
働くことは生きること 〜80歳の介護職員のwell-being〜
大腿骨頸部骨折という大怪我をしたLさん。だが術後の経過が順調で、リハビリ病院へ転院せず、そのまま自宅へ退院することになった。
しかし、今回の主役はLさんではなく、そのご主人。
ご主人とは退院前の家屋調査で初めて会ったのだが、80歳にして現役の介護職員だという。ただし、もっと驚いたのは大きく右斜め前に傾いたその姿勢。「一体どうやって働いてるんや⁉︎」と疑いたくなる姿勢だ。
そんなLさんのご主人だったが「いやぁ、困ってまして……」と話しだした。その内容とは?
春ごろのコロナの感染者数が落ち着いていた頃の話。
私は1人の大腿骨頸部骨折の術後のLさんという女性を担当していた。
大腿骨頸部骨折とは、簡単に言うと股関節の付け根の骨折で、手術後の病態が安定しても歩いたり立ち座りが困難な場合が多いのでリハビリ専門病院へ転院し、そこでリハビリをしてから自宅へ退院する人がほとんどだ。
しかし、Lさんは経過がよく、痛みがほとんどない状態でベッドから起きて伝い歩きまでできる状態になっていた。
元々認知症があり、ほぼ毎日小規模多機能型サービスに通っていたので、介護サービスへもスムーズにつなげることができる。
これらのことを鑑みてLさんは直接自宅へ帰ることになった。これはLさんのご主人の希望でもあった。
『お母さん(Lさん)がいないとなんか不安ですねん。大丈夫かなぁって』と電話で言っていたらしい。
Lさんは穏やかだが、認知症は結構進行しており、こちらの問いには『うん。そう。』などの簡単な返事しかできない方だった。
それでも、家に帰れるよと主治医から伝えられるととても喜んでいた。
あまり痛みがないとはいえ、大腿骨頸部骨折は大怪我であり、歩くこと、立つことへの不安は否めない。
そんな方々が自宅へ帰る際は、“退院前訪問指導”といって、患者さんが実際にどう動けるか、どこに手すりがあれば立ちやすいかなど家屋調査をすることができる。
ちょうどコロナの感染者数が落ち着いており、Lさんのご主人の許可が出たことで、入院中の奥様を連れて、私(理学療法士)、ケアマネジャー、病院の退院支援の看護師、福祉用具の業者さんがLさん宅へ伺うことになった。
家屋調査当日
当日は、ご主人が病院に来て、Lさんと介護タクシーで一緒に自宅へ向かい、私と退院支援の看護師は後ろから車で行く。
現地でケアマネジャーと福祉用具の業者さんと集合という段取りになっていた。
出発は14時だったが、その30分ほど前に私のPHSがなった。相手は退院支援の看護師だ。
私「はい。どうしました?」
看「あ、お疲れ様です。あの今Lさんのご主人が来たんですけど、すごい格好なんです」
私「ボロボロの服装とかですか⁉︎」
看「いや、そうじゃなくて、背中がめちゃくちゃ曲がってます!」
私「情報では介護士してるんじゃなかったですか?」
看「そうですよ!電話でも『僕は介護の仕事してるから妻が伝い歩きまでできるなら大丈夫ですわ!』って言ってたから」
私「そうなんですか……まぁ痛みなく動けてるならいいんじゃないですか?気になるから見に行きたいけど、僕も今1人患者さん対応中なんで行けなくて……」
看「あ、それはいいですよ!私が対応しとくので。ただビックリしたから報告しただけです(笑)」
この時私は、『まぁこの歳なら背中ぐらい曲がってるだろう』程度にしか思っていなかった。
対応中だった患者さんのリハを終えたころには、既にLさん夫婦は介護タクシーに乗っていたと聞いたので、この場でご主人に会うことはできなかった。
急いでさっき連絡をくれた看護師と合流し、車でLさん宅へ向かった。
私「Lさん、出るの早くないですか?家入れんのかな?」
看「なんか表側ならスロープがあるみたいで段差なしでマンションに入れるみたい。家の中はご主人が手を引いて歩くって。さっきLさんが歩くの見せると『僕で十分いけますわ!』って言ってたから。でもあの腰で大丈夫かな?」
私「どれぐらい曲がってるんですか?」
看「前と横に、60度ぐらい」
私「60度って!最敬礼レベルですよ?」
看「申し訳ないんやけど、インパクトはそれぐらい……電話口の声と介護士という情報で勝手にイメージを作り上げてたから」
