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偶然だったかもしれないけれど,自分にとって,あって良かったもの・瞬間・・・ #6

#6 哲学的であること
 
誰しも一編の小説くらいは書ける,それくらい誰にもいろいろあるものだ,といったことを思春期の頃,聞いた気がします.細部の文言も違うと思いますし,もしかしたら趣意も変わってしまっているのかもしれませんが,誰にも生きていく上で,さまざまな悩みや決断や事情や思いがあるのは本当のことのように思います.
 
いろいろあるけれど,たいていは,喉元過ぎれば…,で終わってしまえば思い出として,心の小箱にしまわれます.大変だったことも良い思い出として,しまわれ,薄れていくのは,心の健康な作用の一つです.
 
哲学的な姿勢とは,意味を考えることでしょうか.
振り返り,意味づけるプロセスが少しでもあることで,心の小箱への整理が少し細分化される気がします.そのことで,「次」につながり,「次」が見えやすくなる気もしますが,自分の「今」は決して自慢できるものではないで説得力はありません.
嫌なことがあったり,迷ったりするとき,少し意味を考えて自分なりの分析をします.私はとにかく書く派です.自分の都合が加味されているので“人類の真理”には遠いのでしょうが,自分なりの納得や折り合いに至ることがあります.わからないままのことも多いです.しばらくしてわかった気に至ることもあります.わかった気でいてちがっていたことに気づくこともあります.年単位での経過ののち,ひらめきみたいな腑に落ちるような体験をすることも稀にあります.

決断の時,メリット・デメリットを考えるのは,皆がする哲学的な営みのように思いますが,いかがでしょうか.
スポーツでも,意味を考え練習している人がよく成長するようです.哲学的であることの成果でしょうか.
生活の中で「悪」に落ち切らない制止弁になることが多い気もします.反対に,自分を変に納得させてしまうこともあるかもしれません. 

もともとは,集団に合わせなきゃとか,自分のことより相手や状況のことを考えろと言われ続けて,考えていたことから始まったことなのかな,と考えます.本当のところは? という問いだったのでしょうか.

遠く離れた島国に住む私は,無責任にも,入試で哲学が必修という国のあることを,何か良いことであるように感じています.受験生は嫌かもしれませんが…

ポケットの中の原石

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