大学・専門学校の実習で何も得られない時代?!(番外)恐怖の施設(フィクションとして読んでください)

私が最初に勤務した社会復帰施設には「清掃担当」という「生活指導員」がいました。「生活指導員」に厳格な資格要件はありません。

この「清掃担当」が厄介でした。

昔でしたが金髪でパンチパーマ。どうみても普通ではありません。そうです。普通ではないことを施設長や職員に普通でないことを話していました。その手の人の名刺を利用者さんや家族にちらつかせることもありました。今なら逮捕されてもおかしくない感じです。

そんな「清掃担当」に強く言えません。やばい系の姐御さんです。

利用者さんの身の回りのことを全部してくれます。利用者さんの弁当も自腹を切って買ってきてくれます。そこで患者さんとの「信頼関係」をつくって施設長や他の職員の悪口をいいます。精神に障がいを持っている方はこういう悪口を真に受ける方もかなりいます。いわゆる刷り込まれてしまうのです。

実習生が来ると目を離した隙に「便所掃除」をさせます。これが「あの世界」のやり方を徹底的に教え込みます。いわゆる掃除のあとでこの便器を舐められるレベルまでの徹底した掃除です。姐御さんは「こういうことができなきゃだめだ。人間の基本だ」と言っていました。さすがに私も呆れるだけで、注意ができませんでした。姐御さんに実習生を近寄らせないことをしました。

私も入職時に同じことをされました。この姐御のチェックポイントは開き戸のレールが汚れているかいないかなのでそこだけをきれいにしました。さすがに施設長から注意が入り、私への「恐怖の掃除指導」はなくなりました。

よく姐御は「ソーシャルワーカー?ソーシャルバーカーだろ。大学を出ているからって偉そうだ」と言っていました。

「ソーシャルバーカー」にならないように利用者さんのために何ができるかを考えて私は奮起しました。

しかし、利用者さんの自立度はみるみる下がっていきます。施設長も注意をするのですが、そのたびに毒づいて、私も含めたスタッフに施設長の悪口をいいまくりました。危惧をした施設長は姐御さんをホームヘルパー2級研修(当時)に参加させました。これでよくなると思いました。

しかし

「私が今までしてきたことは正しかった!施設長は間違いだ」

と変な自信をつけてしまいました。施設長の補佐役だった私は施設長に「もうはっきり私が言います」といって姐御さんに話しました。実際に自立度が下がっている利用者さんさんを指摘しました。そのときはうまくいったと思いました。

が、数日後に姐御さんが「うちにご飯食べにおいでよ」と誘ってくれました。私は関係改善のために仕事の後で姐御さんの家にいきました。

そこには旦那さんもいました。大柄で一目見て「あれ」だとわかる方でした。あたりが良かったので入れ墨も指もチェックしていませんでした。

食事を終えて野球中継をみながら進められるままに酒を飲みました。野球が終わったころでした。

「おい。おめぇよ。ウチのに何か行ったらしいな。おい。お前が扱っているのはは『精神異常者』なんだ。それにやってあげてもいいだろ。おい。てめぇ、偉そうなこというんじゃねぇよ。おい。わかったか」

ドスの効いた言葉には、あれだと納得する迫力でした。

「それは・・・」

「それはじゃねぇよ。おい。この野郎。今度、こんなことしたらただじゃおかねぇそ。わかったか?こら」

と釘を打たれました。

そこで怖くなって帰ることにしました。大量な飲酒で千鳥足で自宅に戻りました。

さらに姐御さんのあとにこんなこともありました。

こんな雰囲気の悪い中でいろいろとワケアリの退職が増えてしまい私が最古参になりました。職員充足の半数のなったときもありました。どうにか募集を繰り返して職員は増えました。が、みんな初心者です。1人だけ社会福祉士がいましたが行政にいたようで頭でっかちでした。私は当時は社会福祉主事しかなかったので小馬鹿にされることもありました。

でも、家族のためにどうにか仕事は続けました。

施設の法人会計や採用担当も任されるようになりました。

施設長から採用から稟議、試用期間と本採用まで全部やってみてといわれてやりました。

青年がきました。資格は保育士です。「指導員」の枠でした。寅壱ルックでの面接にきました。

「私は土方をやっています。なのでこんな格好ですみません」

というのです。「彼女もできて結婚を予定している『土方』はもういやなので福祉職になりたい」ということでした。

誠実さがあり、即採用をしました。試用期間は何も問題はなく過ごしていました。

試用期間が終わり、辞令が出た翌日です。

利用者さんから

「やばいよ、〇〇ちゃん(この職員)が、こわいこわい・・・」

という声がでました。なんと青年が金髪になっていました。利用者さんが勇気を振り絞って「なんでそんな頭になったの?」ときくと「あぁ?俺の頭はもともとこうだった。朝起きたらこうなった」と怒鳴っています。

「正規職員」になった途端に「戻った」のでした。面接や試用期間で彼の本性を見破れなかったことを悔やんでいます。

そのあと、私が退職をして夜学の専門学校で精神保健福祉士の資格を取ろうとして経歴の証明が必要になって連絡を入れたところ新しく就任した施設長もこの人に手を焼いていました。

そのあとで前に指導をした実習生がこの施設を訪問をしたら、目の前でこの人の「暴言」「威圧的態度」を見てしまったようです。

こういった暴力や威圧で解決しようという風潮が昔の精神科にはありました。しかし、これは絶対にあってはならないことです。

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