私「でもそれならLさんの方がシャッキリしてるんじゃないですか?」
看「そうやねん!共倒れにならないかなって。Lさんがもう少し良くなったら歩行能力は高いかも」
私「今後のLさんのリハビリのあり方も含めて、家屋調査よりカンファレンスって感じですね」
Lさん宅は病院から車で5分ほど。
既に介護タクシーは到着して、Lさん達は乗っていなかったので、運転手さんがLさんを家までお連れしてるところだった。
私と看護師はマンションの裏口に当たる普段Lさんが出入りしているという入り口から入った。
駐車場からはこの裏口がすぐの所にある。
マンションに入るには高さは16cmの段差が4段あるが、手すりはなかった。
そこを上ると目の前にエレベーターがある。
(足が悪くなければこの道が一番早いよな)
エレベーターでLさん宅のある4階へ。
今入ったところなのかドアが開けっぱなしの家が一件あり、そこがLさん宅だった。
私たちが家の前に来た時、『また後で来ますー』と介護タクシーの運転手さんが出てきた。
私「お疲れ様です。ありがとうございました」
運「いえいえ。玄関からはご自分で壁伝いに歩いて入って行きはりましたよ」
私「そうなんですか?ありがとうございます!」
運「ではまた後で!」
そういうと、運転手さんはエレベーターから下へ降りて行った。
ご主人登場
さて、家の中を覗くと、『どうもどうも!』と、威勢の良い声が聞こえてきた。
噂のLさんのご主人だ。
姿勢は……私の想像以上に曲がっていた。
腰、というより股関節から身体は右斜め前に倒れ、確かに60度ぐらい傾いているように見える。
ご主人(以下、主)「さぁ、中に入ってください」
私・看「お邪魔します」
小声で看護師が『ね?曲がってるでしょ?』と言ったので、『そっすね。想像以上でした』とだけ答えた。
中では、Lさんとケアマネジャーが話していた。
Lさんは病院にいる時よりにこやかだったので、家屋調査でも気分転換に連れ出せてよかったと感じた。
私と看護師はその間にご主人に自己紹介をした。
私「ご主人、はじめまして。Lさんのリハビリを担当しているオカガワと言います」
主「あー、いつもお世話になってます。今日はもうなんでも言ってください!ベッド入れるために部屋も片付けましたから!」
ケア「あ、私も自己紹介が遅れました。担当のケアマネジャーです。よろしくお願いします。今、ご主人からも話があったんですが、元々お布団敷かれてたのを、今回ベッドをレンタルしようとなりまして、ご主人がこの部屋を片付けて入るようにしてくれたみたいです」
畳六畳間の部屋の一部、ちょうどベッドが入るぐらいのスペースが何もない状態になっていた
私「今まではこの部屋でご主人と寝てたんですか?」
主「そう。二人で布団でね。お母さんはこれから奥にベッド、私は下でこれまで通り布団ですわ」
私「ご主人もお布団だと腰痛くないですか?」
主「いや、別に。もう慣れてるし、この部屋にベッド2台は無理ですわ」
ケア「でもお父さん、前会った時より腰曲がってるけど大丈夫ですか?」
ケアマネジャーも『腰の話待ってました!』と言わんばかりに入ってきた。
主「大丈夫ではないです。先月圧迫骨折してると言われました」
ご主人は照れ笑いしながらなかなか重大なことを言いだした。
私「ひょっとして、Lさんが転けた時に一緒に?」
主「いやいや、違います!仕事で全介助の人がおるんですわ。三人がかりでその人を立たして着替えさせるんですけどね、その時にグキって。ギックリ腰かなぁと思って病院に言ったら圧迫骨折やと。コルセット渡されて安静にしとけ言われたんですが、なかなか仕事も休みにくいし、介助の負担が少ない仕事は続けてたんです。そしたらなんかドンドン曲がってきてね」
ケア「それ大変じゃないですか!お休み出来なかったの?」
主「配膳とかレクリエーションとかそんなんはできてるから。ジョークを言って利用者さんを笑わせるのも私の仕事なんです。笑うとみんなええ顔なんですわ。やからお母さんにも言うとるんです『何を忘れてもええけど、笑顔だけは忘れなや、お母さん』って。ただ困りましたのが、歩くと息切れてそれがしんどいんですわ。足もこんなんでね。」
