爆泣き! バンドリ Ave Mujica篇
Diggy-Moにつられてアニメを見始めました。
鬼リピし続けたKill Kiss。バッキバキのトラックマスターShinnnosukeなしでもそこにDiggy-MoーリスのおかげでS.O.cruにも大満足な曲があふれてる。
というわけで1~3話みた感想です。俺はMyGO篇みてないので勝手な感想をつらつら書いていきます。
第一話
この記事を書こうと思ったきっかけ。あまりにもお辛い。
早速、赤羽警察署が出てきましたね。ぼくは2024年末に記憶をなくして財布をタクシーにドロップしたせいで赤羽警察署に行きました。すでに聖地巡礼済みです。
お辛いポイント
その1
・家庭環境
豊川祥子さん?オブリビオニス? なんか劇みたいなのやってんね。妖精帝國とかALI PROJECTみたいなノリなのかなと思いきやゴリっとしたメタルサウンズ。けれどちゃんと音楽やってた人特有のクラシックの残り香がしていて感動しました。
ネタバレにならない程度の感想だと、まあ話のスケールが大きいだけでアングラな世界にはよくある程度の家庭環境、いやでもバンドに、音楽に救われたのは偽らざる本心だろうなとは思わされた。
そしておそらくMyGO篇みてないからわからないけど中学時代のバンドとは金銭面やいろんなところで折り合いつかずに解散したんだろうな。バンドってお金かかるし、練習も時間取れないし、それにさ、自分の父親の状況とか周りに打ち明けるわけにもいかないしね。
あそこまで描写されたからわかる彼女にとっての救いが音楽活動で、だからこそバンドを大事にしていたけどそれすらも奪われた。悲痛な、聞いているこっちの胸が張り裂けそうなほどの慟哭が雨の中に溢れて、、、これはお辛い。
気高い女、祥ちゃん。いや、オブリビオニス。学費の安い高校に転校して中学生から新聞配達で身を立てて、かろうじて手元に残した楽器とそこで生まれる音楽が彼女の存在証明だったんだろうな。
その2
覆面活動の理由
一番共感しました。なぜなら僕も起業した時チームメンバーをスタープレイヤー(教授や学会理事)で固めたからです。冷静に考えてAve Mujicaを結成した時の話とかも気になりますよね。絶対に失敗できないし、自分の作り出す最高のプロダクトを世に問いたい、ならば自分に比肩して、自分の審美眼にかなって、その上で世界観に共感してくれる人ってなると世の中は無常で、もうすでに名の売れた人だったり業界人なんですよね。
でもさきちゃ、─オブリビオニス。そんな実力者を同じ船に乗せるだけでも凄いのに、お前はお前の存在証明なんだよな。けっしてネームバリューや事務所のプッシュで売れたと思いたくないよな、正々堂々自分自身の作り出す音楽と世界観で間違ってなかったってそう言いたいよね。
クリエイターの業。いや俺如きがこんなこというのなんだけどさ、おれもTOKYO MIDTOWNアワードっていうデザインコンペで医学生だからっていう物珍しさを評価されたコメントにイラついてた。そこじゃねえよ。俺がホームレスだろうと大富豪だろうと、ミュージシャンだろうが大量殺人鬼だろうが、出来上がったものだけで評価して欲しい。作品で、腕っぷしで黙らせたいよな。
優れたクリエイター故のメンバーや楽曲に対してのこだわり、しかしそれは自身の作品が世に出た時に確実にノイズになってしまう。そこの妥協点がマスクにあると思った。もし不可欠な要素なら、最後にドラムの女がみんなのマスクを奪い取った時、取っ組み合ってでも外さないと思うけど、いやにあっさり素顔を晒したのは、きっと彼女にとって最速で武道館に至ったことで、道半ばながらも彼女の目的は達成されていたのだと思う。
でもオブリビ、─合ってるか。オブリビオニスの本当に目指した高みは最速武道館よりももっと高いところにあって、ネームバリューやコネを使わずに、豊川 祥子のエッセンスを、センスこそ、世界に刻みたいんじゃないだろうか。
その3
・なぜ全てを君が……??
