適材適所のそのために
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
「嫌いだけど成果が出せることもあるだろうし、好きだけど成果に繋がらないこともあるから、本人がやりたいかどうかとか誰が何に向いてるのかなんていう適材適所って本当に難しいって感じます」
先日、ある経営者の方がこんな話をしてくれました。
この話を聞かせてもらって、「こういうことをよくわかっている人が“マネジメント”にもっとたくさん増えていったらいいのになぁ」と感じました。
冒頭の話のように、組織の中での“適材適所”の難しさっていうのは、本人が語る「好き・嫌い」とか「得意・不得意」というのも大事かもしれませんが、それ以上に「組織が求めている“成果”に繋がるかどうか?」という視点がとても大事になってくるわけです。
「“成果”が大事なんて、そんなの当たり前だろ」と思われるだろうなとは思いますし、実際にこれまでに出会った経営者の方で「“成果”なんて大事じゃない」という話をしている人に出会ったことは一度もありません。
だけど、「“成果”が大事」ということよりも「本人が自己申告する“好き・嫌い”や“得意・不得意”を大事にしてしまっている」と感じられる選択や決断が様々な組織で起きているのをこれまでに数えきれないほど見聞きしてきました。
そういう「“本人の自己申告”を大事にする」ということが、組織の目的に近づくための“成果”に繋がって、その本人の成長にも繋がるのであれば“本人の自己申告”である「好き・嫌い」や「得意・不得意」や「やりたい・やりたくない」に焦点を当ててもいいのかもしれません。
ただ、“本人の自己申告”を何よりも上位に置いて大事にしようという時には“大前提”としてこんなことが必要になるはずです。
それは、「誰もが“自分自身”について間違いなく誰よりも深く自己理解が出来ていること」です。
これが「必ずできている」のが“大前提”になっているのであれば“本人の自己申告”というのは、そりゃあもう確実に間違いなく「その通り」なので、その本人が言う通りの「好き・嫌い」や「得意・不得意」や「やりたい・やりたくない」の通りの役割を担ってもらい配置をすれば間違いなく“成果”に繋がることになります。
だけど、実際には「誰もが“自分自身”について間違いなく誰よりも深く自己理解が出来ていること」なんてことはありません。
現実にあるのは、
「“自分自身”について自己理解があまりできていないけれども何故だか“できている”と思ってしまっている」
というのが、僕も含めたかなり多くの人達に共通しているこの世界の“大前提”なんだろうと思っています。
だからこそ、“仕事”をする中で自分が担う仕事について「好き・嫌い」とか「得意・不得意」とか「やりたい・やりたくない」ということを重視しがちになるんじゃないかと思っています。
だけど、そんな“自己理解”に基づいた自己認識での選択は本当に組織に必要な“成果”に繋がるのかどうか?
そして、この“問い”に対しての答えはどんな理由や根拠があるのか?また、その妥当性はどんなものか?
そういうことを務めて冷静に客観的に、あくまでも「組織の目的を果たすために“役に立つこと”かどうか?」という視点で吟味することが重要になってくるんだろうと考えています。
だからこそ、冒頭のような話をしてくれる経営者の方に出会えると「こういう考え方をして実践している“マネジメント”にこれから出会えるといいなぁ」なんて思うんです。
「嫌いだけど成果が出せることもあるだろうし、好きだけど成果に繋がらないこともあるから、本人がやりたいかどうかとか誰が何に向いてるのかなんていう適材適所って本当に難しいって感じます」
そう感じながらも、本当の意味での“適材適所”を考えて取り組んで、必要な“成果”を出せる組織・チームを作っていくために必要なことをやり続ける。
そういう中小企業がこれからもどんどん増えていくと、今よりもっとずっと“面白い”社会になっていくんだろうな、と思っています。
もちろんそのために「自分たちにできること」に、これからも引き続き全力で取り組んでいくしかないんだよなぁ、とあらためて己に言い聞かせているところです。
あかね
株式会社プロタゴワークス
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