そう言ってズボンをめくると両足がパンパンに浮腫んでいた。
看「あら!すごい浮腫んでますね!」
主「お宅の内科の先生にエコーで診てもらって血栓はないということなんですけどね。それは一安心なんやけど、息切れると仕事がしんどーてね。所長にも無理しなや言われてますわ」
と、言ったところで福祉用具の業者さんが遅れて来た。
ご主人のインパクトと話好きで話の主役がドンドンご主人に向き出したので、ここで一旦Lさんへ軌道修正。
私「とりあえず、Lさんのベッドの位置と動きの確認をしましょうか?」
主「そうそう!それお願いします」
Lさん宅の廊下は狭いので壁伝いに歩くことはできる。敷居となる段差もほとんどない。
また、元から尿意、便意がなく自宅ではご主人が、施設ではスタッフが定期的にトイレへ誘導し、汚れていればそこで変えるという生活をしていたので、自宅でも一人で動き出すことはないとわかったので廊下に手すりはつけないことにした。
トイレに便座からの立ち座りと立つ時に支えとなる手すりは既にあり、骨折後の今でもそれを使用して立ち座りは可能だった。
よって、環境を変えるのはベッドの搬入と、普段座っている椅子をキャスター付きから脚のしっかりした肘掛け付きの椅子に変える程度で済んだ。
Lさんの退院前日にベッドを搬入したかったが、ご主人が仕事のため退院日の朝にベッドを搬入し、Lさんは昼から退院となった。
福祉用具の業者さんはここで退出。
この方達は担当のエリアがあり、結構忙しい。
リハビリ×Lさん夫婦
続けて今後のリハビリの話になったが、ほぼ毎日施設に通っているLさんだが、その施設に理学療法士のようなリハビリ専門家はいないという。
まだ手術後1ヶ月も経っていないのでしばらくリハビリを継続した方がいいのは明らかだ。
私「本来ならまだリハビリ病院でリハビリしててもいいぐらいだから、リハビリを受けた方がもっと動作も安定しますけどね」
ケア「ウチの施設には理学療法士さんいないし。通院のリハビリとかあるんですか?」
私「ありますけど、どうやって通院されます?」
主「そしたら私が連れて行きますよ?夜もされてるでしょ?」
私「19時までしてますよ。え、大丈夫なんですか?」
主「仕事後に施設さんにいつも家内を迎えに行ってるんです。そのまま寄れば6時には着きますから」
私「え⁉︎車の運転してるんですか?」
ケア「いつも仕事後に奥様を迎えに来られるんです。定期の送迎の時間を過ぎてるのでスタッフでは対応できなくて」
主「やからそれで大丈夫です。仕事帰りで」
そう言ってご主人は勤務表を開けだした。
週3-4日シフトが入っている。
看「ご主人、仕事忙しいですね?」
主「いやいや、もう生き甲斐ですから」
私「何年されてるんですか?」
主「介護は定年後やから20年近くかな。それまでは大きい会社に勤めてましてん。退職金もようけもらいました(笑)」
(羨ましい!)
ご主人が続ける。
主「背中がこんななったから余計やけど、息子らは運転も仕事も止めろって言う。いっときはホンマにその方がええんかなって思いましたけど、そしたら何のために生きとるかわからんくなる。働きたい人は働けばいいし、家でじっとしたい人はじっとしてたらいいわけです」
『素晴らしい!!』
と、心の中で拍手した。
まさに自分らしさ!well-beingだな、と。
私「私たちはご主人が負担でないなら夜の外来リハで大丈夫ですよ」
ケア「いいですか?良かったね、Lさん」
L「うん」
あまりわかってなさそうだったが、みんなが喜んでるからかLさんも笑顔だった。
主「ええなぁ、お母さん。ワシもリハビリ受けたいわ。この腰治してな。動きやすくなりたいわ」
腰の変形で息苦しさまで感じているご主人。
さっきの話を聞いた後だから『ご主人らしさが失われてる』と思った私は一つ提案することにした。
私「ご主人、ウチの病院かかってるんでしょ?リハビリの処方出してもらえるかもしれませんよ?」
看「あー、ホンマですね」
主「どないしたらよろしいの⁉︎」
私「かかってるのは内科の先生だけですか?」
主「そう。血圧とかはお宅の病院ですねん。圧迫骨折はまた違う病院で言われまして。いろんな病院かかってるから」
