日本語の起源は解明された Part3
半導体物理学者が解き明かした日本祖語
その実にオーセンティックな謎解き
言語学のドグマから解放されれば、日本語の起源は明確だった!
いろは/五十音を構成するひとつひとつの音節が日本語の原始言語(祖語/プロト言語/proto-language)であることの発見について述べた 小林哲 著・"日本語の起源 Japanese Language Decoded (2022年出版)"の概要を紹介します。
※本記事では、発声の歴史的・地域的なバリエーションや発声の変遷に対する解釈の違いによる混乱を避けるために、発音記号を用いずにカギカッコ付きのローマ字で発音を表記することにしています。
※「やまとことば」の「やまと」は厳密には、紀元後に日本列島に移入し西日本に勢力を拡大した民族のことを指しますので、それ以前から先住している民族の言葉を「やまとことば」と表現するのにはやや難がありますが、本記事では便宜上、古代から使われている日本語を「やまとことば」と総称し、他言語の影響を受けた語も含む「古語」と区別することにします。
※ 特許登録済
特許7125794「情報処理システム、日本語の意味内容解釈方法及びプログラム」
Japanese Patent No. 7125794 (P7125794) "Information Processing System, Semantic Content Interpretation Method for Japanese and Program"
*妖怪の正体は名前に書いてあった
・【イナズマ】
「イナズマ」には、「稲妻」という漢字があてられて記述されることが少なくなく、「イナ」は「稲(イネ)」の母音が交替したものだという俗説も同時に流布しています。しかし音節のセマンティックを用いて解読すれば、容易に語源を解析することができます。この語は「出現」を意味する[i]、「音の発生」の[na]、「下垂」の[zu]、「地」の[ma]という音節を連ねて構成されています。前半の[i-na]は”雷鳴”を「音が生じる」と表し、後半の[zu-ma]は雷の放電が地上に”落雷”する様子を「地上にぶら下がる」と表現していることがわかります。つまり、「雷鳴と地上への落雷」を表していると解読できます。客観的に自然現象そのものが描写された語だったのです。
多くの辞書に書かれている「稲妻」という表記や稲作信仰との関連付けは、後 世の単なる語呂合わせを基にした虚言を起源としているのでしょう。雷の発生時期 と稲の成長や実りとも関係なければ、稲作信仰とも関係なかったのです。自然現象を観察して、コミュニティーの誰もが「雷」の共通の概念に投影して共有でき、情 報伝達に用いることができる言語表現として工夫した事がうかがえます。類似語の 「稲光(イナビカリ)」は、空中のみで放電して地上に落ちない雷を指していることがわかりますし、決して稲が光るのではないのです。
・【オニ】
民話にもよく登場する「鬼(おに) [o-ni]」です。現代では想像上の存在と考えられている魔物の正体をあばきます。
「オニ」[o-ni]という単語を構成する音節は2つしかないので謎解きは簡単です。各々の音節の意味内容は、音節「オ」[o]が数量の概念が投影された「大きな/多い」であり、音節「ニ」[ni]が貝類・甲殻類・節足動物などの殻を有する生物や殻状の物体です。
これらを連ねた単語[o-ni]としての意味内容は、遺跡からも多数発掘されることから先史時代に食用/工作用/装飾用と多用されたと考えられる「大型の貝類」を 指すことがわかります。特に、スイジガイ(水字貝)は、成長に従って殻に鋭利で長 いツノを持つようになる貝で、貝釧(かいくしろ)と呼ばれる腕輪に使われていまし た。現代でもメタルやパンク系の人達に愛用されているトゲトゲのスタッド(飾り鋲)を沢山打ったブレスレットと極めて似ています。これを、威嚇のために使用していたのか当時の美学に基づいた装飾に用いていたのかは不明ですが、少なくとも腕に付けた状態だと周りの人の注意を誘う効果は十分に期待できそうです。これが後に、対立する先住民の蔑称となる鬼の起源と考えることは十分に合理的でしょう。
