ゆるっと西日本横断
いつぞやの冬、期限は6日間。
行けるっしょ!と気合いで相棒の原付(ばぶ)に乗って西日本横断を決めた幻の記憶をゆるっとさくっと書き起こしたくなってしまい、今パソコンを立ち上げました。もう時効だし公開しちゃえ!の気持ちも込めて。
横断、といっても期限が6日しかなかったので行きたい街は踏むけれどなるべく最短ルートを通っており西日本横断と呼べるものかは微妙なライン・・・。
趣味はGoogleマップ散歩と謳う私の好奇心と、人より優れた方向感覚と嗅覚を頼りにほぼ勘で突き進む6日間のばぶ旅をだいぶ端折ってお届け。
出発地は長崎県佐世保市。
目指すは奈良県奈良市。
最初に伝えておくと、完全に自分得な場所を通った記録になります。
1日目(長崎→福岡)
長崎県は佐世保市よりスタート。
一部この無謀な挑戦を知る人たちに「まじかよ」と笑われながらも温かく見送られた1日目。家族認定されたお姉様が「心配だ」と不安そうだったので、位置情報を共有しながら走り出したばぶと私。とりあえず目指すは博多方面。
長距離運転になるからオイル交換しておきたかったけれど、前にメンテしてくれた車屋さんはなんと急遽お休みに。なんてこった。
出発早々躓くものの、焼き物の町有田町を抜け伊万里市に入ったところでなんとかオイル交換してもらえた。
「有田焼」「伊万里焼」と共に焼き物の町で、道中に大きな焼き物看板や焼き物オブジェがあり走っていて結構面白い。気になった方ぜひ検索ちゃん。
(なんせ今回は時間との勝負でもあったのであまりゆっくり写真撮れていない。)
そしてとにかく走り続けること約50km。
立ち寄りたかった1つ目の場所、唐津市に到着。
市街地にあるそれはそれは大きな鳥居をくぐり、結構急な坂道を登り続けることおよそ20分。鏡山稲荷神社にてお参りを済ませ鏡山展望台へ。
ここは日本三代松原のひとつ、虹の松原と唐津湾が一望できる展望台。
残念ながら天気はどんよりしていたけれど目の前に広がる景色に見惚れぼーっとベンチに腰掛け思考停止。高いところから見る景色大好き。
脳を休めて次に向かったのは行きたかった今回のメイン所。
そう、実は鏡山展望台はついでに寄っただけなのです。
先ほどの鏡山展望台から少し移動して本当にここ?と不安になりながら木々を抜けたところにあるチン。「九州変な場所」を探していた時に見つけた山奥のチン石、おもろと思いピンを立てていた場所。しっかり拝んできました。
商売繁盛。子孫繁栄。夫婦円満。大事大事。
こちらサイン看板や道標なるものございませんので、行かれる方は野生の勘で進んで見つけてください。
下山し唐津湾沿いを走り続ける。
鳴き砂で知られる姉子の浜。砂浜を歩いてみるもなかなか鳴かず、海を眺めながら休憩。すっかり日も暮れ雨が降りそうな匂い。
1日目は目標の博多まであと一歩たどり着かず糸島にて宿泊。
2日目(福岡)
糸島より雨がぱらぱら降る中2日目スタート。
福岡市美術館にて行われている企画展示にどうしても行きたくて、半日ほど美術館に籠る。美術館を出たのが午後2時過ぎ。さて今日こそ北九州まで走り抜けたい。
博多市内の3車線道路の端を走り続け山道に入ろうとしたところ、土砂降り。もう面白いくらい土砂降り。しかもこちとら半キャップ。雨に打たれ前見えない!おもしれえな!ていうか寒すぎる!
