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枯草の根

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社会不適合でも頑張って生きてる、と証明するには文章を書くしかあるまい。そんなことを思いながら、書いているのです。
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2016年4月の記事一覧

貴方が私を嫌うように、私も貴方を嫌っている

 「この人の、この書き込み……私のことなんじゃあ」

そのように感じる書き込みは誰に宛てられたものでもない「うざ」という二文字。文脈も何もない、ただの二文字。「うざったい」の省略形である「うざい」を更に略しただけの。それを見て、私の心は文脈を補い、傷つき、腹を立てる。

 「絶対、私のことだ」

そう確信して、私も同様の書き込みをする。「死んで欲しい」と。

殺したいのは私。鏡は誰だってよかった。

理解と不理解の溝は、言葉じゃあわからない。「私は君を理解しているよ」と言われても、口先だけ弄している、と疑念は晴れない。

また、態度で示されても、本当かどうかわからない。一時的な演技なら、その気になれば誰でも出来る。

それなら「理解しようと頑張ってくれている」状態が最上位なのではないか。現状では不理解であろうと、近づく可能性はあるし、可能無限的に理解に到ることも出来る。

その延長から、「あた

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