「クシロ」[ku-shi-lo]は地名の釧路とは無関係で、[食べる+海+岩盤」が語源 で、「牡蠣」等の海中の岩に生息する海棲貝のことと解せます。
・【ダイダラボッチ】
柳田國男、水木しげる両先生にも、それぞれの著作物で取り上げられた「ダイ ダラボッチ」。関東地方には、この伝説の巨人に因んだ地名”代田”、”太田窪”等 の「ダイタ」がいくつも残っています。「ボッチ」は「ボチ」が音便を伴って変化したものでしょうから、元々の発声は「ダイタラボチ」であったと考えられます。
今回の研究で、[da]は「渦」、[i]は「発現」、[ta]は「持ち上げ」、[la]は「空気/空間」、[bo]は「かき乱し」、[chi]は「経路」を意味する音節であることを同定できました。これらの音節を連ねて表現されたダイダラボッチの正体は「竜巻の通過痕に残された荒廃した土地」のことだと解読できます。近年でも、竜巻の被害にあった土地が掻き乱され、軌跡が道のように明確に残されているケースがあります。伝説では「巨人の足跡が窪地や湖沼として残った」とあります。通過痕が窪地となり、ときには湖沼が生じるほどの竜巻被害が、幾つもの地点で生じていたことになります。伝説の元になった竜巻の破壊力が極めて強かったことが推察されます。類似した地名「小平(こだいら)」は「強い+渦+出現+空中」が語源でしょう。近年の地球温暖化に原因すると考えられる竜巻被害の増大から類推すると、いわゆる縄文海進期として知られる(現在よりもさらに)温暖化した時期に生じたであろう竜巻の威力は猛烈であったことが想像されます。「巨人の足跡」の物語や伝説は、激烈な自然災害の歴史を年少者にも伝承するための古代人の知恵だったのかもしれません。
・【カマイタチ】
次は「かまいたち」です。妖怪の鎌鼬/窮奇です。つむじ風に乗って現われて人 を切りつける。この妖怪に出遭うと、人は鋭利な刃物で切られたような傷を負うが、すぐには切られたことに気付かない、等々とされる一方で、つむじ風そのものを「かまいたち」と呼ぶ地方もあるとのこと。通り魔のような仕業の割にはイタチ?…狸や狐ならありそうなものですが...妙です。
本記事で記している音節の固有の意味で解読してみると、[ka-ma-i-ta-chi]の 各々の音節は[ka]=「苦痛」、[ma]=「地面」、[i]=「出現」、[ta]=「持ち上げ」、[chi]=「通り道」を意味していることがわかります。「苦痛な」と「舞い立ち」が合成された語であることがわかります。「舞い立ち」の意味内容は「地面に出現して舞い上げる経路」であることから、「つむじ風そのもの」を含む強い上昇気流を指すと解釈できます。「マイタチ」が上昇気流で、上昇する苛烈な突風が地表の微小な物を巻き込んだ「塵旋風」が「カマイタチ」であり、前出の「ダイタラ」は渦巻きが目視でき、物を空中に舞い上げ、通過痕を残すほどの気流・竜巻であると解せます。
塵旋風の接線風速は、たかだか数十km/h程度といわれていますが、例えば、イネ科植物の葉はケイ酸ガラスで出来た無数の微小なトゲで縁取られていますので、これが飛翔物に含まれていれば人を切りつけることは十分にあり得ます。除草作業中にススキの葉で切創を負った際に、しばらくは傷に気が付かないことはよくあることですが、同様の現象でしょう。
・【ナマズ】【シャレコウベ】
日本列島に住む限り、日々の生活と地震は切っても切れない関係にあると言っ ても良いと思います。おそらく数千年、数万年前の遥か古代でもそうであったことでしょう。むしろ火山活動が今よりも活発であったことが推察される旧石器時代・縄文時代には火山性の地震も多発したことでしょう。
