旅行記#3 【バルト三国が超感動的だった件】
バルト三国の首都は?と聞かれて、すべて答えられる人は残念ながら少ないのではないでしょうか。
正解は、ヴィリニュス(リトアニア)、リガ(ラトビア)、タリン(エストニア)です。
かくいう私も、航空券を取るまでどこに何があるのか全く知らなかったのです。
今回の旅行記は、リトアニア、ラトビア、えーっと、もう一個、なんだっけ?となるくらい何も知らないくらいだった私が、
エストニアに本気で移住を考えるくらい価値観が変わった話です。
旅程はこんな感じでした↓
10月29日 ヴィリニュスに15時につき、一泊滞在
30日 朝6時45分のバスに乗り、リガに11時ごろ到着、そのまま19時ごろのバスに乗り、23時ごろタルトゥ(エストニア第二の都市)へ
31日 タルトゥで過ごした後、20時のバスに乗って22時半ごろタリンへ
バルト三国内は、LuxExpressというバスを利用しました。
飲み物飲み放題、席にモニターが付いていて映画やドラマも見れる、コンセントも完備というとても快適なバスでした。
リトアニアの滞在期間は、残念ながら半日だったので、詳しく書くことができず、ラトビアとエストニアに絞ってレポートします。
ラトビア・リガ ~文化と戦争のまち~
リガの中心部にある旧市街地は、世界遺産にもなっており「バルト三国のパリ」と言われるのも納得できます。
パリよりも人が少ないし、清潔で歩いていて楽しいと思います。
リガは昔から商人の街として栄えていて、交流も盛んに行われていましたが、特に近代史は悲惨を極めていました。
ソ連の支配があったと思えば、ナチスドイツに支配され、その後もソ連の支配が続き、やっと1990年代に独立することができました。
その影響が色濃く残っており、第二次世界大戦、ラトビアの戦争、独立に関する美術館がたくさんあります。
一つ一つの美術館の貯蔵品の豊富さが半端ではなく、
小さな手紙やコイン、兵隊の服、庶民の服など、当時の様子がありありと想像できるようなものが数多く展示されています。
検閲が厳しかったのに、どうやってこれらの品を保存してきたのか、
市民や歴史研究家、ジャーナリズムの努力が垣間見れます。
美術館だけではありません。
街の中は、すこしびっくりするくらいラトビア国旗をよく見ます。
私たちは、もう二度と支配されない。
私たちは、強者による征服を許さない。
リガは今は平和な街ですが、
街の至るところから、そのような緊張感と覚悟のあるような声が聴こえてくるような気がしました。
また、街中を歩いていると、ナチス支配に関する美術館や、
ラトビアの独立記念塔なども見かけ、
意識しなくてもラトビアの過酷な歴史を感じることができます。
一日で回るのはなかなか厳しかったので、
第二次世界大戦、独ソ戦に興味のある人は是非行ってみてください。
エストニア・タルトゥ ~タルトゥ大学のお膝元~
着いてからヴィリニュス、リガと違うなと一瞬で分かった理由は、言語です。
前者はバルト系の言語で、エストニア語はフィンランド語に似ているウラル系の言語です。
タルトゥは第二次世界大戦で街の大半がなくなってしまったので、新しい建物が多いです。私のイメージしていた北欧にすごく近かったです。
街の人口約10万人のうち、タルトゥ大学の学生が十分の一を占めており
学問と文化の街で知られています。
タルトゥ大学は、旧スウェーデン領の中で、ウプサラ大学の次にでき、バルト三国の中で最も高い評価を得ている大学です。
そんなタルトゥ大学の授業に潜入してみました!(大学は外部の人でも無料で聴講することができるのです!)
