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自由主義について
渡瀬さんも言ってるけど、リバタリアン教ってマジで需要ないから。マルクス教やケインズ教のほうがウケるし儲かるし信者増やせるからね。
リバタリアンについてですが、全否定はしませんけど、違法ドラッグや大麻の合法化や軍隊を民営化とかまで主張している、無政府主義を掲げてるなどのリバタリアンは正直頭おかしいと思う。いくらなんでも現実的じゃ無さすぎるし、正直そんな政策は妄想の中でしかできないでしょう。
因みに渡瀬氏も無政府主義のリバタリアンに関しては現実性がないと一蹴してましたが。彼の政治思想の立ち位置としてはリバタリアン、リバタリアン保守で、少々、保守主義といったところだと思う。
リバタリアン思想を堂々と述べる識者が少ないのは、それが大して儲からないからだよ(笑)
— ワタセユウヤ #Bitcoin (@yuyawatase) March 8, 2021
そして新自由主義批判をする識者が多いのはそれが儲かるからです(笑)
これが国民負担率50%近い社会の官製市場原理な。リバタリアンするよりも縁故資本主義のほうが儲かる。
前者を選ぶのは気分の問題。
その通りです。マルクス教とケインズ教のほうが遥かに儲かります。そして、究極的には〇〇教を普及せず、黙って政府と仕事するのが一番です(笑) https://t.co/oLDMgwjufa
— ワタセユウヤ #Bitcoin (@yuyawatase) March 8, 2021
ゆうと皇帝も言ってたけど、大きいな政府にしろ小さな政府にしろどちら問題点は存在するわけでどっち選ぶかはその人の考え方次第。無政府主義や共産主義は問題だらけすぎて論外。あとは結局、バランスの問題でしょうね。規制改革・規制緩和もケースバイケース。
日本で堂々と自由主義とか個人主義とか主張したり述べたりはしにくい感あるね。日本で自由主義っていうたら真っ先に新自由主義だって思われるだろうから。私は新自由主義者じゃないけどさ。自由主義なら他にもノーマルな自由主義から、リバタリアン、保守自由主義、国民自由主義とかもあるじゃん。あとリバタリアンにもリバタリアン保守やリバタリアン社会主義がありますし、リバタリアン的なものでいえば他には最小国家主義(ミナキズム)や夜警国家(自由主義国家論とも言うらしい)もありますね。
因みに自由主義(リベラリズム)でも大きな政府を求めるタイプもいるにはいるんですよね。それについてはこの記事を見てください。
少し引用すると
「自由主義」(リベラリズム)です。教養大事典によれば「自由主義は個人の自由を尊重し、外部からの強制に否定的な立場をとる。そのため、国家の役割はおもに個人が自分の生きかたを決められるようにすることだと考える。自由主義は、個人の人権を守り、政治権力に対しては憲法で制限することが重要だ」(「自由主義」の項)とあります。つまり、個人の自由を制限する力に対しては、徹底的に反対するわけですね。
これが自由主義の基本的な考え方です。もちろん、自由主義の派生であるリバタリアンも同様にでしょう。
なので「干渉や邪魔しない限り、危害を加えない限りどうでもいい」っていう考え方になりますし、フェミニズムとかのポリコレ押し付けなリベラル(というより左翼か)を嫌うんですわ。
私は正直、他人のこととかどうでもいいから干渉したり、ポリコレみたいな押し付けをしないし嫌ってるわけですがね。
「干渉や邪魔しない限り、危害を加えない限りどうでもいい」なんだわ。迷惑を掛けないなら好きにやりたい放題やればいいんですよ。特に子供の遊びなんてそうですよ。大人が頭のおかしなお気持ち論だとかを押し付けないほうがいいでしょう。でもやたらと押し付けたがる人間のほうが世の中多い気がする。
正直、他人のこととか興味ないね(クラウド並感)。
そして自由主義者なら人に嫌われることを恐れるな!
社会の多数からどんなに嫌われていても、一人の人間である限りは個人として尊重され、自由と権利を保障されるのが現在の日本だよ。
— 行政法たん (@admi_tan) March 2, 2019
政府との関係では憲法と法律に基づき、自分以外の一般市民との関係では法律に基づき保障される。
もちろん犯罪をしたら刑罰を受けるなど制限されることはあり得るね。
では次に経済的な意味での"自由主義"についてこれまた引用
まず経済的な意味での自由主義の祖といえば、18世紀のスコットランドの哲学者アダム・スミスでしょう。「教養大事典」にはこうあります。「スミスによれば、利己的な利益の追求は公益も促進する。また富と経済発展をつくりだすのは、自由競争だけだ。国家が経済に関して果たすべき役割は、私有財産を守ることだけとした」。実際、その後、産業革命が本格化すると、多くの富みが社会にもたらされました。ただ、それに伴う痛みが何もなかったかと言えばそれは違います。
「工場の所有者である資本家は、労働者を犠牲にして巨額の利益を得た」。そして「これに反対した労働運動が成功し、20世紀になると自由主義の流れは市場介入など経済への国家の干渉を支持するようになった」。
こうした当時の状況が、社会的公正を求める声となり、特に米国では自由主義という言葉と結び付いて「現在、米国で『自由主義(リベラル)』が、国家による経済統制と社会改良を意味するのはこのためだ」となるのです。なるほど。経済に関わらず、個人の自由を制約するものを規制する、あるいは改良していくという意味が、米国のリベラルにはあるのですね。
経済的な自由主義は国家の介入や拒み、市場に任せるという考えになります。しかし、労働者が劣悪な環境で労働させられるといった問題もあり、労働運動が起こり、市場介入など経済への国家の干渉を求める、支持するようになったというわけです。なので、自由主義(リベラル)でも社会的公正を求めるために国家(政府)による経済に関する規制を求めたり、支持することがあるわけなのです。
最後に自由主義(リベラリズム)とリバタリアン(自由至上主義/完全自由主義)の違いについてですが、どちらも個人の権利については自由主義(個人的な自由主義)ですが、自由主義(リベラル)は経済的には自由主義から社会主義的な人までいたりと考え方は様々ですが、リバタリアンは経済的にも自由主義という点です。なのでリバタリアンは基本大きな政府と政府や国家による経済や市場への介入を嫌います。ただリバタリアンも個人的にも経済的にも自由主義であるという点は同じでも考え方や見解が違うこともあります。なので無政府主義的なリバタリアン(無政府資本主義)が存在するのでしょう。他にも福祉を認めるリバタリアンも存在するとか。
自由主義とは
リバタリアン(リバタリアニズム)とは
追記:タイトル変更