それにしても、なぜか日本には古くから”鯰(なまず)と地震の関係”が語り継が れています。”ナマズが動くと地震が起きる”という類の民間伝承です。”ナマズが 地震を予知して暴れる”のか”ナマズが暴れることが地震の原因”という意味なの か、因果すらはっきりしません。現代に至ってナマズの行動と地震の相関を研究 (?)している人がいる程に、根拠が薄弱な俗説にも関わらず根強く伝承されている ことには裏があるに違いありません。
...というわけで、ここではナマズ[na-ma-zu]の語源を解読してみます。音節、[na]=「音の発生」、[ma]=「大地」、[zu]=「下垂状態」 で構成される語です。これらを連ねて意味内容を解釈するだけで良いので簡単です。つまり「音が発生する+大地が振れる」という意味の語であることが分かります。なんと、「ナマズ」という語自体が「地鳴りと地震」を意味する原始語であったことが解き明かされたのです。ナマズと地震の関係は、そもそも同じことを意味する語同士だった、というオチです。”ナマズが地震を予知して暴れる”のでもなければ”ナマズが暴れることが地震の原因”という迷信でもなく、”ナマズは地震”だったのです。
しかし依然として、ナマズと呼ばれることになる魚種の呼称に地震を表す語を 用いた理由(あるいはその逆)は謎です。ナマズには鳴き声の様な音を発生する種類もいますし、呼吸音を発するドジョウとの混同もあるかもしれません。湖沼の底で蠢いて、時に音を発する様を表現した結果、地震と同じ呼称になった可能性もあれば、敢えて無関係だが名称のみが類似したもの同士をこじつけたダジャレの可能性も考えられます。
「洒落(しゃれ)」の発声[shi-ya-le]は、野晒しの骸骨「シャレコ(ウ)ベ」にも見出すことができます。[shi-ya-le-ko-(u-)be]という音韻を持つこの語の前半の[shi-ya-le]は、「広がり+矢+収束」を意味内容とします。つまり、古代には貴重だったはずの「放たれた矢を拾い集める」という内容であると解せます。後半の[ko-(u-)be]は「強い+(唸り+)潰す」を意味する音韻が組み合わされていますので、「強かに(唸り)潰す」と解せます。したがって、これらが連結して構成されたシャレコ(ウ)ベは、「狩猟の終了/終戦」後の「屠畜/処刑」の様子の描写と考えられます。前半部[shi-ya-le]の持つ”カオスの終息時の安堵感”というニュアンスが”意表を突くものへの理解”や”オチ”を意味するようになったのでしょう。困難が解消したときの”落ち着き”の声「ヤレヤレ」[ya-la-ya-la]も同源と考えられます。
・【オバケ】【スナカケババ】【ガマ】
怪しいもの一般を指す「お化け」[o-ba-ke]の語の構成は、「大きい/多い」を意味する音節[o]、「撒く/散らす」を意味する[ba]、「壁がそそり立つ」を意味する[ke]が組み合わされています。これらを連ねて成立する語の意味内容は「大きい/多い+撒き散らす+桶状構造」であると解せます。
誰が何を撒き散らすのかが問題ですが、幸いなことに、柳田國男・水木しげる 両先生も著している「砂かけ婆」がヒントを与えてくれます。”神社の傍を人が通ると砂を降り掛けてきて脅かす妖怪で姿を見た者は居ない”という類の怪談。姿を見た者は居ないのに何故「婆」かというと、「撒く/散らす」という意味の「バ」[ba]という発声が、後世に「婆」と誤解されたのでしょう。かつて昭和の時代までも、神社の社は高床様の建築である場合が少なくなく、床下に露出した乾燥した地面に多くのアリジゴクの巣を見ることができました。ウスバカゲロウの幼虫・アリジゴクは乾燥した土や砂地に”すり鉢”状の窪みを作り、潜った底部から乾燥した土砂を跳ね上げて”撒き散らし”、餌となる昆虫類を窪みに落として捕食します。アリジゴクの棲息に適した恒常的に乾燥したサラサラの地面は限られた場所にしかないために、この昆虫は群棲している場合が多いのも特徴的です。砂かけ婆の正体はアリジゴクが撒き散らした土砂が風に吹かれる等して通行人に降り掛かったものでしょう。
