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今、過去、今を行ったり来たり

こんにちは。

株式会社プロタゴワークスあかねです。

「“過去の自分”はずっと愚かなんですよ」

先日、仲間と対話をしている時にこんな言葉が口をついて出てきました。

その勢いのまま話しているうちに、自分自身もこの言葉の真意がようやくわかってきたという、僕にとっては“よくある出来事”ではあるんですが、書いておかないと流れていきそうなので忘れないように書いておこうと思います。

ウチの会社は、事業として中小企業を対象にした組織開発・人材開発をやっているんですが、ザックリ言えば“他社・他者のサポート”が仕事なので、これを生業にする以上は自分達自身が日々“自己研鑽”を怠らないというのは大前提中の大前提でもあるわけです。

そもそも僕も仲間も会社の経営者として仕事をしている中で、自分達に上司がいるわけでもなければ、誰かから“仕事の指示命令”が下りてくるわけでもないので、何かを待っていても学びがあるわけでも勉強の機会があるわけでもないのは当然です。

なので、僕たちにとっては“自己研鑽”というのは「よし、自己研鑽するぞ」というようなものではなくて、毎日当たり前のように存在しているモノでもあるし、ごく自然な取り組みでもあるし、逆にそれくらい“自然なモノ”にしておかなければ継続することも難しくなってしまうんじゃないかと思ってもいるので今現在のように毎日の中に自然に組み込んでいる状態が一番いいのかな、と感じています。

そんな風に、仕事をしながら日々を過ごしている自覚があるので僕からすると冒頭の言葉はとても当たり前な感覚があります。

“今の自分”よりも“昨日の自分”は愚かですし“一昨日の自分”はもっと愚かですし“一年前の自分”は更にググっと愚かなわけです。

とは言え、ここで言っている“愚かさ”は自分以外の誰かや何かと比べるモノではありません。ただただ“過去の自分”と対比する指標のうちの一つ、のようなイメージです。

そして、当たり前と言えば当たり前ではあるんですが、そうやって毎日意図的に“自己研鑽”を積み重ねているからこそ、“過去の自分”は全くしていなかった経験をしたり、一切知らなかったようなことを知ったり、新しい学びを手に入れたりしているので(いつの時点の自分と比べるのかによって変わるとは思いますが)、“今の自分”の方が明らかに段違いで「賢くなっている」というのは疑いようもありません。

もちろん「賢くなっている」ということを自分自身で認識できるくらい顕著なのかどうかはわかりません。

“自己研鑽”を積んでいるにもかかわらず「全くそんな自覚はできない」という人もいるかもしれませんし、逆に、「めちゃくちゃ賢くなっている」という人もいるのかもしれませんし、はたまた実は“自己研鑽”になっていなかったけれども“やっている自覚”があってその成果を実感している感覚を持つことだってあるかもしれません。

とはいえ、実際にどうであったとしても“それ”は“それ”として「一つ賢くなった」と言うコトもできるので、「“過去の自分”と比べたら“今の自分”は賢くなった」とは言えるのかもしれません。

そんなことを“自分”の前提として考えているからこそ、「“過去の自分”はずっと愚かなんですよ」と口に出した時に、その言葉の背景にある文脈が自分で自覚できたのかもしれません。

そうしてさらに考えてみると、“過去の自分”が体験して「自分は〇〇である」と“自覚”していたようなことも、“今の自分”をマインドフルに観察してみることができたとしたら、“過去の自分”が“その時点の自分”に対してした“自己評価”や“自己認識”は現状では全て異なっている可能性は大いにあるんじゃないかな、と思えてきます。

わかりやすい例が、「昔は嫌いで食べられなかった物が、ある時から急に食べられるし美味しいと感じるし好きになった」なんて経験をしている人もたくさんいるでしょうし、そういう話を耳にしたことはたくさんあるんじゃないかと思います。

それと同じ構造のことが、実は“自分自身”の他の部分にも日々起きている可能性があるとしたら?

そうやって考えてみると、“今この瞬間までの人生”で“自分”に対してしてきた“自己認識”は、“今この瞬間の自分”からすると実は全て違ってしまっている、なんてこともあるんじゃないか。

そうやって考えると、やっぱり「“過去の自分”はずっと愚かなんですよ」と“今の自分”からは感じられて仕方がありません。

“あの頃の自分”と比べたら、明らかに積み重ねてきたモノが違いますし、どこからどう考えたって“今の自分”の方が圧倒的に比較するのも意味が無いと思えるほど“賢くなっている”のは間違いありません。

そして、そうやってしている“今の自分”に対する“自己認識”も、この先の“いつかの時点の自分”からすれば「ああ、愚かだったなぁ」と思える可能性が高いんだと思うと、「今よりもっと先に進めるのかもしれない」なんて、自分自身に少しだけ希望を持てる気がするので、なんだかちょっと良い気分です。

願わくば、これが“未来の自分”にとって悲しい勘違いにならないことを祈って今後も“自己研鑽”を怠らないように自制していこうと強く思っているところです。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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