プラトニック・ディフィート
そろそろ話しても良いのかなと思い、シンエヴァの感想を書いていく記事です。
この25年で映像の表現方法も大きく変化したな、というのが率直で味気ない1番の感想なのだけどほんとまじそれに尽きるんです。
光の加減や、空の色味、自然の表現とか本当に細かなこだわりを随所に感じるのがシンエヴァのフィルムだと思うんですよね。
父子関係の葛藤の解消とか、マリの存在の考察とか、綾波農業型が可愛いだとかは他の方々が語り尽くしていると思うのでこの記事ではその映像表現の形に重きを置いて述べていこうと思います。
アニメ版や旧劇場版も、文字や実写など当時からしても画期的な表現方法で描かれた作品でしたが、それはある種カルト的人気を博す表現であり、斬新とは言ってもオタクの手から離れていなかったと思うんですよね。それはまぁ旧劇の公開当時は社会現象となったのだけども、やはりアニメはオタクが観るものというイメージは拭えなかったんですよね。
時は過ぎ、00年代以降は深夜アニメの本数も次第に増えていきアニメが次第にオタクの手を離れ、広く親しまれるようになりました。この過程、かなり割愛していると思うんですけど、今回はエヴァの記事ということなので00年代アニメの発展はまた別の機会に。
そう、やはりアニメというものがマイナーなものから次第に一般的なものに移り変わっていく中でヱヴァンゲリヲン新劇場版シリーズもその一端を支え影響を与えたと確信しています。
過去作の宗教的・カルト的な雰囲気を最小限に止め、映像的な美しさ・わかりやすい画面作り・感情に訴えかける物語であることで初めてエヴァに触れる層、所謂一般層に受けた、「観やすい作品」だったことがこの作品の革新的な側面であり、魅力だったと思います。かといって謎多き世界観を全く排除していないのも古参には嬉しいポイントなんですよね。
そんな、「観やすい作品」であることは完結編のシンエヴァでも変わらず、音と映像に圧倒される3時間でした。
物語としても、作中で話してくれることも多く、それはやはり昔に比べて考えさせる余地がある作品よりわかりやすい作品が求められているという背景もあって複雑な心境ですが、それでも説明的になり過ぎず物語として楽しめる作品となっていたのも良かったと感じます。
はい、そんな感じなんだけど、サクラ
鈴原サクラ
なんでそんな最後の最後でいいキャラしてるんだよ。
鈴原サクラ、引き金は軽いけど愛は重い女。
鈴原サクラ
なんでシンジが目を開けた瞬間からすでに顔覗き込んでんだよ。
こんな最高なキャラクターを産んでくれた新劇場版、ありがとう
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