見出し画像

もし臨床心理士が『孫子の兵法』を読んだら…

二回目の投稿。今回も思いのままに書く。


「奇襲」と「摩擦」

孫子の兵法といえば詳しいところは知らなくても、多くの人がその名前くらいは聞いたことがあるのではないかと思う。そこで語られる戦略の1つとして、「奇襲」がある。シンプルにいえば敵が予期しない形で攻撃を行うということだ。桶狭間の合戦における織田軍の例が代表例だろう。これに対し、プロイセンの著名な戦略家であるクラウゼヴィッツのいう「摩擦」も戦略における重要な要素である。こちらが何かをしかけようとすると敵側もそれに対し応戦の準備などリアクションを起こす、と考え方だ。現代の戦略家であるエドワード・ルトワックは「パラドキシカル・ロジック」(戦略の進める上で、対抗してくる「敵」や「相手」という存在)という言葉でこのことを説明している。この考えに則れば、相手にリアクションをとらせず、急所を突くことが可能となって「奇襲」は成立するといえる。

心理療法における「防衛」

筆者の従事する心理臨床においても、ケースフォーミュレーションという言葉あるように、セラピーをいかに進めるかという「戦略」を立てることがある。傾聴や肯定的関心などは「戦略」を遂行するなかでの技術の一例であろう。このセラピーにおいて治療的な変化をもたらそうとする場合を考えてみる。

カウンセリング(Co)は上記のように傾聴などを主体に進められるもので、原則的にはセラピスト(Th)がアドバイスを行うことでその変化を目指すというものではない。それで悩みが解決する場合もあるが、心理的な不調は一朝一夕では治まらないことが大半である。またクライエント(Cl)自身も意図しないところで、現状(病んだ状態)からの変化を拒む場合がある。それが「防衛反応」であり、解決を遠ざける一因でもある。

例えば、Coでは否応なしに自身の内面と向き合うことが求められる場面がある。その作業は時に過去に経験した心の傷を再体験することであったり、自身の弱さに目を向けることだったりする。そのため、その作業に取り組むことで自分が良くなるとわかっていても、どうしても避けてしまうといったものだ。あるいは現在抱えている悩みが解決することによって、自分が真に取り組むべき内的(人格的)な課題が生じたり、病むことによって得ていた利得を手放すことにつながる場合、解決から遠ざかるような言動をとることもある。これらは本人の自覚の有無は問われない。つまり防衛は無意識的に行われる場合も少なくないのだ。
こういった心の働きがあるゆえに、説得やアドバイスのような「正攻法」ではその人の内面に変化が生じることは難しい。Coや心理療法というのはある種この防衛との闘いともいえる(CBTのように心理力動を治療の主軸にすえることをしないアプローチはまた別の解釈もあるが)。そして、先に述べた技術によってこの防衛を緩めて、Clの気づきや洞察を促し、治療的な変化へと導くのがCoの本態といえる。

セラピーで「奇襲」を成功させるには

ここで孫子に話を戻す。心理臨床においても「奇襲」ともいえるアプローチがある。筆者が思うに、それはパールズの「ゲシュタルト療法」である。筆者が孫子、そして「摩擦」(パラドキシカル・ロジック)の考えに触れたとき、ふと浮かんだのが学生時代に見た心理療法の教材ビデオである「グロリアと三人のセラピスト」だ。パールズはその三人のうちの一人だった。

このビデオは流派の異なる三人のセラピストが同じクライエントに対し実践を行うという、ある種のデモンストレーションのようなものだった。残るセラピストのうちの一人は現在のカウンセリングの基礎的な理論を成したカール・ロジャーズだったのが、そこがまたパールズの特異性を浮き彫りしている。ロジャーズが「傾聴」や「受容と共感」というたオーソドックスな戦術であるとすれば、パールズのそれは相手にリアクションを取らせないまさに「奇襲」に通じるアプローチだ。この教材を見た当時の筆者は、セラピーとは上記のロジャーズのような、いってみれば暖かく受容的な雰囲気や受け答えでなされるものというイメージだった。防衛についていえば、セラピーにおけるある種のつきものなので、それも踏まえてセラピーをすすめていくというスタイルともとれる。

一転パールズのセッションでは、そんな穏やかな雰囲気とは縁遠いものになっている。ビデオの中でパールズは、Clのグロリアが怒るようにわざと(あえて?)挑発的な物言いをしている。グロリアからすれば、セラピーなのになぜイラつかされるのか?といったところだ。そのため彼女にとってパールズ「何をしてくるのかわからない」人間に映るだろう。防衛を働かせれば、説き伏せようとする相手には簡単に心は許さそうとはなしないし、「うんうん」とただただ話を聞いてくれていてもすぐに本音を出そうとはしないだろう。しかし何をしてくるかわからない相手にはどう守ればよいかわからないので、出方に応じた「カウンターアクション」としての防衛が取れず、それが解かれた「素のリアクション」(ここでいう「怒り」)が出てしまう。この一連の流れに「奇襲」がオーバーラップしてくる。この考えに沿うと、パールズのセラピーでは、Clの「素のリアクション」を引き出し、そこをセラピーの足掛かりとしていくスタイルという風にとらえることができるのではないか。

以上、心理臨床における「奇襲」の話でした。奇襲は失敗すれば仕掛けた側に甚大な被害が出るもの。同様にセラピーの中で奇襲のようなドラスティックな手法をとってそれがうまくいかなった場合、Cl-Thの関係性に取り返しのつかない影響が出てしまう。その点でも共通項はあるし、またセラピーを戦略という観点で読み解く意義はあると思われる。


いいなと思ったら応援しよう!