今年も311の話を書いてみる
※(2023/3/12)2021年3月7日に所属会社ブログに投稿したポストが消えてしまったのでnoteに再投稿しました。
弊社のブログ、過去に何度か311にまつわる記事をUPしています。
・2018|311から7年経って、PRの仕事を肯定できるようになったという話(森下)
・2020|うそになる(菅原)
http://publicgood.co.jp/suga200311/
私は直接被災した経験があるわけでなく、常日頃から復興支援に貢献したり思い出したりしているわけもありません。
他にも災害は数多あるというのに、いまだになぜ敢えて311について書いているのかただ何かそれらしいことを言うための道具に使っているだけではないのかと自問し、どこか居心地の悪さを感じながらも、でも今年も書いてみます。
■2021/3/7時点での、2021年のテレビ報道
311から10年目の年を迎え、東日本大震災を振り返るテレビ番組も増える時期になりました。
今年は、キー局が垣根を越えて手を組んだ、
『民放キー5局とNHKの6局が共同で実施する防災プロジェクト』が発足しています。
今年に入ってからの関連報道を見ると、2月22日頃から報道が立ち上がっており、震災や防災をテーマにした企画以外でも、旬のタレント紹介やスポーツ報道の中でも、個々人の経歴紹介の中に「東日本大震災を経験」といった言葉が入れられるようになっています。(これは、1/1~2/21までの間には全く見られない傾向です)
また、先述のプロジェクトも3/6からスタートし、報道量はさらに増加しています。
3/7 正午時点で、
∟ NHK__________31時間 28分 52秒
∟ 日本テレビ____6時間 08分 49秒
∟ TBS___________4時間 24分 44秒
∟ フジテレビ____6時間 57分 01秒
∟ テレビ朝日____4時間 27分 28秒
∟ テレビ東京__________56分 20秒
報道量を合計時間にすると、こうなります。
意外と多い、という印象を受けるのではないでしょうか。
これだけ長い時間放送されていれば、どこかでは目にすることもあるでしょう。
私自身、3/6に放送された、TBS『つなぐ、つながるSP』を偶然視聴しました。気仙沼の“重い津波”の検証や、サンドウィッチマンが南三陸を訪れた時の記録とその後、たまたま震災当日に岩手県山田町を訪れていたTBS記者の、心の揺らぎの中でも持ち続けた現地との交流の様子。
「被災地を訪れたら子どもたちに石投げられたんですよ(笑)でもその日だけでも、彼らが家に帰ったら『今日サンドに石投げた!』って、(震災と)関係ない話をしてもらえるなら…」
「弔いのために花火を上げませんか。と、地元の方に提案したんです。でも、自分は東京の人間で、東京の人間の考えた企画を持ち込んで本当にいいのだろうかと…」
タレントも記者も、"いったい自分のこの職業とは、何を本懐とするものなのであろうか"と、平時には意識をしないことを、皆、少なからず考えたのではないかと感じました。
少なくない時間を割いて放送される、震災を振り返る特集番組の数々。
それを見るたびに、私も自分の職業とはいったい何をする仕事なのか、考える機会を"与えられてしまっている"気がします。
「TVはオワコンだ」そう言われて久しいけれど、一方で、マスメディアには、そうさせる力がある。そんなことを思いました。
■防災意識を閉じ込めたタイムカプセル
そう言いつつ、自宅の防災服をの中身の点検や更新はほぼなされていません。
かろうじて、飼い猫の当面の食料は賞味期限を確認して入れ替えなくてはと、久々に玄関に置いてある防災袋を開きました。
数年前の自分が用意した防災袋、何を入れたかほぼ記憶になく、「どうせ間に合わせの要らなくなった2軍の靴下や、適当に100均一で買ったものが適当に突っ込んであって、実際には使える代物になってないんじゃないかな」程度に考えていました。
ところが、中身を開いてみると、自分で驚くほどに、"本気で被災した時のことを考えられる限り想像し抜いた"ラインナップが入っていました。
311直後の余震の恐怖や、乾電池やLEDランプ等の物資不足、重苦しい空気によるストレスが一気に鮮やかに蘇ってきたくらいでした。
その時初めて思い出したのですが、この防災袋の中に入っているものの3分の1くらいは、震災翌年の冬に、陸前高田に瓦礫を片付けるためのボランティアに行った際に、用意するように指示されて揃えたものでした。
例えば、鋭い木っ端や釘を踏み抜かないようにするための鉄板入りのインソール。ホッカイロ、瞬間冷却材、体温調節のために様々なレイヤードで組み合わせられる複数素材の衣類。
被災された方に失礼にあたることは重々承知で、不謹慎を覚悟で言葉にするならば、あの時、自分が陸前高田に行ったのは、もしかしたら「震災の後、現地に行ってきた」という事実が欲しかっただけかもしれません。
後々、震災について語るための免罪符が欲しいという、単なる偽善だったのかもしれません。
ただ、市販のおしゃれな防災セットには入っていない、色々なものが雑多に詰められた目の前の防災袋を見た時に、あの陸前高田で見た景色が、いつか首都圏に大きな地震が来た時に、自分を守ってくれるだろうと、そういう思いが突如湧きました。
あれは、非・被災者の自分が、対岸の被災者のために取った行動でなく、自分のために行ったことだったのだと、解釈を与えることができた気がしました。
私は比較的社会貢献欲求が強い方だと思うのですが、それでも、なんとなく"良いこと"をする時、どこかしらの居心地の悪さや、「お前がやっているのはただの自己承認欲求で偽善だ」という己に対する疑念が拭い去れません。
ただ、かつて"自分には利益のない無益の奉仕"と思いながら行ったことが、10年経って、自分の生存を守るものとして立ち現れた感じがしました。
少し飛躍があるかもしれませんが、いま、企業活動には、サステナビリティという言葉と結び付けた情報発信が求められる機会が加速度的に増えています。
正直な感覚で言えば、半分は賛同しつつ、半分は、「このご時世、それに賛同していると言わないと顰蹙を買うから、やらなきゃいけないもの」という感覚があるのも事実です。(私は、ですが…)
ただ、もしかしたら、10年経った後に、「自分の生存を守るために必要なものだったんだな」と返報性を感じるのかもしれません。
強烈な防災意識や災害への恐怖を、10年前のままに閉じ込めた防災袋を見ながら、そんなことを考えた、2021年の3月でした。