「オバケ」の語源は「土砂を撒き散らす多数のすり鉢状構造」を意味する音節を並べたもので、その正体は多数のアリジゴクが昆虫を捕食するために乾燥した地 面に造ったすり鉢状の巣であると解せます。
初期人類が雨露を凌ぐために、洞窟やその一部が侵食されることで形成された 上部がせりだした崖下(琉球語では「ガマ」[ga-ma]すなわち「オーバーハングした地」と呼ばれる地形)を住居としていたことは多くの先史時代の遺跡が示しています。このような地形は、同時にアリジゴクの棲息にもたいへん適した場所です。古代人類の安住の地において、この「オバケ」は身近な存在だったことでしょう。姿は見えないが砂を掛けてくるお化け「砂かけ婆」の一席でした。
*謎めいた言葉の数々 呪術も占術も怪しくなかった
・【マジナイ】【ウラナイ】
「呪い(まじない)」は、現代語ではオドロオドロシイ妖しい行為のイメージを伴っている語です。しかし、構成する音節の古代語としての意味を読み解けば、本 来の語意がよくわかります。この語の前半部分は、大地を意味内容とする音節 [ma]に続けて、「静止/不動」を意味する音節[ji]を発声し、「大地の静穏(状態)」すな わち所謂「地鎮」を表現していることがわかります。後半部分の音節[na]は「音の発生」を意味内容とし、さらに「発現」を意味する音節[i]と連ねることで、「音を出す/ 音が出る/鳴る/鳴らす」ことやヒト/生物が「泣く/鳴く」ことを表現していると考えられます。
「~ナイ」という”やまとことば”には「占い(うらない)」[u-la-na-i]もあります。マジナイと同様の手順で語源を解読してみると、「唸り+気体+音+発生」という音節が連ねられています。現代にも伝承されている占術の「釜鳴(かまなり)」であると考えられます。「釜鳴」は釜で湯を沸かしたり煮炊きする際に生じる蒸気の噴出音や共鳴音で、吉凶を占ったり物事の前兆を判断したりする神事とされていますが、語源は「唸る気体」が「音を発する」ことであって、占術に関わる概念の表現ではないこともわかります。
・【ハタ】
古代中国王朝の名「秦」のみならず「畑/畠/機/旗...」の漢字の訓読みに[ha- ta]の発声が用いられます。「秦」は、中国語の古代の発声(古音)では、凡そ[dzien] のような発音であったと考えられます。多くの方言が有ったとも考えられますが、少 なくとも[ha-ta]とは大きく異なっていたのは間違いないでしょう。数多くのものの名称に対して共通の発音「ハタ」が用いられていることは謎めいています。
音節[ha]は「端/縁/終わり」を意味し、音節[ta]は「持ち上げ/掲げ/挙げ」を意味すると考えられますので、[ha-ta]は「端を持ち上げる」概念と強く関連した言語表現であると考えてよいでしょう。たしかに、「旗/幡」は布の端部を揚げますし、 「畑/畠」の土留めの畝は土地の端部を盛り上げて形成します。踏み固められ窪ん だ往来の「道端(ばた)」の盛り上がりも、この概念とよく整合します。一方、「端を持ち上げる」概念には「人体の端部を挙げる」行為も包含されていたと考えてよいでしょう。人類に共通した「驚愕/歓喜」した時の反応です。両手を広げ、天を仰ぎ見たり、座位なら足まで挙げたりする行為です。
紀元前2~3世紀の「秦」の勃興期と同じ頃に興きた弥生文化は、日本列島に輸入された「驚愕する」ような先進的な物や技術が普及してきた時期です。鉱工業技術・製品を持ち込んだ移入民が「驚くべき」あるいは「諸手を挙げて歓迎すべき」人々と呼ばれ、帰属していた組織も秦王朝の名ではなく「ハタ」と呼ばれたのは自然なことであったでしょう。この時期は、米作とともにキビ・アワ作の普及期でもありました。古代日本語としての「ハタ」の痕跡は、現代でも用いる「ハタと思い付く」という言語表現に見出すことができます。
