高橋サトコ

仙台秋田岡山高松岩手育ち。歌が好き。落語が好き。散歩が充電。 忘れたくない瞬間を書くこ…

高橋サトコ

仙台秋田岡山高松岩手育ち。歌が好き。落語が好き。散歩が充電。 忘れたくない瞬間を書くことで標にしようと思い立ちました。 歌にも絵本にもできない、見えたり聞こえてきたことを。

最近の記事

明日死んでもいい≠時間が止まればいい

やっぱり書いておこうと思う。書かないと忘れるから。 例え今、何も感じてないとしても、「感じていなかった」自分を残しておかないと。これは未来の自分の為の備忘録。 1月くらいに胸に異変を感じて、2月に検査をした。次の病院の紹介状を書いてもらい、すぐに再検査となって、正確な結果を3月に聞いた。 ステージ2aの左乳癌。悪性の疑いがある為部分切除の手術が必要。 これを書いている私は、既にその手術を終えて術後3日目には退院し、今日は術後4日目の、ごく通常モードの私。 この時々波のよ

    • 知らない人にこそ救われている

      久々に帰ってきた。 物を書く時間もまた、向き合う時間を用意しないとできないものだな。 年末年始、心が破綻していた。「母の為に時間を用意する」を最優先してたことに気がついて、悲しくなってしまったのだ。今となってはそうして欲しいと言われたわけでもないし、そうした方がいいなんて誰にも言われてないから、私本意で自分の中の「あらねばならぬ」に縛られていただけだったとは思う。でもあの時は本当に苦しかった。 自分の居場所を持ちたくて中古の家を4年前に購入したけれど、今や家は高齢者の母仕

      • 付箋は短冊のように

        先日、とは言ってももう先月の話だが、あるワークショップに参加した。 声をかけてもらって恐る恐る参加したのだけれど、それなりに思いが残るものになった。今やりたいことよりも、かつて「そうなりたいって思ってたよなぁ」の自分と向き合う時間になったからだ。 ■犬と暮らしたい:これは今も思ってること。 ■写真を撮る人になりたい:そう思ってカメラを買ったのだ、昔。 ■昔の友人に会いに行きたい:転校が多かったし、日本中に(もっと言えば世界中に)散らばってる友達に会いに行くっていいよな。

        • 無いものが有る女として

          私はひとりの女性。 誰かの妻になった経験はない。 誰かの母になった経験もない。 もっと言うと 結婚を望んだことはなく 子供を産みたいと考えたことも 育てたいと考えたこともない。 女として生まれた以上、それらの欲求は持つものだと 思っていたし、多分そう聞かされてきた。 時が来れば自然とそう思うものだと。 自分事でなければ腑に落ちる。 でも自分の中にはどこを探しても 引き出しの中が空っぽだった。 引き出しすらなかったのかもしれない。 引き出しくらいは持っているだろうと どこ

        明日死んでもいい≠時間が止まればいい

          困った時の最後の手段は持ってる

          何と言うか、ぴたっと止まってしまって動き方が分からなくなってしまっていた。こういう時期もあるだろうと、見過ごしていたけれどさすがに今年もひと月を過ぎようとしていて、このまま動けなかったらどうしようと焦ってきたのだ。 そこで、私は重い腰を上げて実践した。そう、それは、 部屋の模様替え。 これが一番だ。うん、何もかも変化のないこの部屋のせいにしよう。そしてきれいさっぱり新しい形にして始めるのだ。ニュールームライフを。 いや、本当に本は読めなくなったし、文章も書く気が起きな

          困った時の最後の手段は持ってる

          歌=息+声 いつでも始められる

          しばらく書かない時間ができてしまった。 書かないでいると、勝手に後ろめたさが積まれていくものだ。誰に何を言われるでもないのに、誰と何の約束をしたわけでもないのに。 ただ、書こうとか書きたいとか書き続けないと、と思っていた自分に顔向けできない気がしてくるだけなんだろう。私、ごめんよ。 先日、久しぶりにマイクを通して歌を歌う機会があった。もっとも「スタジオで練習した」だけなんだが。近々去年延期になったイベントがやっとできるようになったからだ。勿論練習に向けて個人的に部屋では

          歌=息+声 いつでも始められる

          土禁だけど、いいやつ

          この人はこっちの気持ちに土足で入ろうとする人だ、そう感じる時がある。相手は多分悪気はない。入ろうとすらしていない、私が受け入れないのだ。 なんとなくその勢いに、その自分を持っている感じに、引っ張られてしまいそうだから。大事にしているものを平気で素手で触られそうな、そんな怖さが壁を作る。相手に悪気がないからやっかいだ。 前に「絆」って言葉に抱いた恐ろしさを書いた。 普段誰も見ようともしなかったことを、絆と言う言葉を振りかざして土足で上がって、頑張ろう、つながろう、と呼びか

          土禁だけど、いいやつ

          ママに会いたい

          と言っても、うちの母ではない。あるスナックのママのことだ。 私と彼女はある集まりでたまたま居合わせた。私がカラオケで歌ってたら店を手伝ってほしいと声をかけられたのだ。スナックは歌わせるのも大事な仕事。お酒が好きで歌が好きな私は、彼女の忙しさを助けるのにもってこいの存在だったのだろう。「お酒飲んで、たまに歌ってくれてればいいから」の一言で私はよく彼女のお店を手伝った。とはいえお金を払わない常連みたいなものだ。 ママのお店には変なお客は来ない。ママの昔からのお客様と、懇意にし

