Don’t Be So Serious 大丈夫。まだ、つながってる。:「DEATH STRANDING」な世界から。
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2020/07/09
こんにちは。HACOです。
恒例の同じ曲の無限ループです。
小島監督の「DEATH STRANDING デス・ストランディング」の挿入歌。
Low Roarの「 Don’t Be So Serious」。
非常に美しいサウンドで、儚さや哀愁が漂う中に安心感に包まれるような何かを感じる複雑な曲のような気がします。
2019年11月8日、デスストランディングが発売されたころに、現在のこの世界を予測できていたでしょうか。
人と人とのつながりが分断された世界。ソーシャルディスタンスという言葉のもたらしたもの。
「デス・ストランディング」という現象の発生によって、人々や都市は引き裂かれ分断された。 繋がりを失った人類は滅亡の危機にさらされていた。
主人公のサムは「接触恐怖症」(接触されると炎症・痣ができてしまう)を患っているにもかかわらず、分断された人々に「ポーター:配達人」として物資を運ぶ。その行動が、いつしか人と人をつなぐという役割を背負うことになり、、、、
この数カ月後、リアルな世界も分断されてしまう。
COVID-19の発生は世界の距離感を歪めてしまった。その中で、ソーシャルディスタンスと呼ばれる現象の発生によって、人や都市が分断されてしまう。
このゲームをプレイしていたからかわからないが、世界の分断を冷静にみてしまう感覚もあった。分断しても、また、つながる可能性を小島監督がみせてくれていたかもしれない。
そんなに心配するなよ。大丈夫だ。まだ、つながっている。
また、つながるはずだ。
Don’t Be So Serious
「物資を配達する」このゲームでやることはこれだけだ。これだけなのに、いつの間にか「配達依存症」になってしまう。誰かにものを届けたいだけなのに。
依存性、強迫性の根本にある「やさしさ」に触れる部分。そのやさしさが狂気に変わってしまう「かなしさ」につながる部分。
人と人のつながり。世界のつながり。つながりを考える、体験するゲーム。
配達するだけなのに、ゲームなのに、そんなにマジになるなよ。Don’t Be So Serious という感じもあるのかもしれない。
「つながり」とは何なんだろうか。みんな本当に「つながりたい」のだろうか?思春期の問いかけのようにも聞こえる問題が、いまの世界に蔓延しているような気もする。社会的距離とは何なんだろうか。
世界は変革していくのか?再びつながることができるのか。
この世界に、サム・ポーター・ブリッジズがいたとしたら、何を思うのか。
Don’t Be So Serious
この曲を聴きながら、街をあるいていると不思議な感覚がします。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
今日もよい一日を。
それでは、また。
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