐さん。齋藤さんによれば、石原さんはもともと一緒に萬葉っぽい文語定型の短歌やってたみたいだけど、いつしか口語自由律派にスタイルをかえたっぽく(P99中段L12)、わりと口語自由律とか不定型をカジュアルに自分を表現できるものとおもっているらしい(P100下段L22)。ただ、その石原さんに対して、北原さんは「いやいや、定型でつくるのと同じ苦しみを感じないと不定型もだめだよ、むしろ不定型のほうがむずいっしょ」と手厳しい(なんか、座談会の後半から「不定型」という言葉がすんなりでてきたけど、これが自由律と同じ意味なのか、ぜんぜん違うのかわからない)。折口さんは議論をすすめる役回りをして、わりと静かに齋藤とかの話をきいていたのだけれど、調べてみたら、昭和7年2月に「古代研究國文学篇中、萬葉集に関する研究」で博士号とってて、めちゃくちゃ萬葉集に詳しいし、青空文庫で230も文章が読めるし、めちゃくちゃすごいやつだった。年上でかつ常軌を逸した齋藤さんには意見しても無駄だから言いたいように言わせてたのかも。前田さんは、なんかずっと地味だったな。
 なんか、やっと終わったわ。二月頭に読み始めて月末までに書きおえようとおもったけど、プーチンによるウクライナ侵略のニュースや仕事でへとへとになってしまったし、短歌おじさんたちの口喧嘩に付き合うのほんとに疲れる。それに川柳定型の理解につながることはほとんど収穫がなく残念である。早く川柳の感想書きたい。


・座談会についての補足

 表紙にあった「定型VS自由律」というのは、45~52歳の男性歌人6人の座談会だったのだけれど副題がついていて「定型VS.自由律――茂吉、孤立す」なのだけれど、もともとはこの掲載誌の「短歌研究」の、昭和7年11月発行の第2号に載った「定型問題座談会 萬葉の歌と現代の歌」座談会が正しい名称?でその抄録が、現在の編集部の作った見出しという感じみたい。
 出席者は、土岐善麿(47)、前田夕暮(49歳)、齋藤茂吉(50)、石原純(52)、北原白秋(47)、折口信夫(45)とほか主催者たち等。座談会のテーマは「現歌壇(当時)に萬葉集に匹敵する名歌があるかどうか(現代の歌で、眞に名歌として後世に殘るやうなものがあるか、どうか)」と「短歌と定型と不定型の問題」、とされている

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