自信×5人〜散髪が生んだwell-being〜
閉じこもって2年
きっかけは5月初旬。
蒸し暑く、梅雨を思わせるようなシトシト降る雨の日だった。
私は訪問看護の利用者である石田さん宅にいた。
石田さんの家は薄暗く、何日か続いた雨のせいか普段よりジメジメしている気がした。
床には食べかけのミカンやパンの袋が散乱している。
石田さんはアルツハイマー型認知症と診断されている。
自分でできるのは、喋る、食べる、寝る、トイレ。あとはテレビを観ること。
家の片付けや身体を拭くのは全てヘルパーさんや訪問看護師がしている。
それでも愛想良く、人が家に来ても「どうぞ、どうぞ」と温かく出迎えてくれる。
そしてケアを終えると「いつもゴメンね。ありがとう」と言ってくれる。
だからみんな石田さんのことが大好きだ。
そんな石田さんが、2年以上拒否していることがある。
外出だ。
「外に出たら死んでしまうわ」
これが当初の口癖だったようだ。
閉じこもりと不衛生の問題から、昨年の地域包括支援センター主催の地域ケア会議で議題に上がり、そこで「訪問リハを入れてはどうか」となってから訪問リハを開始したのだが、だからと言って、急に屋外歩行をしてくれるわけでもないのは明白だった。
今年の4月に入職した私は、前任者から石田さんの担当を譲り受けたが、その際の申し送りにも、
「外連れ出したいんですけど、絶対出ないんで」
と、言われていた。
4月はこちらから敢えて外に出ようとは言わなかった。
関係がこじれて拒否されても嫌だし、そもそも目的なく外出しても何もならないと感じていた。
お話して、布団周りを一緒に片付け、テレビでやってる体操を一緒にした。
5月のビッグイベント
そして、5月。
暑い上に雨でジメジメしていた今日、
「石田さん、髪切りたくない?暑いでしょ?」
私はそう尋ねてみた。
石田さんの髪の毛はかぶりものを被ったように伸びてボサボサになっている。
だって外出してないから、散髪にも行ってないわけだ。
「髪?切りたいよそりゃあ!」
「え?ほんま?」
私は耳を疑った。
「じゃあ散髪しに行きます?」
「行きたいけど、どうやって?そんな歩かれへんで?」
「そんなん、車いすでも何でも方法ありますよ!」
「今日行くの?」
「いや、今日は雨だし…え、ちょっと先にケアマネさんに連絡していいですか?」
私はそう言って、その場で石田さんの担当ケアマネジャーである松下さんと言う女性に連絡した。
「あ、お世話になっております。今、石田さんのところに訪問に来てるんですけど、散髪に行きたいんですって!」
「うそーー!行きましょ!私も今からそっち行きます!」
と、言ってすぐに電話を切られた。
私は石田さんを見直して言った。
「ケアマネの松下さんも、今からここ来るって。みんな髪切る言うたらビックリしてますよ」
「何でかなぁ?髪切るなんて普通よね?」
「何年も切ってないからじゃない?」
そんなやりとりをしているところに松下さんが到着した。事業所にいたらしく、すぐに来られたのでビックリした。
「こんにちは!石田さん、ホントに散髪行く?」
「うん、行きたいの」
「嬉しいわぁ。いつ行く?今日雨じゃなかったらこのまま連れて行きたい!心変わりせんうちに!」
松下さんは喜び勇んで、早口になっていた。
「“外出練習”という名目で僕が連れて行きましょうか?来週この時間の訪問、石田さんで終わりなんで。僕入職したてだから時間あるので」
「え、いいの?」
「はい。だって、このチャンス逃したくないですもんね。事業所の車いす持って来ますよ!」
松下さんが石田さんに向かって言った。
「石田さん!このお兄さんが車いす持って来てくれるんだって!だから来週のリハビリの時間を使って散髪行こうか?すぐそこの美容室行ってたの?」
「そうそう。バス道のね。来週?いいの?嬉しいわぁ!どうやって行くの?」
ここから何度も、“来週”、“車いすで”というワードを繰り返し、カレンダーにも書いてこの日の訪問は終了した。
石田さん宅を後にする時、普段は部屋から出ようとしない石田さんが門まで送りに出てくれた。
しかも雨の中だ。その姿に私よりずっと前からの付き合いのある松下さんは驚いていた。
「あんなの初めてですよ。しかも歩けるやん、ここまで!何言ったんですか?」
「いや、何も。暑いしジメジメするから散髪したくない?って聞いただけです」
「元々すごいオシャレだったみたい。今でも爪綺麗にしてるでしょ?そう言えば、男性が石田さん担当するのって初めてかも…異性の目って大事なんでしょうね」
「それは多少あるかもしれませんね」
