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強くいなきゃと思っていた私

2022年3月16日昨夜の地震皆様の安全を祈っております。
東北・関東地域はかなり揺れたそうですね。私も該当地域だったため強い揺れが怖く、揺れが収まった後も自分の足が震えていて揺れているのか揺れていないのかわかりませんでした。

本当に怖くて、でも家を出るか出ないか迷っている時にふと同期の顔が浮かびました。私も同期も一人暮らし、私より年下の同期は一人で大丈夫なんだろうかと不安に思い揺れが収まった後すぐに電話をしました。

普段は電話好まないので電話をしたとしてもすぐに切るのですが、地震後から途中でもう一人同期を加えて2時間程度電話していました。最初は同期が心配だからという理由で電話をしましたが、二人の声を聞くことが出来て安心している私がいました。電話を切った後に同期を心配しているはもちろんあると共にもしかして私自身が不安だったからなのかなと思いました。泣くことで地震がなくなるのであれば泣きたいレベルでした。が、こんなことでは解決しないので泣けませんでした。


3.11の時私はまだ学生で、友だちと帰宅するため私含めて6人で玄関にいました。停電から始まり徐々に揺れていく足元、初めて経験する大きな揺れ。怖かったという思いはなく、揺れが怖くてしゃがんでいる友だちが心配で、とりあえず外に出なきゃと友だちを引っ張って全員外に出しました。校庭で集まる生徒に指示する先生の言葉なんて耳に入らず、まだ私より小さい従妹たちと祖父母が気になってすぐに迎えに行ってあげたい気持ちでいっぱいでした。ここでも怖いはありません。

その日は両親が県外にいたので、叔母と協力して従妹たちと祖父母を守るべく、食料の確保、灯りの確保、温度調整の確保など何が起きてもいいように出来る限りの準備をしました。

恐怖よりも守らなきゃが強かった当時の私。そんな私が昨夜は震え足が動かず、座っていることも出来ず、寝ることも出来ずにいました。なぜ?私ってこんなに怖がりだったのか?もしかすると当時も泣きたいほど怖かったのかもしれないと初めて気が付きました。

今回のことで私が想像しているよりも私は強くなきゃと思っているだけの人間でした。決して弱い人間だとは言いません。怖いことがある人に対して弱いと思わないので私に対しても同じです。でも強がっていたんだなと気付かされました。何事に対しても我慢していたのです。

そんなことない。大丈夫。強くいなくちゃ」という思いで我慢してきていたのです。本当は何となく恐怖不安も感じていました。手足が震えていたり、心拍数が上がっていたり、いつも以上に五感が鋭くなったり色んな症状が出ていたのです。それを私は「ビビってる私おもろすぎ」とわざと笑うようにしていました。

実際このビビってる私おもろすぎ作戦は発表会や大事な場面では大活躍します。緊張していても笑い飛ばすことが出来るので。でもこれが良いのか悪いのかクセになり、どんな感情でも押し殺すことが得意になってしまいました。心の中の喜怒哀楽はめちゃくちゃあるのに顔に出さないことが出来ます。

昨日は午後から背後に違和感がありました。スピリチュアル的な力はないですが違和感がすごくて。急にアプリが使用できなかったり、なぜか一人になるのが怖かったり、帰り道なんて後ろが怖すぎて走って帰りました。お風呂に入っているのも怖くて、ずっとある違和感を抑えるために好きな動画を見て寝ようと仰向けに寝ていた時1回目の揺れ違和感が増し、その恐怖がちゃんと現れた気がしました。急いで外に出れる準備、玄関に待機、大きいの来た!!と思えば恐怖で足が動かず…何もな方から良かったものの違和感の正体はずっと抱えていた恐怖とか不安がタイミングよく出てきたのかなと感じています。

全ての出来事に意味があると良き聞きますが、私にとって今回のことは強がっている自分を知るために起きたことだと思っています。そして、心配してくれる家族や友人・電話してくれた同期という大切な存在への気付きと今当たり前に生活が出来るという幸せの気付きなのかなと思いました。

自然災害は怖いです。いつ何が起こるのか。だからこそ小さな気付きも大切にしていきたいです。今回色んなことに気が付けて良かったです。

小さな気づきを大切します。そして私の中で勝手に決めていた強くなきゃという思いを捨てたいと思います。強くなきゃと頑張ってきた私ありがとう。これからは恐怖や不安がある私も私なので大切にしていきたいと思います。

ありがとう。

ぷあ

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