偶然だったかもしれないけれど,自分にとって,あって良かったもの・瞬間・・・ #3
#3 日記をつける
もともとは,やっていたスポーツの練習日誌だった.
自分の器量では,人体の機能などの意味を考える力はなくて,
感想や思いがメインだったかと思う.
大人になってから,自分の中学生くらいの頃にすでに
運動生理学的なこと,物理学的なことを考え,実践している人がいることを知って,自分が全国大会などかすりもしなかった理由(わけ)がわかった気がした.
スポコンアニメなどの影響か,最後は「気合」に収斂されてしまう雰囲気は当時にはあって,それをそのまま疑問も持たずに受け容れていた自分がいる.
だからこそ,練習日誌も気持ちがメインだった.
3年生になって,スポーツ活動も引退して,でも練習日誌のような記録をつけるのは続いて,それこそ日々の感想と時々する練習のことを書いたりしていた.やがて,時々する練習もしなくなって,思いを綴ることがメインとなった.思春期の思いを綴って読み返して郷愁に浸ることはあったけれど,
大人になってからはそうした思いも重く,備忘録になっていた.
それでも,備忘の他に
思考やアイデアを細々と記録するようになって(ネタ帳?),何か
自分の思考を進展させられている実感を抱けるようになった.
それまでは何か,似たようなところをグルグルと回りながら,
少しずつ,知らないうちに前に進んでいる感じだったけれど,
思いついたこと書き足すとき,もうそのことに近いことが書いてあったりして,自分だけかもしれないけれど,忘れていることすら気づけないほどドンドン忘れ,思い出す,を繰り返すのではなく,
思いつく→もう考えていたこと→少し考え直してみる…,というプロセスになったように感じる.
練習日誌に始まった日記をつけるというちょっとした体験から生まれたものがある.
ポケットの中の原石
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