「奇跡ですよ!来週楽しみです!私も来ます!ドタキャンされそうやけど、すぐそこの美容室に元々行ってたみたいだから、帰りに予約と今の髪の毛の状況だけ伝えときます」
「来週なって、嫌やぁ!って言いそうですもんね。そうならんこと祈ってます。予約よろしくお願いします。お金はあるんですかね?」
「お金はあるはず!買い物もヘルパーさんに頼んでるから。前日に入るヘルパーさんにお金の確認だけしといてもらいます」
「ありがとうございます!よろしくお願いします」
そう言って、私と松下さんは別れた。
奇跡だなんて…1人のおばあちゃんが散髪をするだけで、えらい騒動だ。
いざ、散髪
それから1週間が経ち、約束の日。
事業所を出る時も前任者のスタッフや他のスタッフも、
「絶対に写真撮って来て!」
「訪問終わったら会いに行こかな」
などと楽しみにしている。
更に、石田さんの外出のインパクトが伝わってくる出来事はまだ続く。
(本当に行ってくれるだろうか…)
そんな不安を抱えながら石田さんの家に到着した私は、車から車いすを下ろした。
すると、1人の女性が自転車で近づいてきた。
「こんにちは。石田さんのリハビリの方ですか?」
そう尋ねられて、
「はい、そうです」
と、答える私にその女性は自己紹介をしてくれた。
「私、地域包括支援センターの岡田といいます。石田さんが要支援だった頃担当していました。私の頃から散髪してなかったので、たぶん5年ぶりぐらいだと思うんです!」
「5年⁉︎」
「ええ。だから今日は是非ご一緒したいと思って来ました!」
なるほど。
私と石田さんはまだ1ヶ月の付き合いだから“普通に”散髪を勧めたので、変に意気込んだり、気を遣ったわけではないことが良かったのだと感じた。
石田さん宅には既に松下さんが到着していた。
チャイムを鳴らすと勢いよく松下さんが顔を出した。
「行きますよー!準備万端!着替えもバッチリ!」
それを聞いて一安心した。
ひとまず家に入り、石田さんに挨拶。
石田さんは綺麗な柄シャツを着て、いつも裸足なのにちゃんと今日は靴下も履いていた。
「こんにちは。行く気マンマンですね!」
「楽しみにしてたから。よろしくお願いします」
石田さんの笑顔を見て、さっきまでの不安は消え去っていた。
一応リハビリなので、ルールとしてのバイタル測定を行い、異常がなかったことを確認し、出発した。
玄関を降りる、鍵をかける、門までは支えがないのでそこは軽く支えて歩いた。
外出していなかったので、1つ1つが新鮮な評価となる。
美容室までは100mほどだが、門までの歩行を見るとやはり車いすが必要と感じたので、予定通り車いすに乗って向かうことにした。
石田さんの後ろには車いすを押す私と、ケアマネジャー、包括職員。
一見向かう先が美容室とは思えない。
美容室に着く直前、松下さんが申し訳無さそうに話し出した。
「この店、普通のおばちゃんがやってるんですよ。先週予約来た時に、髪の毛もこんな感じでって伝えたら、『私も引退せなアカン歳やからそんなんうまくできるかわからんよ?そもそも、そうなる前に連れて来なアカンでしょ』って少し怒られたんで、下から下からお願いしましょう」
まぁ、専門職じゃなく町の美容室からしたらその反応になるか、と思った。
予約をしたのは松下さんなので、最初に入ってもらう。
ドアを開けてそっと話しかける。
「こんにちは…」
「あぁ、先週の?待ってたよ。入ってもらって」
ぶっきらぼうなおばちゃんの声が聞こえたので、私は石田さんを乗せた車いすを店内へ進めた。
私たちが店に入るとおばちゃんの声のトーンがあがった。
「あぁ!石田さんかい!すごい頭して!」
「やっぱり、ご存知でした?」
松下さんがおばちゃんに尋ねると、
「そら、昔からのお客さんやもん。久しぶりやね。まぁ色々あるわな、歳いくとな」
石田さんはフフフと笑っている。
おばちゃんは我々の方を向いて、
「アンタらずっといるの?1時間かかるけど」
恐らく店内にずっと居られるのは嫌なのだろうと察して私たちは1時間後に来ると約束し、店を出た。
私は石田さんを店に残すことに不安があったが、他の2人はあまり心配していない。
店を出て私が、
「石田さん、大丈夫ですかね?」
と聞くと、松下さんが答えた。
「先週名刺渡してるから、何かあったら電話かけてくるやろうし。それに石田さんもおばちゃんも久しぶりに会って話すこともあるかもしれないから」
「そうそう。いつも支援者ばかりと接してるけど、これが本来の石田さんの関わりやから、私らは必要ないかなって思います」
岡田さんも続いてそう答えて、さらに続けて言った。
「松下さん、良かったよね。去年のケア会議でさ、訪問リハ入れるって話になって、実際にそれが今日に繋がって。あの会議も捨てたモンじゃなかったんだよ」
