眠る前にしていること
二人目の子供を産んでから1年が経った。自助グループに行き始めてから約半年が経った。自助グループで輪読している回復のためのステップ本に「祈ることで回復につながる」と書いてあったこともあり、最近眠る前にお祈りをするようになってきた。
我が家はご飯の後お風呂に入る。お風呂の後、水を飲ませた次男を抱っこ紐で抱っこして眠らせて、起きないようにそうっと布団に置く。それから長男に絵本を読んで、抱っこして一緒に布団に寝転び「大好き、大好き」と呪文のように繰り返しながら眠るようにしている。でも、よく私の方が疲れて先に寝てしまい、抱きしめていた腕を外して好きな姿勢でぐーぐー寝ていると、長男が「ママが抱っこしてくれないよ〜」と号泣しているらしい・・・。長男としては、ずっと眠ってから目覚めるまで(文字通り)抱きしめていてほしいのだ。しかし、眠った後の私の母性のスイッチは切れるらしい。(苦笑)
この夜の抱っこの最中に私はなんとなく不安な気持ちが湧いてくるようだ。お風呂に入って布団に入って気が抜けるのもあるのかもしれない、ふぅと息をついて布団に横になると「お母さんごめんなさい」という言葉が無意識に漏れてしまう。いつも学校から帰ってきてから寝るまで何時間も怒られて謝り続けて、ひとり布団の中でも嫌悪感が続いていて「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返していた、その思い出が脳内で再生しているのからなのかもしれない。長男は、私がふと漏らした「ごめんなさい」に対して「お母さんじゃないでしょ、けいちゃん(息子の名前)でしょ?」とか「お母さんはいないよ」とか「ママなんでごめんなさいしているの?」挙句はもう自分がお母さんだと仮定してくれて「いいよ〜、ママ大丈夫よ〜」と代わりに許してくれたりする。私は内心、「あぁ、また言っちゃった 子供が不安になるかな・・・」と思いながらも、自分が漏らした不安をできるだけポジティブに終わらせるために「うん、ありがとう」とか「今のは、神様に話しかけたの」とか言ってその場を納めようとする。
自助グループに行き始めて半年くらいが経ち、「祈ること」の威力について気づかされ始めた。思えば私の祖父は毎朝毎晩仏様に念仏をあげていた。あんまり毎日やるものだからすっかり覚えてしまい、幼い私も隣で一緒に般若心経を言っていた。中学高校時代は朝夕の2回に礼拝があった。全校生徒で賛美歌を歌ってお祈りをしていた。社会人になって遊びで行ったタイ旅行で出会った町で評判の霊媒師のおばちゃんからは「あんたの人生は、大変だけど、あんたは強くなるしかない あんたはお祈りができるからそれはいいことだから続けなさい」と言われた。今思えば、あの時の霊媒師のおばちゃんは「祈ること」の癒しの効果を私に伝えたかったのだ。残念ながら今まで全然、そういう風に理解していなかったけど・・・。心的外傷後ストレス障害の苦しいフラッシュバックや解離性同一性障害による内面の混乱などからくる生きづらさを抱えつつも、アルコール依存や薬物依存に巻き込まれずに普通に働きながら生き続けられたのもひょっとしたら、神様や亡くなった母に祈る習慣が自分を支えてくれていたからなのかもしれない。そう思った私は、眠る前に子供に「大好き」という代わりに二人でお祈りをしてみることにした。布団に寝転んで目を閉じて子供を抱きしめながら「神様、今日はけいちゃんと一緒にお友達のうちに遊びに行きました。たくさんおもちゃで遊んだ後散歩をしてアイスを食べました。とても美味しかったです。その後一緒にご飯を食べて、面白いテレビを見てみんなでお風呂に入って楽しかったです。今日も見守ってくれてどうもありがとうございました。また明日も見守っていてください。」という感じに。
お祈りをはじめて3日くらいが経つと、今度は子供が「最初に僕がやるから、次ママね」と言って勝手に自分で文章を考えてお祈りするようになった。「けいちゃんは、仮面ライダーで、やっつけちゃいます だからカッコイイです そして遊びます 飛行機で行きます 神様 ありがとうございます」。意味不明だけれど、熱心に祈っている。その後「じゃ、次ママ」と言って私に祈らせる。私はまるで日記を書くようにその日にあったことを思い出しながら、今日はこんなことがありましたと箇条書きに報告するように淡々と短く述べる。そして最後に「いつも見守ってくれてありがとう また明日も見守っていてください」と言う。「そして可愛いね、可愛いね、大好きよ」と念仏のように子供に何度もつぶやきながら眠る。もし私がいなくなったとしてもこの言葉が、息子の脳に何度も何度もリピートされ続け、この子を守ってくれますようにと願いながら。