いろんな感情と闘いながら走り続けているとまた変な場所到着。
駅に続くまっすぐ1本道にいろんな石像がある。入り口にはせつめいが記された石像。こういう意味わかんない説明書き好きなんだよなぁ、つい読んじゃう。
「ふるさとの道」「やすらぎの道」「古代への道」「もやいの道」とざっくり国別に分けられた4つのゾーンがあり、並ぶ石像はスフィンクスやモアイ、サン・アグスティンの鳥像などなど。
そこから走り抜け行きたかった黒崎に到着。
ここでの目的は黒崎の商店街散策と駅前にあるパチンコ屋太陽会館の花輪。
黒崎の商店街は駅から扇状に広がっていてそれぞれの通りに名がついている。どこを歩いても、どこを曲がっても楽しい楽しい。
可愛い看板やシャッター、オブジェ。本当に楽しい商店街。詳しい話や写真はまたいつかどこかでまとめよう。
名物の「八幡ぎょうざ」を食べて小倉へ。今日はここまで。
ちなみにこの八幡ぎょうざには様々な種類があって。
「熱いものを熱いうちに食べよう」という平鍋に乗せて提供する猫舌殺しの鉄なべ系と、肉厚の皮で作る中国本土系、水の代わりに豚骨スープで焼くラーメン系、お母さんの愛情スパイスの入ったお母さん系の4種類が存在するらしい。(八幡ぎょうざ協議会のHPより)
私が食べたのは猫舌殺し系。しっかりやられました。
3日目(福岡)
小倉にて3日目スタート。さすがに体の限界が来たのか昼頃まで寝ており、起きてびっくり。でも小倉はずっと来たかった街なのでゆっくり散策。
こちらも商店街散策から。
商店街好きにはわかるアーケードにある天井や看板の可愛さをお届け。
この発見が商店街歩きを好きな理由のひとつかもしれない。
とりあえず宿で聞いたシロヤベーカリーに。老舗のパン屋らしく、これがもうすごい行列。列に並ぶのはあまり得意ではないけれどせっかくだし〜と並んでみた。けど!捌くのが早い!あっという間に列は進み、サニーパンとオムレットを購入。確かひとつ50円とかだった気がする。
魚町銀天街を抜け旦過市場にも行き、日が暮れた頃にライトアップされた小倉城に行ってみた。2019年にリニューアルされたばかりで城内には体験スポットがあり楽しかったよ。武将隊もいた。
そして小倉にはストリップがある。
日本に残るストリップ劇場は20軒前後。ストリップ劇場に行ったことがある人はわかると思いますが、いわゆるエロい目で見れない。あれは芸術。
柳ヶ瀬、道後とストリップ劇場に行ったことがあるけれど背筋を伸ばして見入ってしまった。どうやったらエロい目で見れるのか。
1度閉館が決まったA級劇場ですが、経営陣が変わったか何かで今も上演されているので九州民気になる方はぜひ。(九州唯一のストリップ劇場です。)
4日目(福岡→広島)
小倉の早朝6時。4日目スタート。
空が明るくなりはじめたこの時間、夜の人たちが楽しそうに帰宅していく中ばぶに乗り目指すは門司港。
そうです、限られた日数の半分をほとんど九州で過ごしてしまっています。
門司港付近の駐輪場を探してうろうろしていたら「おめ、えらい荷物だな、夜逃げじゃねえよな?」と心配される。ははは、帰るんだよ自力で。
門司港は「バナナの叩き売り発祥の地」らしくバナナマンのオブジェ発見。
ここに寄ったのは看板も出していないような大衆食堂の朝定食を食べるため。
とにかくわかりにくいところにあり、やっとこさ見つけ店に入ると「おはよ〜」とおじいちゃん。美味しかった。
「安全入船食堂」赤いコンテナが目標の大衆食堂です。ぜひ。
原付に乗って山口県に行くためには全長780mほどある関門トンネルを通る必要があり、ばぶごとエレベーターに乗って地下通路へ。こーれが大変だった。
もちろん通路では走行禁止でばぶを押して歩かなければならず、重い重い。しかも緩やかなV字の道になっており、半分越えたところから登り坂。凍えるほど寒かったこのばぶ旅で唯一汗かいた。
「もう、うちのばぶ重すぎ」とぼやきながら登りきり地上へ。
この時、小倉の宿に三脚を忘れたことに気づく。旅に三脚なしとは何事!と思いつつも落ち込む暇などないので、近くのおばちゃんに記念写真撮ってもらう。頑張ったね。でもまだ半分だよ。
記念写真も早々に走り出す。唐戸市場に寄りたかったけれど、日数が迫っているので今回は諦め。門司港で朝ごはん食べたしね。下関市のマンホールはハリセンボンだったよ。
山口県は本当に広くて下関から岩国まで下道を走ること約150km。「日本一周」を掲げてロードバイクに乗る人2人見かけた。私も駆け抜けてるよ〜と心でエールをおくりながら小さくグータッチを送ってみたり。おにぎりの看板を引っ提げて走っている人もいた、おもろい人間のパレードだ。
とにかく走り続けながら広島を目指す。
途中おっぱい観音と呼ばれる川崎観音堂、作業服を着たお姉さんたちが駆け回る菜の花畑、意味わからないゲームがたくさんあるトラックハウス、錦帯橋で寄り道。
最初3日間の寄り道を取り戻すように走り続けこの日は約200km走行。さすがにヘトヘトで広島市に到着。面白そうなコーヒー屋に入ったらまさかの無愛想なマスターで、コーヒーも1杯1000円くらいしたけれどそれも思い出。