松下さんはうん、うんと頷いている。
この辺はやはり長年地域で働いてきた方々の課題感とジレンマなのだろう。
2人の安堵な表情と、感慨深い相槌を見て、私は地域で働く難しさとやりがいを感じた。
私たちは1時間後に美容室前で合流すると約束して、一旦解散した。
繋がるwell-being
約束の時間より5分ほど早く、私は店の前に着いたのだが、松下さんも岡田さんも既に到着していた。
「覗いてみて!めっちゃ変わってるから!」
松下さんに言われて店内を覗くと、
「え?誰⁉︎」
と、思わず言ってしまうほど、ショートヘアの石田さんが最後の仕上げをされていた。
個人的にそれより驚いたのは、石田さんとおばちゃんが“普通に”話しており、時折笑い声も聞こえてくる。
石田さんはアルツハイマー型認知症であり、5年も店には来ていない。
おばちゃんは町の美容室の美容師さんであり、認知症のケア専門士ではない。
この2人の間には、専門職と石田さんの間にある“変な気遣い”がなかった。
何年も外出していなくとも、人の繋がりは消えてないようだ。
松下さんも岡田さんもそれを感じていたらしい。
「認知症って何なんでしょうね?こういう姿見るとできないことさえ手伝えばいくらでもそれまでの暮らしができる人っていっぱいいるなと実感します」
と、岡田さんが言った。
その時、
「終わったよ!見てやって!」
おばちゃんがドアを開けて私たちに声を掛けてくれた。
鏡台の前に座っているショートヘアの女性は鏡越しに私たちを見て照れ笑いをした。
「ホントに石田さんですか?」
松下さんが笑いながら尋ねると、
「そうよ!ビックリでしょ?」
と、石田さんは照れ笑いのまま答えた。
「私もこんなん初めてやわ。この歳になって大仕事!」
おばちゃんは足元にある“元”石田さんの髪の毛をほうきで突いて自慢げにそう話した。
「さすが!プロの技ですねー」
「プロやからね。お金もらってる限りは出来るかぎりのことはせにゃアカンから。でも、石田さん!これからは3ヶ月に1回は来てよ。じゃないと大変やから。私も辞めなアカン歳やねんから」
「必ずそうしますんで辞めないでくださいね!」
石田さんの代わりに松下さんが答える。
「そうやって言ってくれる人がおるのはありがたいもんだよ!仕事してて良かったわ」
おばちゃんはしみじみと言った。
松下さんが先週予約した時、店に入った時は、おばちゃんからウェルカムな空気は出ていなかったが、石田さんの髪を切り終わった今はよく話すし、清々しい表情をしている。
“自分はまだまだできる”
美容師としての自信を取り戻したような、そんな充実感のある表情だった。
石田さんが髪をほったらかしにしたことが思わぬ良い方向に繋がったのだ。
「まぁ石田さん、また来てよ!アンタいい人らに支えられて良かったね」
おばちゃんの威勢の良い呼びかけに、
「うん。ありがとうございました。またお願いします!」
と、しっかり答える石田さんであった。
お会計を済まして、帰路につく。
「久しぶりだから来た道とは違う道で帰ろう!」
と、松下さんが言ったので、私は石田の乗る車いすを押して歩いた。
すると石田さんが曲がり角の度に「コッチ」「コッチ」と教えてくれる。もちろん全て正解だ。
「私が担当してた頃から外に出てないのに、わかってるんだね。すごいなぁ」
と、岡田さんは感心していた。
途中、咲いているツツジを見て、
「良い季節だねぇ。また出かけたいなぁ」
と、石田さんが言ったので私たちは驚いた。
石田さんにとって、今日はどれだけ意味を持つ日なのだろう。
どうやら、ただの“散髪した日”ではなさそうだ。
そして、今日1日で5人の自信が生まれた。
散髪をして身も心も軽くなり、気持ちが外向きになれた石田さん。
ケアマネジャーとして、石田さんを見守り続けて今日に繋げることができた松下さん。
地域包括支援センターの職員として、ケア会議などを運営する中で、その価値を見い出すことのできた岡田さん。
訪問リハで理学療法士として働く中でwell-being体験を得ることができた私。
美容師としてまだまだできると自信のついたおばちゃん。
ー利用者さんを散髪に連れて行くー
ただそれだけのイベントに思えるが、その背景には無力感や葛藤など、さまざまな想いがあった。
まさにターニングポイントのこの日に立ち会えて、多くの人のwell-beingに寄り添えた経験は忘れられないものとなるだろう。
終わり。
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