・【ウロ】【ムロ】
似た発声を伴う「虚/洞(うろ)」と「室(むろ)」です。洞穴やトンネル状の空洞のニュアンスを持つ[u-lo]と、直方体に掘られた部屋状空間のニュアンスを持つ[mu- lo]です。現代語では、双方共に農作物等を貯蔵・保管する岩屋や地下空間のイメージにつながっている点で共通しているものの、念頭に置かれる空洞の形が異なっている点で区別して使われています。[u-lo]の語の構成は、「唸り」を意味する音節[u]と「岩盤」を意味する音節[lo]が連ねられています。一方、[mu-lo]では音響に関する音節が周期性の概念が投影されている音節[mu]になっています。
「唸り」を意味内容とする音節[u]は、音響学的には硬い壁からのランダムな無数の反射音が遅延・減衰しながら重畳する「残響音」つまり「リバーブレーション・エコー」を表現していると考えられます。一方、「周期的振動」を意味する音節[mu]は、平行して対向する硬い壁で音が反射され繰り返し聞こえる「鳴き竜現象」つまり「フラッター・エコー」を表現していると考えられます。
異なる種類の空間形状が生じやすい残響音をたった1音節で言語表現して、対応する空間の差別化された名称に用いてい るという解釈には極めて高い合理性が認められます。驚異的な言語化能力です。
・【オギ】【ハギ】
「五十音」を構成する各音節の中でも、「ギ」[gi]は現代語に残っている原始語の痕跡が、現代人にとっては直感的に分かりにくいものの一つです。
しかし、古代から使われていたと思われる言葉に、「ギ」の発声を含む単語は少なくありません。「芒/禾(のぎ)」[no-gi]はイネ科の穀物のトゲ状の突起を持つ殻のことです。「ナギ」[na-gi]という言葉は、現代語では「薙ぎ倒す(なぎたおす)」という表現にも現れれば、「穏やかな海の状態」を指す「凪(なぎ)」もあります。鳥類の名前では「鷺(さぎ)」[sa-gi]、「鴫(しぎ)」[shi-gi]などにも「ギ」を見出せます。「鍵」や「鉤」の「カギ」[ka-gi]もあれば、どちらがどちらか紛らわしい「荻(おぎ)」[o-gi]と「萩 (はぎ)」[ha-gi]もあります。日本建築に固有の「擬宝珠(ぎぼし)」[gi-bo-shi]や「葱 (ねぎ)」[ne-gi]、「紛らわし(まぎらわし)」[ma-gi-la-wa-shi]にも見出せます。
これらの内、具象的な単語に着目すると、共通の概念は、ノギの形つまり粒状/ 球状の物に一つの尖端を有する、謂わば涙滴様の形状であることがわかります。 おそらく、手指で塩を一つまみする時のように、手指の関節を伸ばした状態で親指とその他の指の腹を接するようにするジェスチャーと結び付いていた可能性が強く示唆されます。
その区別が紛らわしい荻と萩ですが、イネ科のオギは大きな穂を実らせるので 「大きい+芒」と解せますし、マメ科のハギは枝の末端に小さな実を疎に付ける様が「端+芒」と表現されていると解せますので、上記の解釈と矛盾しません。
・【マギラワシ】
音節「マ」[ma]は「地面」、「ラ」[la]は「空間」、「ワ」[wa]は「割れ」で「シ」[shi]は「広がり」を意味すると考えられるので、これらを連ねて構成される「紛らわし」[ma-gi-la-wa-shi]は、「地面に籾(もみ)、籾殻、脱穀された実が混在して撒かれている」 状態を表現していることがわかります。たしかに紛らわしいです。プロト言語の表現としては「マギ”ワラ”シ」でも差し障りは無さそうです。しかし、もし仮に、この語の成立時に既に「裂くと中空」を意味する語としての「ワラ」[wa-la]が使用されていたとすると、「マギワラシ」では「地面に籾と藁(わら)が混在して撒かれている」状態を表現しているとの誤解が生じかねません。敢えて「マギ”ラワ”シ」の語順が選択され定着したのには、この様な理由があったことも推察されます。