演出から台本、あの調子だったら衣装や照明、小道具、大道具まで口を出してそうである。
お忘れの方が多いかもしれないが、サイコ医大生は劇団に所属しており、そこそこの舞台経験があるので裏方の差配の大変さがよくわかる。真性のADHDやASD、こだわりが強い人々は裏方にしてはいけない難しさがある。全体とのバランスを取るためで、クオリティを揃えないとそこだけ悪目立ちするからだ。でもオブリ、オブちゃんは多分全部自分でやってる。そんな気がする。サイコは高校時代に所属していたクソみたいなイベントサークルで培ったけど、正直にいうと客の手元に届くものはアンケート用紙ですらデザインは凝っていたいのだ。なんでかって一流を目指して焦がれるなら当然の振る舞いで、それはきっとビジネスで動いてる人々には時間対効果、費用対効果があまりにも悪い理解できない振る舞い、だがだからこそ、徹底する。ギャラはなんぼでも自分の名前がクレジットに載る以上、そこに妥協はできない。でもそんなの全部やってたら死にます。だから多分どこかでメンバーの理解が得られなかったり、自分の体力だったりである日突然死にます。
彼女にそのようなプロフェッショナリズムがあることをたかが30分弱のアニメーションで理解らされた。ああ、こいつは舞台監督を超えて監督、超監督になるんだなと。だが、ブランドの担い手は凡百のクリエイターとは一線を画す苦悩が待ち受けている。そして早速その片鱗が見え隠れしている。こだわりは捨てるべきかどうか、だ。ドラムの女もいちいち正論なのが気に触るんだよな。Youtuberだなんて賎業をやっているだけある。人気商売って今日好きでも明日好きでいてくれるかわからないし、消費者にとってみれば絶対に俺たちのものじゃないとダメかっていうとそうじゃないんだよ。そして人気というものは数字で予測できないくせに、数字は俺たちに否応なく突きつけてくる。
ではここで一つ問うてみようじゃないか、
世の中に迎合するものを作るのがプロか、それとも自分の作ったものが世界を変えるのがプロなのか。
これにはおそらく答えがない、ミュージシャンなら尚更だ。スピッツもロビンソンは食ってくために作ったってなんかのインタビューで言ってたし、ワンオクもWherever you areから腐ったジャスティンビーバーみたいな曲を作り出した。広義でアーティストというならば、ピカソや北斎、杉浦非水も最初は凡作と見紛う商用デザインから入って最終的に作品が代名詞になった。
売れるメロディラインはわかりきってるけど、そこに自分たちはいるのか?
これは一度、名が出たクリエイターなら皆共感する絶望の谷だ。
自分たちの作りたいものが売れたのか、自分たちは売れるものが作りたかったのか。
ここら辺は今後出てくるであろうAve Mujicaの曲を聞いて判断したいと思う。
Aqua Timezのハセガワーリス、S.Oのディギーモーリスはまだ聞いてない人は是非聞いて欲しい、彼らはプロで、平成を彩ったアーティストだ。
Aqua Timezは当時はよくある売れ線バンドだなという印象だったがなんでこんなにかっこいい曲が出てくるんだろうか、普通に活動再開後のライブ行きてぇな。引き出しが多すぎる。
Diggyはもう説明不要。分かってんだろ?───ペイス。
時代が早すぎたし、彼に時代が追いつくことはない。
ていうか二人とも活動再開してて草。2024年ってどうした、平成か?
長くなったので一話ごとに感想書こうと思います。
わざわざこんな便所の落書き読んでくれてありがとう。
国試勉強の合間にQBときながら書いたから添削してねえや。誤字脱字があっても気にすんな。こんなもん書いてよめりゃあいいんだよ。俺の名前クレジットされてないし。