家電のその放映用の動き/工藤吹 について考えたこと
先月のビー面https://note.com/sasakiri/n/n1acf7896b32aで最高得点だった工藤吹さんの「家電のその放映用の動き」の句について感想を考えました。選句のときにはぜんぜんわからなかったのですが、ほかのビー面メンバーの評を読んだら、こういうことかも?と想像しました。
「動き」とあっても家電によって色んな作動があるから、この句の家電が具体的にどのような動きをしているのかは想像できない。解像度が低すぎて、写生の句だけど写実の句ではないということだ。目の悪い人が眼鏡を外して絵を描いたら、色彩の塊や運動の線しか描けなそうということと似ている。しかも「放映用の動き」ならば事前に得た知識でも成り立つわけで、その家電の現物を目の前で実際に見ているとも限らないために、何がどのように動いているのかさっぱりわからず、読み手は乗り物酔いみたいになっちゃう。しいて言えばひらがな表記の「その」の指示語によって、この句の語り手と家電(の動き)と私たち読者の三者の位置関係だけがぼんやりわかるものだから、そこを必ずつかんでしまう。そして定型575のなれたリズムから「家電の(4音)/その放映用の(9音)/動き(3音)」と音数を外してくることもこの悪酔い感を引き立てるし、合計16音で1音足りないということも手が込んでいる。わたしも字足らずの句で「ローリエで薬指きったよわい」というのを吐息や余韻の感じを無音の1音、ゆっくりとした徐行みたいな感じで作ったことがあったけれど、この句の字足らずは急ブレーキをかけて停車するみたいだ。ここで上記の「その」の2音が575のリズムのシートベルトだったようにも思えてくる。川柳には77のリズムで14音の定型もあって(「くつ下ぬがす(7音)/桂馬のうごき(7音)」)、かりに「その」を抜いた「家電の(4音)/放映用の(7音)/動き(3音)」だと合計14音には音数がおさまるものの、意味の節は3つのままだし、格助詞「の」が2回続いて冗長な印象はぬぐえない。要は、この句のすごいところは、やっていることも意味も音数も読み手を悪酔いさせることだと思うのです。
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