コムスン伝説10 「糧」
私は学生時代に起業をしていた。
携帯電話の代理店でかなり稼いでいた。商社マンと一緒に営業をしていた。全国いろいろなところにいった。そのうち複数の商社から営業職のオファーが入った。しかし、「大手」へのあこがれを持ったままで自分の事業を継続し、廃業をしてコムスンの門をたたいた。
そこで最初の面接をした人が「上司」になった。威圧的でありながら良く部下をみていた。細かいところまで注意をしてくる。ここでも書いているように「何でそこまで言うんだ」と思うこともあった。みんな「おやじ」と呼んでいた。
人事権も持っているのだから営業先でいろいろやらかすとすぐに飛ばされる。
ある市役所の介護保険課の女性課長がいた。ここはウチのセンターの地元である。別に挨拶をしただけで何も失礼なことはしていない。なぜか、おやじのところに連絡があったそうだ。おやじから
「お前、〇〇市役所でやらかしただろ!」
と叱られた。しかし、思い当たる節がない。いや、営業のことをきかれて囲い込みがひどいことを話したのかもしれない。おそらく社会福祉協議会の凄まじい対応を話したことかなと思った。
その後でこの市から市営の高齢者施設夜勤の業務委託の件があった。おやじは「私がお前のことを許してもらうようにいったからだ。この委託は、私に預からせてくれ」といってきた。
業務委託や前に書いた高速ゼロ利用営業のことから私への態度も変わってきた。
こういった威圧的なことがあると部下であるセンター長たちはギスギスするか、威圧されたことを共有して団結するかである。しかし、センター長たちはギスギスしていった。私のような怒られてばかりの存在はマウントの最下位に置かれる。さらに資格もないのだからなおさらだ。
あるときに私は他のセンター長と一緒に他県に営業に回ることとなった。例の介護保険課のことがあったことからだ。このセンター長は年下だが頭1つ上にいたため支配側にいた。かなり威張っていた。そもそも体育会系なのもあるだろう。運転は全部私にさせる。あるときにしもやけができたのか助手席で靴下を脱いで掻き出した。そう、冬でも1日中靴を履いていると凄まじいにおいがする。極寒で吹雪だったので窓も開けられず苦しい思いをした。威圧的にされるのよりもこういったことの方が厳しい。
地元の帰って私はおやじの上にいるブロック長から県内で最初にできたセンターのセンター長になった。それにおやじが激高した。
「あのセンターは俺が最初に立ち上げたセンターだ!お前なんかに任せるか!」といわれて着任数分で強制的に解任された。名刺もできていたので名刺3箱は無駄になった。
その後から県内周りである。これは仕事を失ったため私は自分で作りだした仕事でもある。センター内の調整や問題発掘、情報システムまでやった。
今でいうと「パワハラ」になるだろう。しかし、あの時は、毎日が高校の文化祭の前日みたいなワクワク感と上司の威圧も先輩に叱られるような感覚だった。
今になって振り返ると笑える。
注意をされても改善することを身に染みてわかったときだった。
コムスンを離れた後も上司から言われたことは即座に改善をする習慣ができた。
おやじや足クサさんたちのおかげだ。
ありがとう。