対話! 〜自分と妻と、再び自分〜
−働いている限りは、『やりがい』や『自分にしかできないこと』を求めて、仕事がしたい−
誰しも一度は思うことではないだろうか?
私もそうだった。でも、どう考えてもうまくいかずに途方に暮れていた。
そんな私を変えてくれたのは、妻との対話だった。
自分との対話
私は理学療法士というリハビリに携わる仕事をしている。
勤務先の病院では、骨折後の手術明けの方、心臓や腎臓の病気の方たちを中心に、彼らの身体や生活を良くするために働いている。
もちろん、人の役に立っている実感はあるし、私自身この仕事は大好きだ。
しかし、現状には不安・不満があった。
・経験とともに知識、技術、接遇は向上し、出せる結果も変わったが、給料はほとんど変わらない。
・役割が管理職寄りにシフトしていく中で、興味のない仕事に忙殺されてしまう。
・このままでは、“その他大勢”の理学療法士で終わってしまうんじゃないかという不安がある。
書店に行けば、いろんな著名人が『やりたいことだけやれ』『すぐに行動しろ』などと囃し立てる本がバンッと目に入ってくる。
『よし、自分も!』と思って、13年間働いた今の職場を退職し、介護事業所を立ち上げようと考えた。
介護事業所を立ち上げようと思った理由は大きく2つ。
・高齢者が1/4を占める世の中では、高齢者が自分らしさを取り戻して、自律した生活を送れるようになると活気ある魅力的な街になると考えたから。
・介護予防に注力して、自助の力を高めると社会保障費の抑制に繋がるから。
毎晩、毎晩、妻と子どもが寝てから本やインターネットで、起業するには何が必要か?法人の設立はどうするのか?経営とはどうするのか?ヒトやカネはどう集めるのか?を調べた。
全然面白くなかった。
それでも、自分のやりたいことに向かっているのだから産みの苦しみだろうと考え、ノートに書いたりパソコンのスライドにまとめた。
しかし、経営や人材のことなど、調べれば調べるほど、無理なことに思えてきた。
現場のイメージはできても、その手前や奥にある事務系のことがどうもイメージできない。
勝手に悩んで眠れない日もあった。
せっかくまとめたノートをくしゃくしゃにするなど、物に当たったこともある。
ある夜、自分の中の“何か”が折れた。
「あー、結局こんなもんか。特別な能力なんて何もないし、“その他大勢”の理学療法士でちょうどいいのかもな。家族も養えるし、目の前の患者さんは喜んでくれるし。それでいっか」
心の中で、いや、ひょっとしたら口から漏れてたかもしれないが、そう呟いた。
こうやって諦める人は星の数ほどいて、今の自分を納得させて、これまでと変わらない日々を送る選択肢を選ぶんだろう。
わかっている。結局は努力と“やりきる力”が足りないのだ。
成功する人は皆、努力し続ける……まさに継続は力なり、だ。
努力が足りない、続かないのは、そこまで本気に思ってないからだろう。
同じ理学療法士でも志を高く持ち、クリエイティブなことをしてる人達がいて眩しく見えた。
『この人たちは努力し続けてここまでやったんだろうな。俺にはできひん』と、またまた勝手に自分を蔑んだ。
妻との対話
「はぁ……」と、私はため息をついた。
その時、ガラッと寝室のドアが開いて妻が起きてきた。
「まだ起きてたの?」
妻が怪訝そうに聞いた。
「うん。なんかモヤモヤが治まらんくて」
妻に起業したいとは話はしていたが、うまく考えがまとまっていないことはあまり話していなかった。
「別に無理に起業なんかしなくていいんじゃない?」
「いつまでも今のままじゃ嫌やねん。ただ、やるからには失敗できない。成功せなアカンからいろいろ考えるんやけど、難しくて……」
弱音を吐く私に妻は言った。
「成功って何?」
私が言った『成功せなアカン』についての質問だった。
「社会に認知されて、収入という結果がついてくること、かな?細かい話はわからんけど、ザッと計算しても今の給料分を稼ぐのって難しいみたい」
「ん?お金のために起業するってってこと?」
「いや、やりがい目的かな?社会に貢献してるってやりがいが欲しいねん。社会に貢献してたらもちろん収入っていう形に現れるはずやろ?」