          ママに会いたい

          嘘つきは正直のはじまり

          家に帰るのがいやな子供だったと思う。よくあの頃の気持ちを思い出せないけど、「外」という非日常の場所から「家」という日常に戻りたくなかった気がする。苛立ったり優しかったりする母に心をついていかせるのが子供ながらにつらかったのかもしれない。時間を忘れるように自分を仕向けていた。「あ、もう帰る時間だ」と自覚したくなかった。気付いたら遅くなってたんだ、私は悪くない、そう言い聞かせては、幾度となく「時間を守れない子」として叱られた。叩かれたり外に出されたり、今思えば酷かったな。 子ど

          嘘つきは正直のはじまり

          皆話しかけてくる、という癖

          私自身はひとりっ子で、子供の時は片親でもあったし、基本的には本当に一人だった。祖父母が面倒見てくれたけど、それだって基本的には一人だし、何と言うか、外側から見たら私一人に見えるのだろうけど、私は一人でいても私の世界で一人じゃなかった、いつでも。 私はよく物の気持ちになる子だった、いや今も抜け切れていない。道に落ちてるハンカチを見ると「すみません、どこかに引っかけてくれませんか」と言われているような気がした。素通りしようとすると「あなた私に気が付きましたよね、ね」と聞こえてく

          皆話しかけてくる、という癖

          いぬの朝はやさしさの時間

          おばあちゃんに引っ張られがちなミニチュアダックスくんに毎朝会う。 2人は時間通りだろうから、私の出社の時差で会う場所が変わる。でもどこで見かけてもおばあちゃんが「行くよ」って引っ張っている。そしていぬくんは頑なに動こうとしない。短く毛の長い足で地面をグッと踏みしめて動かないのだ。 おばあちゃんが「おはようございます」と声をかけてくれるので私たちは顔見知りではある。どこの誰かは知らないけれど朝この道で会うお互いの朝の登場人物だ。私がいぬくんを見ていると彼女はこう言った 「

          いぬの朝はやさしさの時間

          一番古くて一番若い

          この休みも長かった。働いている時は忙しくしてる感じが楽しいのにのんびり過ごしているとこっちが私なのかも、と思わされる。 必要な時に呼ばれて、会話をして、新しいことを思いついて、そのための買い物をして、今日はそんな気分じゃないからと、家で映画でもみて、気付くと寝ている。 お盆を越えると私は年を取る。もういくつになるんだか毎年同じ年齢を答えているような気さえするけど、きちんと年齢という積み木は積まれている。私が私を重ねているように、母は私の母を重ねている。 この頃になると、

          一番古くて一番若い

          無いのではない、薄いのだ

          才能と強みは違う。分かっているようで分かっていなかったこと。 本屋で見かけてはいた「ストレングスファインダー」という本を手に取る機会があった。この本にはウェブテストがついてきて自分の資質上位5つを導き出すことができる(もっと課金すると全34の資質までわかる)。 弱点を直しても元々持っている人には敵わない。自分の強みをもっと磨くことで自分の力を最大限に引き出す、という考え方がこのテストを実施する意図。まずは自分の資質を知ろうということ。 出てきた資質を見た時、違和感が少し

          無いのではない、薄いのだ

          ノー夏バテ、ノーライフ

          毎年夏が本気出してくると思い出す。 そうだ、私暑いの苦手だったんだ。夏バテしない夏はない。 なのに、うだるような暑さで伸びてしまう感覚がキライでもない。バテないと夏が来た気がしない。 6月生まれの友人が、額につたう汗を拭きながら「あたし6月生まれだから暑いのめっぽう苦手なんだよね」と言っていた。彼女の言い分はこうだ。 「お母さんのお腹の中にいた時に過ごさなかった時期は、守られて過ごした経験がないから苦手になって生まれてくる」らしい。彼女は6月だから、そう7月8月を計算

          ノー夏バテ、ノーライフ

          顔下半分に責任

          どうしてもお伺いできなくて、オンラインで打合せをする機会があって、その際に「久々にマスク取ったお顔見ますね」と言われました。なんか妙に気恥しくて、そんな自分の中の新しい感覚の発生が面白く感じたのでした。 そんな自分だって、思えば顔を洗ったり化粧する時くらいしか自分の顔を一式で見なくなったな、と気が付いたわけです。トイレに行った際も大抵は家でない場合は大抵マスクつけてますし、マスクしている自分の状態を整えて出てくるようになりました。 そんな顔の下半分に無頓着になった自分が、

          顔下半分に責任

          のんきを守るには

          梅雨の、もあっとした空気の中、いつもの道を車で走っていたら、そのいつもの道の途中にあるいつもの公園の入り口に差し掛かるあたりに大きなシェパードが散歩していた。 勿論、飼い主がリード付けて歩いてた訳だけど、ぐったりした空気の中所々黒い体を前に進ませている姿は、ひとりで散歩しているような悠然さがあった。大きい犬、一人で生きていけそうな大きな犬だ。 わー、おーきー。と言いながら私はその横を通り過ぎて、またしばらくしたらゆっくり歩くおじいさんの前や横を、ちょこまかと動く大きくも小

          のんきを守るには