コロナ以前から、すべての授業を録画、さらに資料もPDFで配布しているので、あまり出席率は高くありませんでした。
非常に活発に授業が行われており、先生が学生をばんばん当てていきます。学生も負けじと、先生に質問をしていました。
答えを当てたり、鋭い質問をしたりすると、先生がお菓子を投げます。この日はハロウィンだったので、ハロウィンのかわいいチョコレートをあげていました。
大学に入って、先生自身も教えていて楽しいのかな・・・?と思うような、退屈な授業ばかりだったので、双方向の授業の楽しさに改めて感動しました。
そのあと、タルトゥ大学に通う人にキャンパスツアーをしてもらったのですが、色々な興味深い話を聞けたのでシェアしたいと思います。
・エストニアのIT技術がすごい
もともと人口が少なく、資源が乏しいことから人を呼び込むことができなかったエストニア。そのため、IT技術を発展させることに注力しました。
今では、インターネットでほとんどすべての手続きをすることができます。
引っ越し、結婚、投票などの行政手続き、
病歴や処方箋などの医療関係、
大学の授業や、課題の提出状況など、
マイナンバーカードのような身分証明書一枚ですべてを管理しています。
政府に支配されているようで、情報漏洩などが心配ですが、
ブロックチェーンで管理されているので、だれがいつアクセスしたかすぐにわかるそうです。
また、自分の情報にアクセスしようとする第三者に対しては、情報公開をしなくてもよいという選択肢もあります。
・エストニアの暮らし方
1990年初め、まだ独立したばかりの時、医者であっても月給は10€だったそうです。今ではエストニアは多くの人を呼び込むことに成功しました。
その結果、インフレがすさまじく、給料が追い付いていません。
ただし、IT系の企業の待遇は非常に良いと言っていました。
タルトゥは(正直に言うと)めぼしい観光地は少なく、自然にあふれたのどかな街です。休日の過ごし方を聞くと、森に行ってキノコ狩りをしたり、森林浴をしたりするとのこと。
いい意味で資本主義にそこまで染まっていないです。例えば、スターバックスはタルトゥにはなく、マクドナルドやサブウェイよりも、バルト三国で展開しているファストフード店が強いです。
エストニア・タリン ~古都とテクノロジーの融合~
最後に訪れたのは、エストニアの首都であるタリンです。
中心部に旧市街地、それを囲っているように大学やショッピングモール、企業があります。
旧市街地は14世紀ごろから栄えていた地域です。
坂道が多く、教会や美術館など観光スポットもたくさんあるので、ゆっくりと時間をかけて過ごすことができます。
何の目的もなく、迷路のような道を歩いているだけでも非常に楽しかったです。
実は、私のnoteのアカウントのプロフィール画像は、冬のタリンを撮影したものなのです!(帰り際にそういえば、とよく見たところ気づきました)
エストニアは、バルト三国の中でも英語が通じるなと感じました。それもそのはず、多くのユニコーン企業が誕生しており、海外送金で有名なWiseやBolt(電動スクーターの会社、ヨーロッパ内で多く見かける)などのグローバル企業の本社もあります。
旧市街地と、それを囲っている現代的な街並みのギャップが大きく、
まるで別の地域に来たような感覚になります。
バルト三国 まとめ
めちゃくちゃよかった!!
ソ連とナチスドイツに挟まれた、という共通点を持ちながら、
それぞれの都市が違った歴史、文化や言語を持ち、何より誇りをもって生活しているのが伝わってきました。
個人的には、エストニアとそれ以外では経済、文化に大きな差がはっきりと出ているなと思いましたが、
どの都市でも西ヨーロッパでは味わえない街並み、緊張感を堪能しました。
私が行った四つの都市で共通していたことは、
KGB博物館、またはKGBのオフィスだった記念館が必ずあること、
ウクライナ国旗と自国の国旗が並んであるところ、
ロシア語を話す人が多いこと
でした。
ロシア語はда(はい)、 Нет(いいえ)くらいしか聞き取れませんでしたが、バルト三国独自の言葉とは違う耳ざわりで、聞くと判別することができます。
エストニアには、ロシア人が住民のほとんどを占めているという街がいくつかあり、エストニア人との対立があるとも聞きました。
ロシアによる支配は断じて許さない一方で、
すでに自国の文化の一部になってしまった、あるいはロシア人が住み着いてしまったことで受け入れざるを得なくなっている、という葛藤もあるのだろうか、と思います。
バルト三国の歴史はほとんど知らなかったのですが、どうしてこれらの国がEU,NATOに入っているのか、教科書を見なくても明らかでした。
小さな国、かつ陸続きになっていることで、いつ攻められるか分からない、という恐怖や緊張感は、決して日本(やスペイン)にいる時には感じなかったことです。
3月までに勉強して、もう一度考えながら時間を取って観光したい、と思えた学びと衝撃の多い旅行でした。