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心理療法の限界を超えて

心理療法の世界は科学的な世界です。
それ自体は非常に洗練されつつあり、今では多くの人の心と体の健康に役立っています。

療法、というくらいですから、基本的には苦しみを取り除くための方便ということになります。

苦しみには原因があって、その原因に正しくアプローチすることによって結果をコントロールするという極めて科学的な取り組みが、現在の心理療法の根底に流れている思想です。

これはこれで素晴らしいことです。
変に非科学的なスピリチュアルなアプローチは危険であるばかりか、施術者側が大変な悪徳を積みかねません。

もちろん、クライエントを傷つけることもあります。

きちんと治療法を検討し、研究していくスタンスは普通に考えれば当たり前のことですが、ことスピリチュアルがそこに挟まりますと、途端にそれが棚上げされてしまって、うやむやになってしまう印象さえあります。

実際私がこれまで見てきたスピリチュアルセラピストの人たちは、対人援助の基本も知らぬままセラピストを名乗り、そのプライドの高さから一般的かつ基本的な援助について学ぼうとさえしない人たちが一定数おられました。

これは非常に残念なことと思うと同時に、自分もそうならないように戒める必要を感じます。

とはいえ、心理療法の世界はスピリチュアルに非常に接近しますし、場合によってはその只中で進行していきます。

クライエントは苦しみの原因を特定し、それを癒したいと思っていますし、心の癒しが癒しであると互いに了解したもの同士が対座するのが、心理療法です。

心理療法はその中で心理的な原因を特定していく作業をクライエントと進めていきますが、それはある領域に差し掛かりますと、原因の全くわからないが、しかし明らかにその人の人生を損なっている事象や心理的クセに出会うことがあります。

事実上、これが心理療法の行われる時間の中での限界になります。

多くの場合、それを乗り越えてゆくのは心理療法の時間外での、クライエントの日常の中での心理的、ないし現象的出来事ではあり、心理面談はその契機として十分に役立っているとは言えるます。

この限界の枠の外にあるのが、いわゆる「応報のカルマ」です。

自分のしたことは喜びや苦しみとしてそのまま帰ってくるという、日本人なら馴染みのある道理です。

本当に心を浄化して本当に幸せで有意義な、魂として活気と充実感のある生き方を望むのであれば、この課題に直面することは避けられません。

向き合うのは大変骨が折れるし辛いことですが、辛いことだからこそ、私のようなセラピストが一緒にそれを行います。

私の行うカウンセリングセラピーでは、時間をかけて、クライエントご自身の人生の概観からそのご自身の人生の課題と申しますか、テーマを感じてゆきます。

確かに1〜数度の面談で一旦の解決をみることも頻繁にありますが、本当の人生の課題という観点から申し上げれば、定期的に、人生の長い時間をかけて取り組んでいくことです。

一回で終わるセラピーを100m走とするならば、人生そのもののスケールで取り組んでいくことになります。もしくは一人の人生のみならず、ご先祖や自分の子孫、民族、宇宙という非常に広いスケールを持つ場合もあります。

これは一般的な心理療法には困難なことです。

私は一心理療法家ですが、道の修行者でもあります。
だからこそ、そのスケールでもお手伝いさせていただくことができます。

そうした深く広いスケールでご自身の人生に取り組んでいきたい方、もしくは自分には何か個人的な枠を超えた何かとの接点があるとお感じになる方においても、ご相談いただけたらと思います。

心理療法の作法と限界の範囲内で、その限界を超えてゆきます。

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