私は、自分で何を言いたいのかわからなくなっていた。
どうも、やりがいを求めていたつもりが最終的に収入の話になっている。
確かに、これまで起業について考えた時、つまずいていたのは全てお金が絡む内容だった。
妻が言った。
「“成功”に執着してるんじゃない?執着を手放した時、人は幸せになれるみたいよ」
執着を手放す、か。
『成功したい』って気持ちで起業という手段を選んだが、収入不安という壁にぶち当たって私は一人で失意のどん底にいる気持ちになっていた。この状況に、
「成功どころか、失敗やな」
と、私は独り言のように呟いた。
ただ、“成功したい”という執着を手放すと、これまでと変わらないスタイルの仕事が続いていくのかと思うとそれはそれで気持ちが沈む。
「よく『得意を仕事に』とか『好きを仕事に』って言うやんか?俺みたいに得意なことや好きなことがない人間はどうやって仕事にやりがいを感じればいいんやろな?」
「何かをまとめたり発表したりすんの得意やん!これまでだって使うかわからへんのに起業案をノートに書いてスライドにしたりしてたやろ?普通そこまでできひんのちゃう?やからそういうのが得意なんやって!」
自分が“まとめるのが得意”だなんて、妻に言われるまで考えたこともなかった。
「つまり資料づくりが得意ってこと?理学療法士とはつながらへんなぁ」
せっかく私の得意(そんな意識は無いが)分野を見つけてもらっても、それを活かす術が思いつかないので気持ちは暗いままだった。
「とりあえず、焦って答えを出すものでもないし、今日は寝たら?」
妻はそう言って「先に寝るねー」と寝室へ入って言った。
確かに、寝不足でこれ以上辛い想いをしたくないので、私も寝ることにした。
自分との対話 Part2
その日から私は次のことに注意しながら考えをまとめることにした。
・“成功”という執着を手放す。
・得意なことは考えをまとめて発表すること。
・自分が継続できる好きなことは何か?
ここで一つのことに気づく。
“成功”についての定義づけが違うのではないかと思えてきたのだ。
妻と対話した際、私は「社会に貢献すると結果として収入が得られる」と言っていたが、何度考えても収入を増やしたくて起業という考えに至ったわけではないのは確かだった。
起業したかった理由は、
『その他大勢の理学療法士になりたくないから』だ。
つまり、私の“成功”は、『社会に自分の個性を示すこと』で近づくのではないか?
“その他大勢”の理学療法士にならないために起業を選択したら、自分がドンドン苦しくなった。
つまり、手放すべきは“起業という選択肢”であって“成功したい気持ち”ではない。
こうなると考えるべきことは明確だ。
『社会に自分の個性を示す』には、どうすればいいか?
“自分の個性”
→理学療法士という仕事で自分が大事にしていること。
ここではこのように定義した。
私が理学療法士という仕事で最も大事に考えているのが、患者さん、利用者さんの well-being(自分らしさ、幸福)を取り戻すことだ。
well-beingを取り戻す上では、単なる理学療法だけでなく、対話やその人の持つ人生観の共有などが必要となる。
患者さんとの出会いから well-beingを取り戻すまでは、立派な物語だ。
この、自分が大事にしている個性(仕事への考え方)を社会に示すために辿り着いたのが、
「noteで患者さん達との出会いを物語として綴ろう」
というものだ。
この方法をとったのは、妻が「あなたはまとめることが得意」と、私の得意分野を教えてくれたからだ。
今私は、“理学療法士× well-being×物語”というシリーズで、実際に私が経験した、患者さんの well-being獲得への物語を投稿している。
とても楽しいので時間を忘れて書いている時もある。
起業のことを考えていた頃とはえらい違いだ。
仕事でも、『新たな人の well-beingを!』という気持ちがより一層高まった。
まさに、win-winである。
一人で悩む時間も貴重な時間だ。
ただ、苦しくなった時、誰かと対話することで打開策が見つかることも多い。
私も、妻との対話で自分の進むべき方向が定まった。
誰にでも、一人じゃ気づけないことがある。
終わり。