私「なるほど。腰が曲がって息苦しい、生活に支障があると事情はその主治医の先生に伝えておくので、そこからは先生の判断になりますけど、リハビリの処方してもらえるかもしれません」
主「あー、先生の許可がいりますんやな?ちょうど来週受診がありますので、そうしてもらえるとありがたいです!」
私「一番は圧迫骨折の診断を受けた整形外科の先生の紹介状があればスムーズなんですけど、まだ受診に行く予定ありますか?」
主「今日の晩行きます。もうすぐそこですねん。その先生には何回もあちこち痛い言うては世話になってるから」
私「ならリハビリを受けたいとの旨をその先生に伝えてください。紹介状の話と一緒に」
ケア「よかったですね。ご主人が元気じゃないとLさんも困っちゃうから」
主「ホンマにね。共倒れになったら施設に入らなアカンし、子どもらは遠いから世話になれないしね。いやぁ、よかった!リハビリ受けれるのは!人生に希望が見えた。光が差しました!」
私「あくまで先生の許可が下りたらですけどね」
看「大丈夫なんかな?」
私「よく他院からの問い合わせで『どうしたらそちらで外来リハビリが受けれるか』って聞かれるので、その流れ通りなんで大丈夫です。あとは整形外科の先生が紹介状さえ書いてくれたら」
するとLさんのご主人は携帯電話を取り出してどこかに電話をしはじめた。
主「あ、もしもし。Lです。お世話になってます。今日そちらに行くんですけど、私腰のリハビリを受けたいんで、先生に紹介状書いてもらえますやろか?……」
せっかちなのか、期待が膨らんでの行動なのか、紹介状の件を整形外科に問い合わせていた。
何度かのやりとりがあって『あー良かった!じゃああとでうかがいます』とご主人が言い電話をきった。
主「紹介状書いてもらえるみたいです。先生もリハビリはした方がええって言ってるみたいで」
看「すごい行動力ですね」
主「善は急げ言うでしょ?」
私「ではLさんと同じ日に来ると思ってたらいいですね?ちなみに夜は予約制じゃないからご主人のタイミングで来ていただいたらいいです。土日だけありませんから覚えててください」
主「ありがとうございます!」
時間も介護タクシーの時間がちょうど迫っていたので、家屋調査兼カンファレンスはここで終了した。
リハビリは人の希望になる
Lさんに車いすを勧めると、『歩くよ』と珍しく意思表示があった。
部屋から出て廊下、玄関、マンションの廊下……と、伝い歩きで、そしてエレベーターに乗り一階へ。
そこまで見守りで行けたのでケアマネージャーが拍手をすると、Lさんはどこか自信あり気な表情をしていた。
ちょうど介護タクシーが着いたので、Lさん夫婦はそちらに乗り、我々も帰路についた。
去り際にケアマネジャーが声を掛けてくれた。
ケア「なんかご夫婦の話になってすいません。ご主人がこんなに腰が曲がってるなんて知らなくて、びっくりしました」
私「キーパーソンですもんね。ご主人にはできるだけ元気でいてもらわないと。それがご夫婦のためですもんね」
ケア「そうですね。またリハビリについてわかれば教えてください」
看「また退院の話と合わせて連絡しますね!」
私は病院に着くとLさんのご主人の担当医に経緯とリハビリについて説明したところ、アッサリOKをいただいた。
それを退院支援の看護師に連絡し、ご主人に伝えてもらったところとても喜んでいたらしい。
翌週、Lさんは退院し、外来リハビリに通うことになった。
そのタイミングでご主人も紹介状を持って受診し、リハビリが開始となった。
今現在もご夫婦でリハビリを受けている。
Lさんは独歩で歩けるようになり、ご主人は腰が少し伸びるようになり息切れが軽減した。
ご主人がリハビリに対して“希望の光”と言ってくれたのは嬉しかったし、みんなが喜ぶ提案をできたのは良かったと思っている。
反面、自分たちの仕事が“人の希望を叶える力”を持っていることへの責任感も痛感する発言だった。
他にも
・何を忘れても笑顔は忘れたらアカン
・働きたい人は働き、じっとしたい人はじっとする
など、Lさんのご主人は高齢者ケアに関わる私たちに大事なことを再確認させてくれた。
こういう実直な人に出会ったあとは背筋がシャンとする。
明日からもしっかり頑張ろうという気持ちになった。
終わり