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人に気を使うから疲れる。本当に気を使っているのは自分じゃない?

仕事が終わった時や、仕事に行く日の朝はどのような感情が心の中にありますか?

仕事が終わった時
・開放された~
・自分の好きなことができる!
・ようやく終わった。

仕事に行く日の朝
・できれば行きたくない
・休みであればいいのに
・しょうがないから行くか

なんだか、仕事は非常に疲労するもの。身体的な疲労感もそうだが、特に精神的に疲労する。それは人に気を使うからだろう。本当にそうだろうか?


人に気を使っている?

「サザエさん症候群」って聞いたことがありますか?日曜日の夜にやっているテレビ番組ですが、休日が終わり、明日から仕事が始まるため憂鬱になってくる。ちょうどそのタイミングとしてサザエさんがやっているからということ。
仕事って辛いものって常識みたいなところがあって、ほとんどの人が、辛くても堪えて頑張るものと考えている。では、何が辛く感じるのでしょうか?

自分が特に疲労を感じていたのは、人に気を使うから。その精神疲労がとても強く、職場から離れた開放感は気持ちがいいものでした。でも最近、人に気を使うから疲れるというのは思い込み?と思えるようになってきました。

なぜ人に気を使うのですか?
この先の文章に進まず、立ち止まって考えてみて下さい。

人に気を使う意味は?
私の場合(多くの人がそうだと思っています)、人に気を使うのは、自分の無能さが露出しないように、自分の価値が下がらないように、自分の評価が下がらないように。つまり、自分を保護するための行動に近いかと。
自分を保護するために人に気を使うから、アンテナを常に張っていないといけない。どんな人と話していても気を緩められない。自分の価値が下がるリスクはいたるところにあるから、地雷を踏まないように地雷地帯を歩いているようなものでした。そりゃ疲れるし、行きたくなくなりますよね。

「人に気を使い過ぎて・・・」と自分で考えていましたが、実は人に気を使っているのではなく、自分に使っていることに気づきました。自分が相手にどう思われるか、思われたいか。そのためにはどのような行動や発言をすればいいかなど。自分を守ることなので、その労力は成果や成長はありません。これらは現状維持が最高の成果なのですから。疲れるけど成果は出ない。

人に目線が向けられたら

自分を守ることに必死になり、他者の目線や思考を気にしすぎることに時間を使用し、疲労していく。
変えるとすれば・・・

原点は自分を守ろうとする行動なので、自分を守る必要が本当にあるのか考えてみる。すると、元々自分に自信がなく、価値があると感じていなかったことが原因であると理解してきました。だから自分の価値は自分で高めようと。人に自分の価値を委ねるのは止めようと。

自分を守る行動をしないとすれば、社会や職場でどんな行動をするだろうか。自分への目線が向かずに人へ素直な興味を持ち、純粋な喜ばせたい、元気づけたい、楽しませたいという動機で様々な行動ができる。
そして、何より疲れない。人と居て疲れない。人に気を使って疲れないどころか、心地よい。もう終わり?また明日もやりたい!そんな気分で仕事を終えたくありませんか?

まとめ

自分の価値を自分で認め、高めることの大切さ。人に与える側になるための重要な要素だと強く思いました。だからこそ、自分の強みに視点を当て、自分に励ましの言葉を投げかけ、自分を大切にする言葉を自分にかけて下さい。
希少価値で言えばどんな宝石よりも価値がありますよね。間違いなく唯一無二なのですから。あなたという存在だけで大きな価値があることをまずは自分が認めましょう!!

ここまで読んで頂き、ありがとうございます。



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