あれは土の中だったんだ
ご近所さんが最近山菜をくれる。季節のご馳走は苦いんよ。
これからは空間の共有でなく時間の共有に価値が出てくると最近聞くけれど、本当の意味で言えば山菜こそそれじゃなかろうか。いや、むしろリアルタイムから山菜を軸に逆戻りした季節も包括した時間の共有だ。冬を耐えた苦みが春の味となり、私たちの体に季節を代謝させ、補完してくれる。要するに美味しい。ご近所さん、有難うございます。
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雪の下で大事に息をしてきたの。暗い場所からくらみそうなほど明るい春を、溶けだした小さな穴からのぞいて幾日。ごくりごくりと雪どけ水を飲みながら、まだ冷たい土との隙間で。そして今さなぎのように畳んでいた背を伸ばし、葉を伸ばし、外の世界を吸い込んでいる。
周りにはそびえたつ時間の幹を持った樹が囲み、誕生の声があらゆるところに響き合っていた。まだ追いついていないものもいる、馴染まずぼんやりしているものもいる。春って厳かなものかと思っていたけど、意外と慌ただしい。そんな中でも、雪の下で顔見知りになったお隣さんの地上での姿を見たら、光が挿して露が揺れて、自分のことのようにうれしくなった。春が、来たんだ。
春には冬の名残の苦い喜びが混ざってる。冬があって春の輝きを知る。
次の冬まで、私たちは何になれるだろう。
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