ほっそい階段を上った2階にあるお好み焼き屋へ。マスターは真っ赤なTシャツをきた愉快なおっちゃん。「おれのは普通なんよ」と昔からの広島焼きを出してくれて常連の無表情おじさんと3人でわいわい。1杯飲んで帰るはずが、しっかり閉店まで長居してしまった。これが旅の醍醐味。またいつか。
5日目(広島)
広島市からスタート。
なんとこの日は寒波の影響で大雪。山道は滑る滑る。
5日間ばぶで進み続けて気づいたこと、普段からサイン看板や標識を見る癖がついていたおかげでほとんど道に迷わず進めている。バイパス道路も一部は通れるんだよ。町の名前交差点の名前が結構面白い。あと、確実に季節を間違えた。
毎日すごい着込んで走っているのに寒すぎて、ばぶから降りる時はいつも足が痛くたぶん変な歩き方していたと思う。
そんなこんなで雪の中の走行は本当に寒くて、さすがに心が折れたので尾道で1泊することに。数年ぶりの尾道をうきうき散策して猫と戯れ夜は温泉へ。隣のおばあちゃんと尾道の良さについて話した。知人の店に行こうと連絡してみたものの店休により断念。
尾道は数年前になんちゃって傷心旅行で来て以来、大好きな町のひとつ。
人生の分岐点になった町でもあり、ばぶを手にいれるきっかけになった町でもあり、瀬戸内海を好きになった瞬間でもあり、思い出いっぱいの尾道。なぜ好きかと聞かれると答えに詰まり、行けばわかると答えてしまう。そんな場所。
6日目(広島→大阪)
さてついに6日目。尾道よりスタート。
明日のお昼には奈良で予定があるので今日なんとしてでも進まなければならない。宿でコーヒーを飲んで、居間に広がる影が綺麗で見惚れながら友達に連絡をする。「現在広島、無事着くよ!」これでケツは決まりだ。
「気いつけて!」と警備員のおっちゃんに声かけられ手を振った。また来るぞ尾道。とても晴れていて流れていたのはスピッツのつぐみ。
昼頃には倉敷市を通過して順調に進み続け、瀬戸内市に入った所で道を外れ牛窓オリーブ園を目指した。オリーブと瀬戸内海となりゃ行くしかない。
小豆島にいる友達に向け手を振った。やはり瀬戸内海大好き。
寒い中毎日何時間も移動続けているとちょっと気が滅入ったりするけれど瀬戸内海を見たらもう120%元気になった。いつか根を下ろすなら瀬戸内海が見える場所がいいな。
備前市まで戻ってそこからはバスに何度も煽られ続け嫌になったから小道を進み、姫路まで移動。姫路には祖父母のお墓があるのでこちらも記憶を頼りに手を合わせてきた。お墓を綺麗にしてピンクの花を添えた。ずっと変わらない景色を見つつ軽く散歩。
昔から祖父母の家に遊びに行くと食べさせてくれた「ハトミン」これはハトヤのミンチフライの略。シンプルだけど美味しいのよねこれが。父へのお土産としていろんな種類を買って陽が傾いた姫路を背に走り続ける。
後にこの経緯を父に話した所「アホやな」と呆れながらも「でも羨ましい」と言っていた。この冒険心確実に父親譲りだよ、父には私ほどの軽い足がなかっただけだ。
7日目(大阪→奈良)
ついに約束の日、大阪からスタートした7日目。
諸事情によりばぶは置いて結局電車で奈良まで行くことになってしまった。けど無事に約束通り友達との待ち合わせに間に合って鹿グリ。
原付に乗って日本一周を夢見た日もあるけれど、まさかこんなことやるとは思いもしなかったのに実際1週間も立たずして日本の半分移動してしまった。
笑えるほどお尻は割れ、道中トラックの砂埃で顔が黒くなった。またひとつ頼もしくなってしまった。嬉しい。
「世界は丸い、道は続き行き止まりなどない!」とまた言ってしまう。
この後、置き去りにしてたばぶを拾って愛知県まで走らせた。再び奈良に寄って、京都、滋賀、岐阜を経由して無事愛知県に。
滋賀岐阜間はまたも土砂降りでレインコートを抜けパンツまで雨が染み込んだ。関ヶ原あたりなんてやばかったよ、雨で真っ白。ただ愛知に着く頃にはすっかり晴れ虹を見た。祝福されてたなあれはきっと。
締めくくり
今年の春に相棒のばぶを手放してしまって、それを機にいつかこの話をまとめたいなあと思っていたもののなかなか重い腰は上がらず春はとっくに終わった。
この前友達たちと桃鉄をした時、「ここいい街だった」と思い返す場所が多く嬉しくなって、なんて楽しい人生だろうと思わず笑ってしまった。
だいぶ端折ってまとめたけれど道中本当にいろんなことがあり、いろんな人に助けられ見送られ、いろんな考えと感情と向き合ったいい日々だった。特に道中ずっと位置情報を共有してたお姉様。「山の中で動かなくなったら即通報して迎えに行くけんね」と心強い味方でいてくれたおかげで突き進めたよ。
いつも何事もできる気がしちゃうのは「みみみならできるよ」と笑わずに話を聞いてくれた人たちがいるおかげ。本当にありがとう。
冒険心がある限り今後もずっとこの調子だろうなあ。
今ここまで旅の話にお付き合いいただいた皆様に感謝を。
またいつかおもろい話をひっさげて書き起こしたい。
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