・【カゴメ】
”♪かごめ・かごめ・かごのなかのとりは・いつ・いつ・でやる〜♪”という謎めいた歌詞を付された遊び歌にも現れる「かごめ」は「籠目」、つまり六芒星のパターンが繰り返し編み込まれた「竹籠の編み目」のことだと思われています。六芒星の形象はダビデの星と共通するので、都市伝説好きのムキには、いわゆる陰謀論絡みのネタとして人気があります。
「カゴメ」の発声[ka-go-me]と共通する音節で構成される語には「籠(カゴ)」[ka-go]、「篭(ゴメ)」[go-me]「目籠(メゴ)」[me-go]、「目籠(メカゴ)」[me-ka-go]等があります。「籠/駕籠/篭」等と表記される[ka-go]は、主に竹を素材とした「籤(ひご)」[hi-go]を編み上げた物の名称です。[me-go]は[go-me]であったり[me-ka-go]と発声されたりします。それぞれ、目が荒い籠を指すとか、逆に目が詰んでいるものを指 すとか、あるいは蓋の有無の別であるとか、伝承されている定義は様々です。
さて、これらの語に現れる音節の内、[ka]はこれまで述べてきた通り「困難/苦 痛/不快」等を意味内容とする音節です。「メ」[me]には、「強制/戒め/服従/追従/パターン/目/芽」の概念が投影されていると考えられます。さて、問題の [go] は、編み物や織物の工程に関連した意味内容を有していると考えられます。竹籤や糸を”編む”作業には、編み込む作業で生じた歪みを補正したり柔軟性を付与する仕上げの為の「砧(きぬた)打ち」という作業を含みます。台の上に編み物や織物を置き、木槌で叩く作業のことを指します。音節[me]と組み合わされた「ゴメ」[go- me]や「メゴ」[me-go]は「叩いて矯正する」を意味すると考えてよさそうです。
「困難」を意味する音節「カ」[ka]と組み合わされた「カゴ」[ka-go]が名称として使われる工芸品は、一般的に筒状の構造に底面や蓋が付された形状に編み込まれているために、編み上げた後に「砧打ち」を施すことは確かに容易ではありませ ん。本来は施すべき工程である「ゴ」=「叩打」を行うことが「カ」=「困難」なので「カゴ」であることが分かります。従来のように「カゴメ」は「籠の模様・目」だから「カゴ+メ」であると解することも不可能ではないですが、「ゴメ」にも「メゴ」にも現れる「メ」は「ゴの目」を表しているのではないことは明らかです。
「カゴメ」の意味内容の合理的な解釈は、「困難な(苦痛な)叩打による矯正(服従させる)」だということでしょう。
・【ハニワ】
「埴(はに)」[ha-ni]は、土を練って素焼きにした「焼き物」です。[ha]=「端/空間的末端/時間的終点」と[ni]=「カチカチの殻」を組み合わせた語です。製作工程の「終わり」には「殻の様にカチカチ」になることを表現していると考えられます。音節[so]が「主体が注目するゴール」を意味するのに対して、[ha]は客観的な「端」を意味していると考えられます。「埴輪(はにわ)」[ha-ni-wa]は語尾に「割る/割れ目」の意味を持つ[wa]が付加されています。この語は古墳時代の墳墓に置かれた素焼きの偶像「埴輪」の名として知られていますが、「割られる」ことを前提に作られたと理解されている縄文時代の「土偶」が元々の意味だと考えられます。素焼きの偶像の名称として伝承されていたものが弥生時代を経て、古墳時代/ヤマト時代に墳墓の副葬品としての偶像の名称にまで使用されていたと考えられます。
Part4へ つづく
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